2019年02月13日

【日記】一行あけ

 今日はみなさんに質問である。

 いろいろなブログを拝読していると、こういう書き方をしている方がけっこう多い。

 どういう書き方かって?

 ほら、今あなたが見ているコレですよ。

 いちセンテンスごとに一行あけるスタイル。

 人によっては、一行では足らず、二行、三行あけている方もいらっしゃる。

 これ、書いている方は、どういう意図があって行をあけているのだろう?

 プロブロガーを名乗っている方でもこのスタイルを取っている方をお見かけする。

 ここまでで、たったの210字。

 ペラ(原稿用紙半枚のこと)一枚の分量である。

 わたしのいつものスタイルなら――

 今日はみなさんに質問である。
 いろいろなブログを拝読していると、こういう書き方をしている方がけっこう多い。どういう書き方かって? ほら、今あなたが見ているコレですよ。いちセンテンスごとに一行あけるスタイル。人によっては、一行では足らず、二行、三行あけている方もいらっしゃる。
 これ、書いている方は、どういう意図があって行をあけているのだろう? プロブロガーを名乗っている方でもこのスタイルを取っている方をお見かけする。


 これで納まる。


 わたしはプロの文章書きではあっても――だから行頭一字下げは譲れない――アマブロガーなので、なぜこんなに無駄な「一行あけ」が必要なのかわからない。



 ディスプレイで読む文章は、ベタで書いていくと読みにくいので、内容のまとまりごと、あるいはせめて段落ごとに一行あける、というのはわかる。




 しかしセンテンスごとに一行あけるスタイルというのは、読者に無駄なスクロールを強いるし、内容もスカスカに見えるので、いち読者としてあまり好みではない。





 あまり長文は書けないが、それでも少しでも長くスクロールさせ、読者にアフィリエイト広告を見させよう、という作戦なのだろうか?





 それともあれか? 詩か? ポエムなのか?


(作:周良貨/画:夢野一子「この女に賭けろ」6巻より引用)

 ディスプレイ閲覧を目的としない文章が普通だった頃は、作文において「一行あけ」は、それだけで、とても意味があるものだった。





 小説であるなら、場面転換、時間経過、主観者の変更など、舞台の幕の上げ下げと同じような意味あいがあったのである。





 おいそれと簡単に一行あけることはできなかった。





 映画の長回しのように、一行あけないでどこまで書けるかにチャレンジしたシーンもあったりする。





 それだけ「一行あけ」には重い意味があったので、校正で詰められたりしないよう――

 一行アキ・ママ


 という指示を、わたしは一行あけの部分に入れていた。






 過去を懐かしんでもしかたない。





 今や、活字よりも、ディスプレイに映すことが目的の文章が、日々、大量生産されている時代である。





 そんな時代には、「一行あけ」の意味がなくなってしまうのもしかたないのかもしれない。





 それでもやはりわたしは「行頭一字下げをしない」のと同じように「センテンスごとに改行」には抵抗がある。





 果たして、みなさんはどちら派でしょう?
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記