2019年05月29日

【日記】迷ったら寄れ

 スマホが普及して誰もが持っている時代になり、素人が「決定的瞬間」を動画で録画することも珍しくなくなった。

 その昔、素人の動画と、プロの動画とでは決定的な差があった。素人の動画はやたらズームが激しいのである。対象物にズーミングして数秒、すぐに引いて数秒。またズーム、そしてすぐに引く。パン(横移動)チルト(縦移動)も多く、しかも手ぶれで画面の揺れが激しい。
 逆にプロの撮ったものは、三脚でピタリと安定し、画角は静止(フィックス)が多い。やたらズームはしない。パン、チルトも最小限。そしてフィックスの時間を長く撮る。

 なので、素人が結婚式などを撮ったムービーを見ると疲れる。酔うという人もいる。プロの成果物ではそんなことはない。

 もちろん、素人とプロの違いは、素人はカメラ一台でがんばらなければいけないとか、プロの機材は重く手ぶれしにくく、しかも画質がいいのでフィックスでも細かいところがよく映る、というアドバンテージもあったわけだが。

 最近はスマホカメラの機能も上がり、全編iphoneで撮影したという映画も出てきた。「麻雀放浪記2020」がそれである。ストーリーの内容はともかく、画像的には劇場で見ていて違和感がなかった、と、これははっきり言える。すごい時代になったものだ。
 もちろん、そのiphone撮影も、撮影のプロがやっているからこそ、商業映画にできるわけである。

 ここで素人のみなさんに、その昔、カメラマンから教わった「撮影物をうまく見せるテクニック」の格言をひとつ、お教えしたい。

「迷ったら寄れ、トチったら引け」

 である。
 対象を撮影中、「この画面でいいのかな?」と迷うことがあると思う。そういうときは対象物に寄る。ズームするのである。ズームができないカメラなら歩いて寄る。
 さらに、撮影中「しまった、この画面じゃまずい」と思う瞬間もあると思う。そういうときは即座に画角を広げる。ズームを戻す。対象物から離れて撮影を続けるのである。

 そして、寄るにしても引くにしても、いったん画角を確保したら、フィックスで一息(三秒から五秒ほど)耐える。
 これだけで、あなたの撮る動画は、これらを気にしなかった頃より、格段に「見やすくなる」はずだ。

 この「迷ったら寄れ、トチったら引け」というのは、日常生活でも応用できるかもしれない。
 意中の異性に告白しようか――迷ったら告白だ。反応がいまいちだったら距離をおけ。
 ちょっと高いぜいたく品だけどどうしようか――迷ったら買え、分不相応だったらネットオークションだ。
 観光旅行先を海外にしようか国内にしようか――迷ったら海外へ、その過程でトラブルがひとつでもあったら国内にしとこう。
 とかね。

 さて、ここまでで千文字ちょっと。いつものブログ記事よりは短めなのだが、どうしよう。
 迷ったら寄れ、というわけで、こうやって読者のみなさんに寄ってみたのだが、こんなことを書いてしまうこと自体、トチっている証拠なのである。

 というわけで、トチったら引け! この記事はここでおしまい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年05月25日

【日記】一億総下層国民の時代

 かつて、「一億総中流」という言葉があった。
 この言葉が使われ始めたのはいつ頃だったか。わたしが中学から高校の頃には、もうこの言葉は定着していた。

 そうお金持ちというわけではないが、決して貧困にあえいでいるわけではない。贅沢を言わなければ、誰でも順調に就職でき、結婚もして、給料も徐々にあがっていき、マイカーを買って、やがては賃貸の団地から一戸建てへ住みかえる。子どもは二人。それぞれ大学まで進学させ、独り立ちしていくのを見守る。とも白髪となった夫婦は、老後、年金でまったりと、たまに訪れる孫がくるのを楽しみに豊かな生活をする――そんな生活ができることを、日本国民一億人が信じて疑っていなかった、それが「一億総中流」時代なのであった。

 誰かが言い出した言葉が一般化したものかと、今、Wikipediaでざっと読んでみたのだが、そういう言葉でもないらしい。Wikipediaには『日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す』となっている。つまりこれは「空気」である。クリスチャンが聖書を読むように、日本人は空気を読む。日本教の聖典「空気」には「おまえたちはみな中流」と書いてあるわけだ。「中流」であって「平等」でないあたりが、実に日本教していて興味深い。

 わたしは当時から、この「一億総中流」という言葉に抵抗感と疑念があった。

 どういう流れでか、高校の帰り道、親友K君とそんな話になり、わたしは吐き捨てるように言ったのだった。

「一億総中流なんてとんでもない。お上の欺瞞だよ。われわれはそう思わされているだけさ」
「え、なんで?」と、素直なK君は答えた。
「俺たちゃ、みんな下層階級だよ。上流階級なんて言えるのは天皇陛下ご一家くらい。中流階級は財閥系大会社の役員のうちひと握り。他はみんな下層階級だね」
「えー? 贅沢いいすぎじゃない?」
「中世の貴族の女性たちは、結婚相手が無職だと喜んだそうだよ。なぜだと思う? 無職ってことは、働かないでも収入が入ってくる階級だったからさ。働いて金を得なければ生きていけないという身分だけで、われわれは下層階級なんだよ」
「でも憲法には、国民に勤労の義務があるじゃん」
「憲法というのは、国家が国民に課した法律ではなくて、逆に、国民が国家に課した法律なの。勤労の義務というのは、国家が就労の機会を国民に与えなければいけないということなんだよ」
 書いていて、自分でもいけすかないガキの返事だと思うが(笑)、わたしは倫理社会はいつもほぼ満点だった。ま、倫社は国語みたいなもんだからね。

 K君は、納得したような、しないような、複雑な表情であった。日本教の信徒ならば仕方ないだろう。

 あれから四半世紀以上がたち、インターネットによって、情報のピラミッド構造が暴力的に破壊された時代に、「一般国民」、「上級国民」という言葉が生まれてきた。
 きっかけは、あの「五輪エンブレム」事件からだったと思う。たしかお偉いさんが「一般国民のみなさんのご理解を得られなかった」と言い「俺たちゃ一般国民かよ」との反発から「じゃあおまえらは上流国民≠トわけかい」と、このふたつの言葉が一般化したのである。

 また、今回、東京で自動車が歩行者多数を轢くという痛ましい事件があり、その運転手が逮捕されず、容疑者∴オいされないため、名前プラス肩書きなどを使って報道されたことを指して「さすが上級国民様は人を轢き殺しても逮捕もされず容疑者とも呼ばれない」と揶揄されるのにも使われている。

「一億総中流」の時代から、「そんなことはない!」と言い続けてきたわたしからすれば、やっと日本国民がこのことに気づいてくれたか、という気持ちである。
 ただ違うのは「上級国民」は天皇陛下ご一家くらいで、「中流国民」が、今、ネットで言うところの「上級国民」であるということ。われわれは「一般国民」などではなく「下層国民」だということだ。

 わたしが「平成」という年号を初めて聞いたとき「平和になる」とは思わず「平等になる」を連想したのは、この日本が不平等な社会であることを、いつも心の底で憤っていたからであった。そして、日本国民の多数が「平等である」と思いこんでいることにも。
 これは、端緒である。これから先、われわれふつうの日本人が、「上級国民」や「一般国民」に搾取される「下層国民」であることがわかる事件が、もっともっと起こっていく、それを暴いていくのはインターネットであると予言しておく。
 日本の聖書「空気」も、「一億総中流時代」から「一億総下層国民時代」に書き換わる日がもうすぐくる。

 見えない革命は、すでに起こり始めている。極端な少子化と、若者の「○○離れ」である。彼らは見抜いているのである。われわれ、下層国民をうまく使って私腹をこやしている連中がいることを。

 日本には厳然と「身分」が存在している。このことを、多くの人に意識してほしい。
 まずはみな「身分証明書」という言葉に敏感になってみたらどうだろう。免許証も保険証も「身元証明書」ではあっても「身分証明書」ではない。

 平成の世は、日本人に真の平等を成せえなかった。それどころか、むしろ、格差を開いたばかりだった。令和の世では、見えない革命で、本当に平等な日本になることを望みたい。

※今、日本の人口は一億二千万だが、この記事ではわかりやすく、総人口の意味で「一億」と書いた。残りの二千万人が「下層国民」以外という意味では特にない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年05月22日

【日記】Oさんの孤独死

 数年前、教会の勉強会でいつも一緒だった、かなりお年を召されていたOさんが帰天された。

 特に事前の予告もなく、日曜のミサにいらっしゃらなかったので、心配した勉強会仲間のTさんが連絡をとろうとしたが、電話が通じなかった。そこでTさんはOさんと懇意だったHさんとOさんの自宅へ。するとOさんはベッドで亡くなられていたのだという。
 Oさんは独り暮らし。いわゆる、孤独死であった。

 持病があった、という話は聞いたことがなかったが、Oさんはわりとお酒がお好きで、その晩もけっこうな量を召し上がっていたらしい。

 もうちょっとなにか異変に気づいていられれば、孤独死のような目に遭わせずすんだのに、と、優しいTさんは悔しがっていたが、これははっきり言って突然死である。仕方のないことだったのだと思う。なにしろ、先週のミサには、元気な姿でいらっしゃっていたのだ。

 そのような経緯もあり、同時に、わたしの中で「こういう孤独死もそう悪くないな」という気持ちが、正直わいていたのも事実である。

 いわゆる、「ピンピンコロリ」というやつだ。前日まで元気に暮らし、ある日、朝になってみると、天国へ行っている。そんな死に方。

 孤独死というが、人間、死ぬときはみな孤独なのである。
 映画などでは、息を引き取る直前に、なにか感動的な言葉を(「ありがとう」とか)を周りの人にポツリと残して、ガクッと死ぬ、というシーンが多いが、実際の臨床の臨終場面だと、人の最期はもう意識を失っていて、なにかを話せる状態ではないのだという。
 確かに、わたしが知っている現実の臨終場面でも、みなそうだった。

 これがたとえ心中でも、やはり死は「一緒」に体験できることではない。死は究極的に個人的な出来事なのだと思う。

 自分がこの先、どのように死ぬかはわかるわけもないが(これを書いているネットカフェからの帰り道で轢かれて死ぬかもしれないし)、もし選べるとしたら、Oさんの死に方は、けっこう上々の部類に入るなぁ、と、その葬儀ミサで先読みを担当しながら、感じたのであった。

 葬儀ミサにやってきた、Oさんの親類には、勉強会でOさんが笑っている写真をさしあげた。
 事情があったのだろうか、Oさんのお骨はその親族のお墓には入らず、しばらく主任司祭が預かったのち、カトリックの共同墓地に安置された。

 今でもGoogleアドレスブックに、Oさんの笑顔つきで、電話番号を登録してあるものだから、スマホを新しくしても、電話帳を確認すると、Oさんがひょっこり顔を出す。わたしの電話帳には、かけても出ないのに、消せない人が増えていくばかりだ。

 ミサが終わったあと、Oさんが「夢にあなたが出てきたわよ」と言っていたことを思い出す。
 永い眠りについているOさんは、天国で夢を見ているだろうか。わたしの電話帳にOさんが残っているように、Oさんも、わたしの夢を見てくれているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年05月18日

【回想録】セガサターンの思い出

 先日、ハードオフへ行ったら、セガサターンがたくさんラッピングして売られていたので、懐かしく思い、筆を執った次第。

 当時はプレイステーションとセガサターンのシェア争いが激化していたが、わたしが最初に買ったのはセガサターンの方だった。
 激化といっても、ゲームフリークの多くは両機種を買っていたわけで、それほどハード間対立があったという感じはなかったように思う。

 セガサターンを買った日のことはよく覚えている。その日は細君と一緒に街へ出かけ、サターンと一緒にソフトを二本買い、映画を観て帰ったからだ。当時はまだ映画館も二本立てで映画を観られ、一本はハリソン・フォードが出ていたリメイク版の「サブリナ」であった(もう一本は忘れてしまった)。

 サターンと一緒に買ったソフトは「結婚」と「闘神伝」だったと思う。
 実はこの「結婚」というゲームが遊びたくてサターンを買ったようなものだった。

 当世は、結婚しない人生という選択も許される時代になりつつあるが、それだけ、実は結婚≠ニいう事象は大変だ、ということが世に知れ渡ってきたという証左なのだろうか。
 誰でも結婚することが当然だった時代であっても、結婚≠ヘ大変なことだった。日本においては結婚はやはり家と家とのつながりという面もあり、百組の男女がいれば、プロポーズしてから結婚式を迎えるまで、百組のドラマがあるのが結婚である。仲人はどうするか? 主賓は? 招待客は? 食事はどうする? 引き出物は? 衣装は? お色直しは? 二次会は? その司会は? ざっと表面的なものを振り返るだけで、これだけ多くの問題が挙げられるくらいだ。これに人間関係の機微がからみ、結婚というのは、表面的な祝い事というメッキをそげば、確かに人間としての通過儀礼という面もあったのである。

 だからこそ(当時は)、人間、結婚して一人前という風潮があったのである。あの苦労を越えて結婚したのね、という了解が社会の中にあったわけで。

 で、ゲーム「結婚」もそういうシミュレーションゲームだと思って買ったわけだ。とても期待大だったのである。
 確か四組(記憶薄)の男女の結婚にいたるまでのストーリーを追えたのではなかったかな。

 ところが――このストーリーが一本道で、シミュレーションどころではない、ただのキャラ萌えゲームだったのである。
 どんな選択肢を選んでも、破局もない、本当につまらない一本道ゲームだったように思う。あまりのつまらなさに、もうほとんど「つまらなかった」という感想しか残っていないくらいだ。

 その後、FF5と一緒にプレイステーションも買い、両機でゲームを楽しんだが、ゲームとして一歩踏み込んだところで、けっこうハマッたものが多かったのはセガサターンの方だったなぁ、と振り返って思う。

 オモチャの銃を買った「バーチャコップ」に、ハンドルを買った「セガラリー」。それと「スーチーパイ」に「ゲーム天国」と、今でも思い出に残る、かなりやりこんだゲームが少なくない。

 プレイステーションの方は、いまいちローディングエラーが多く、そのあたりでも、サターンの重厚な作りはハードなゲーマー好みだったような気がする。ただ、すぐ消えるメモリカートリッジだけは不評だったが。

 ゲームハードのシェア争いでは負け組ハードになってしまったが、わたしの気持ちは、プレイステーションよりもサターンの方が好きだった。
 同じタイトルが出ていたら、サターンの方を買っていたことも多いように思う。

 サターンでは、別売りカートリッジをつけると、今は知る人も少ないVideo-CDを再生できるのも特徴であった。Video-CDは良い規格だと思っていたが、消えてしまったのが残念である。

 サターンもプレイステーションも、ハードはとっくに捨ててしまったが、ソフトだけはなぜか手放す気にならず、書斎の本棚の隅でほこりをかぶっている。
 今でも、機会があったら「スーチーパイ」や「ゲーム天国」を遊びたい。

 いや、本当にその気なら、最初に触れたハードオフでサターンを買ってくればいいのだけれどね。
 それができないのは、きっと、サターンの面白さを、懐かしさフィルタにかけたままにしておきたい気分なのだろう。

 ところで、プレイステーションはプレイステーションで(今は違法の)チートができたので楽しかった。その思い出は、またそのうちに。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2019年05月15日

【日記】令和元年はPCトラブルで始まった

「一年の計は元旦にあり」ならば、新しく始まった令和の時代の計は令和元年の初日、5月1日にあるのかもしれない。

 というわけで、今時代もコツコツと生きようと、朝いちのフィットネスジムトレーニングもサボらず通い、家に戻ったら、平成最後の日までは立ち上がっていたPCがいきなり起動不能に陥った話。

 いやこれは、つきつめて言えばわたしが悪い、自業自得なのだが……。

 わたしのメインPCが、季節の変わり目で調子が悪くなり、KP41を多発することは以前にも書いた。
 これの原因はメモリであり、PCの腹を開けてメモリを抜き、端子を無水アルコールで拭って、再び装着すれば直ることはわかっている。どうも時間が経つと、メモリ挿入スロットとメモリ本体の接触が微妙に悪くなって、メモリ化けが起こるのがウチのKP41の原因らしい。

 このマシンは、もとは懇意にしていただいた神父様のもので、やはりKP41でわたしが整備していたのだが、逆に言えば整備なしでは使えないマシンなので、神父様には新しいPCを手配し、お礼としてロハでいただいたもの。だからちょっと愛着があるのである。

 しかし、いちシーズン毎にPCの腹を開けるのは面倒くさい。そこで、トラブルシーズンの予兆、KP41が起こり始めたら、わたしはWindows起動前にCDブートしてmemtest86+を一周、回してやることにしていた。
 memtest86+が一周完走すれば、Windowsを起動してもまずKP41は起きない。つまり、暖気である。

 この春も、KP41が起きるようになったので、メモリ清掃をすれば直ることはわかっていたが、面倒くさいので、Windows起動前にmemtest86+を一周回すことでしのいでいたのだった。

 このマシンは、外出中にVNCで使うこともあるため、WOLでWANから起動できるようにしてある。ネットワークカメラで画面そのものを見ることもできる。さらにWOLリピータの機能で、PCの電源そのものの入り切りもできる(BIOS設定でWake On Powerを入れてある)。
 そこで、ジムで帰りの準備をして、スマホからWOLでPCを起動。ネットワークカメラでmemtest86+が起動したことを監視。このフェイズでもしエラーが出たら、WOLリピータでPCの電源をOFF/ONしてやる。
 こうすることで、家に帰る頃にはPCが暖まって使えるようになっている、ということを、一ヶ月以上も続けていたのだ。

 あぁ、早くPCの腹を開けて、メモリ清掃をしてやればよかったというのに……。

 令和元年の初日、今日に限って、帰宅しても、まだmemtest86+が一周できていなかった。そこで手動でリセット。すると、いきなりBIOSのロゴ画面が出て止まってしまった(わたしはBIOSロゴ画面を切っている)。
 こりゃ今日はご機嫌斜めだなぁ。と思い、何の気なしに、BIOS設定のDefaultをロードして再起動。

 これがいけなかった!

 起動ドライブが、光学ドライブから、Windowsの入っているSSDに切り替わってしまったのだ。まだメモリが暖まっていなかったのに、Windowsが起動してしまった。
 しまった、でもまあ起動くらいはできるか、と、タカをくくっていたら、いきなりブルーバックで起動不能に。おそらくWindowsの起動に必要なファイルが破壊されてしまったのだろう。
 スタートアップ修復をしても、こんなときに限って頼りなく、何度やってもまともに立ち上がらない。システムの復元もダメ。

 ああ、まいった……。
 結局、迷ったが、ブルーバックが出てしまうのなら仕方ない。Windowsを上書きインストールするしか手がなかった。
 ちなみに、データの類いは全部NASか物理的に別のドライブに入れておく主義なので、システムのリプレースはそれほど躊躇なくできる。あくまで「それほど」だが……。
 SSDなのでWindowsのインスコ自体は速い。
 すると――



 ふざくんな! まだオンボードLANのドライバも入れておらずスタンドアローンのウチから、正規ユーザーに疑いをかけやがって。
 上の画面を見ればおわかりのとおり、わたしのメインマシンのOSはいまだWindows7である。Windows10へのリプレースは、安全を取って、昨年度の会社の確定申告が終わってからにしようと考えていた。

 まずオンボード系デバイスのドライバを入れ、それからWindowsのオンライン認証をかけてあらぬ疑いを払拭させる。
 次に必須アプリの類いのインスコ。レジストリを使わないソフトはProgram Filesとは違うディレクトリに入れておく主義なので、その点、小物ツールなどはけっこう助かる。
 まずメールだが、クライアントはbecky!2。これもメールボックス自体は別ドライブに入れてあったので、多少、今までと設定は違うが復活できた。
 次にFirefox。自分はかなり古いFirefoxを使っている。理由は最新のそれだと、使えなくなる愛用アドインがあるから。
 で、ものは試しとold_program filesからmozzilaディレクトリをエイヤッと新しいProgram Filesディレクトリにコピーし、起動してみると、おそらくレジストリはそのとき生成されるのか、無事起動できた。ので、最小のアドインをインスコ。
 ところがこのFirefox、コピー起動時に自動うpデートを切っておかなかったため、勝手にうpデートをして自分を最新化し、そのアドインを使えなくしやがった。ムキー。なに勝手なお世話をやくんだよ! 腹を立てながら最初からやりなおし。

 本当に、OSやアプリの「余計なお世話機能」には腹が立つばかりだ。

 そんなこんなでいったりきたりを繰り返しながら、弥生会計を入れ、JustRightProを入れ、あれを入れ、これを入れと、環境の再設定に丸二日。もとの80パーセント程度まで戻すのに、けっこうかかってしまった。データはすべて無事なので実際のダメージは少ないのだが、心理的に疲弊しクタクタである。

 すべて、早い時期にメモリ清掃をしなかった自分、うっかりBIOSにDefaultを設定してしまった自分が悪いのだが、後悔先に立たず、である。

 いっそのこと、Windows10の新マシンを、とも考えたが、5月は法人の確定申告と税納付期限なので、あまり冒険はしたくない。
 令和元年がこんな感じで始まると、これからの時代、PCトラブルがついてまわるということなのかなぁ、と、ちょっと改元のめでたい雰囲気に影がさしたような気分である。

 何度も繰り返すが、すべて自業自得、なんだけれど、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記