2019年01月26日

【日記】ムンク展

 もう終わってしまったが、一月の中旬に、東京都美術館でやっていた「ムンク展」に行ってきた。



 ムンクと言えば「叫び」。「叫び」と言えばムンク、というくらい、「叫び」は有名な絵だが、それ以外のムンクの絵は巷間ほとんど知られていない。わたしも記憶にない。
 わたしはごく普通の西洋美術好きだが、同時にカトリックでもあるので、芸術をキリスト教のフィルターを通して見るきらいがある。
 逆に言えば、宗教色のない西洋美術には、あまり興味がわかないのであった。

 そういう観点から言えば、ムンクの手による作品からは、まったく「抹香臭」は感じられない。今回の展示では、唯一「マドンナ(聖母)」にその欠片があるような気がしないでもないでもないというくらいで、並べられている作品群からは、信仰という熱情(パッション――同時にキリストの受難という意味もある)はにじんでいないのであった。

 反面、とても、とても人間臭いのである。
 それは、見ているこちらに、心地よさではなく、どこか自分を見透かされているようないたたまれなさを感じる筆使いだ。

 ムンクの家庭の教派はわからないが、出身地がノルウェーであることを考えると、プロテスタント・ルター派であったのだろうか。ルターはキリスト教に音楽の花は咲かせたが、逆に美術からは肉をそぎ取り骨と皮にしてしまった(と、これはわたしの私見)。
 ムンクの父はかなり敬虔でかつ厳格なクリスチャンで、ムンクはそれを反面教師として育ったという資料もあるそうだ。

 自分の思いを宗教画に韜晦させることなく、ただ己のみ、人間のみを見つめ、執拗に描き続けた画家のすごみが「叫び」に集約されているような気がする。

 正直言って、「叫び」を含めて、ムンクの絵は好みではないな、と思う。それでも、ものすごい混雑の中、今回「ムンク展」を見られて良かったと思う。

 それは、こういう形でこそ、ムンクの芸術は完成された、と感じた瞬間があったからだ。

 今回の展覧会の目玉「不安」「叫び」「絶望」の三枚は、観覧者が列を作って、止まることなく眺めることを、展覧会側に強いられていた。わたしも列に並び、長いこと待って三枚の絵の前を「止まらないでください」という係員の声を聞きながら通り過ぎた。
 そして、その列の後ろ、絵からちょっと離れたところからは、この三枚をじっくり(列の人々の頭越しに)見ることができる。
 そこで遠目に「叫び」を見ていて感じた――大勢の人々がこうやって自分≠見つめている状況こそが「叫び」の人物像が耳を塞いでいる原因なのではないだろうか、と。
 ムンクの「叫び」は、大金持ちが自分の部屋に一枚だけ飾っていても完成しないのだ。人々の好奇の目にさらされ、頭の中でいろいろといじられ、ざわめきの中にあって、初めて完成したと言えるのではないか。

 展示会を出て、ミュージアムショップへ入ってみると、「公式グッズ」としてたくさんの「叫び」のパロディ商品が売られ、ここでもレジに長蛇の列ができている。この状況も「叫び」の人物像の叫びを呼ぶものなのではないだろうか。



 こういったことは、おそらくムンクが「叫び」を描いたときに意図したことではないだろうが……。

 ミュージアムショップで「叫び、良かったよねー」「インパクトあったよね」という会話を耳に挟んだ。正気と狂気のはざまの列を通ってきて、自分が正気の側にいるという安心感の吐露なのだろうか。その無邪気な感想に、心が現実に引き戻されたような気がした。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記