2019年08月31日

【映画評】ゴーストランドの惨劇(ネタバレあり)

 この夏、いきなり「この映画はすごい」と評判が伝わってきた作品。やっているハコは少ないが、幸い、地元では観られたので、細君と鑑賞。

 わたしは映画紹介の記事を書くとき、なるべく既存の資料を使わず、自分の観たとおりを記憶を頼りに書くようにしているのだが、本作はフライヤーからちょっと引用したい。

 僻地に佇む家で、母と双子の娘を襲った凄惨な事件。それから16年後――。姉は精神を病み家に囚われ、妹は家を出て幸せを手に入れた。姉妹がその家で再会したとき、あの惨劇が再び幕を開ける――。
 などという、ありきたりのホラーでは終わらない――。




 すごい自信である。はてさて、見せてもらおうか。「2度と見たくないけど2回観たくなる」という、パスカル・ロジェ監督の鬼才とやらを。



 あらすじ――僻地に引っ越してきた母と娘二人。ヒロインの妹ベスはホラー作家志願の多感な娘。一方、姉ヴェラはリアリストな少女だ。
 引っ越してきたその晩に、恐怖が三人を襲う。女装の変態男と、知的障害があるミツクチの巨漢が家に乱入してきたのだ。娘たちは地下室に逃げ込み、母ホリーンは必死に抵抗。変態男と巨漢を刺し殺して見事に撃退した。
 そして16年の月日が経った。妹ベスはシカゴに上京し、ホラー作家として大成功をおさめていた。結婚もし、子どもにも恵まれ、忙しい日々を送っている。
 昔から使っている、古いタイプライターを使って執筆している彼女のもとに電話が入る。それは姉ヴェラからのものであった。錯乱した様子で「助けて!」と。
 姉ヴェラは母ホリーンとともに、16年前のあの家に住んでいるはず。母に電話をしてもつながらず、ベスは不安にかられ、翌朝、運転手つきのクルマに乗って、あの家へと向かった。
 家につき、母と再会して抱き合う二人。そして話が姉のことになると、母は表情を曇らせる。姉ヴェラは、あの日からずっと精神を病み、今もあの日の恐怖の中、部屋に閉じこもって生きているというのだ――。
 母を思いやり、また、ヴェラの精神障害を治してあげたいと望むベス。一晩眠って、起きてみると、鏡にルージュで「HELP ME!」と記されている。いったいこれは? 心霊現象なのか。ヴェラがやったのか。そしてベスは、やがて残酷な真実をつきつけられることになる。


 さて、いきなりネタバレしてしまおう。まだ本作を観ていないで、ここまでで「観てみたいな」と思った方は、今のうちに先に読み進まず、別ページへ飛ぶことをお勧めする。

 ちょっと緩衝帯のヨタ話を書いておこう。
 本作、確かに「これはやられたな」というトリックが出てきて、もう一度観てみたくなるのだが、その参考になるかと思い買ったパンフにはなんにもそういう情報はなかった。監督のインタビュー記事は読み応えがあるが、それ以外は写真集。それも、伏線やトリックに関するシーンはむしろ慎重に取り除かれている感じだ。



 同日に観て買った「ダンスウィズミー」のパンフは実にサービス精神旺盛だったのに、こちらのパンフはがっかりである。
 しかし、以前にも書いたが、わたしは数年前から、よほど気に入った作品しかパンフを買わなくなった。両作品はそれくらい気に入ったというわけだ。

 さてさて、ネタバレいきますよん。
 最初に違和感を持ったのは、妹ベスが運転手つきのクルマで実家に戻ったシーケンスだった。自分で運転しないのは有名作家だから? と。
 しかしその謎は、このネタバレで解けることになる。彼女が自分で運転して実家に向かわなかったのは、彼女に運転経験がなかったからなのだ。だから描写ができなかったのである。
 つまり、シカゴでホラー作家として成功して、夫と子どもにも恵まれ――というのは、すべてベスの妄想だったのだ。

 実際のベスは、姉ヴェラとともに、16年前のあの惨劇の最中に、まだいたのである!
(最中と言っても、変態男と巨漢は家を根城に出入りしているので、数日は経っている)
 あの日、必死の抵抗をして暴漢二人を倒したとベスが思っていた母親は、実は変態男に首を切られ、あっけなく惨殺されていたのだ……。
 姉ヴェラは妄想の世界に浸っていたベスを守りつつ、巨漢のオモチャにされていたのである。

 ベスが妄想の「成功した作家生活」で、古いタイプライターを使っていたのも、PCで書くという経験がなかったから、それを妄想できなかったからなのである。

 また、冒頭、車中で、ベスが書いた小説を母と姉に読み上げるシーン。ヴェラが「なんで最後はpiss(おしっこ)で終わるのよ」というようなことを言うが、現実でも巨漢に襲われたベスは最後に失禁してしまう、など、数々の対比が行われている。

 この作品、ゴア描写自体はそれほど大したことはなく、音や突然の脅かしでびっくりさせるシーンも多いので、それほど「二回みるのはつらい」という感はないのだが、惹句のとおり「もう一度観てみたくなる」のは確かである。
 なんにせよ、オカルティックな心霊現象ホラーではなく、現実ベースなのが実に怖い。

 見終わってから、つらつらといろいろなシーンを回想してしまう。ベスが妄想に入ったのはどこからなのか。ひょっとしたら、最初の方の雑貨店で、新聞記事を読んだあたりかもしれない、とか。
 ラスト、娘二人は無事救われるのだが、それも妄想なのではないか? とか。
 もし、これから観る方で、地下室の壁に「救急隊の写真」などが貼ってあったら、上記は本当かもしれない。これは心底恐怖である。

 もう一度劇場で――というのは、ハコも上映回数も少ないし、なによりもう上映自体が終わってしまうかもしれないので、この先はDVDが出たら、ぜひ細かく確認していきたいと思っている。

「ゲット・アウト」以来、久々に面白いと感じたホラー映画であった。

 余談:この夏から秋にかけては劇場で観たい映画が多くてうれしい。「トールキン」は必ず観るし、「ゲット・アウト」の監督ジョーダン・ピールの「usアス」も面白そうだ。
 なんて思っていたら「ニノ国」が「ドラゴンクエスト・ユア・ストーリー」よりもある意味すごい出来だとかいううわさ。あああわたし、そういうのに弱いのよ。これも観にいかねばならんかなー。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2019年08月28日

【映画評】ダンスウィズミー(ネタバレあり)

「【映画評】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(ネタバレあり)・その1」の記事では「ダンス・ウィズ・ミー」とナカグロを入れてしまったが、正確には「ダンスウィズミー」。監督は「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」、「ハッピーフライト」、「サバイバルファミリー」等を手がけた矢口史靖さんである。英語をカタカナにしたタイトルにナカグロを入れないのは矢口監督のこだわりなのかもしれない。

 さて、本作は劇場でフライヤーを手に取ったときから「これは観たい!」と惹かれるものがあった。なにより、くるりと回った主演の三吉彩花さんが放っている華が魅力的だったし、なにより、わたしはミュージカル映画好きなのである。
 ミュージカルというだけで点が甘くなる。なぜと言って、ミュージカルは絶対に文章が勝つことができない分野だから。歌って、踊って、観る人をわくわくさせるあの高揚感を、文章で出すのは(しかも散文で)不可能である。



 というわけで、「ハッピーミュージカルコメディ♪」とコピーがつけられている本作。Youtubeで流されていた公式トレイラーもなかなか見事な出来で、もうわくわくして公開日を待っていたのだった。

 あらすじ――ヒロインの勝ち組OL鈴木静香≠ヘ、バスの中で姪っ子に「いきなり踊り出すミュージカルはおかしい!」と熱弁して、まわりの客の注目を浴びてしまうほどのミュージカル嫌い。それは彼女が子供の頃、学校の舞台のミュージカルで大失敗をしてしまったトラウマがあるから。
 そんな彼女、姪っ子と入った怪しい催眠術館で、これまた胡散臭い催眠術師が姪っ子にかけた「あなたは音楽が流れるとミュージカルスターになれる」という催眠のとばっちりを受け、しっかり「音楽が流れるとミュージカルスター」になりきってしまうように。
 そこから先は、音楽を耳にすると、出勤前に、会議中に、デート中にと派手に歌い、踊りまくるようになってしまった。しかも本人はミュージカルスターのつもりでも、ハッと正気に戻ると、まわりはあきれ顔だったり破壊活動の跡のようだったりと、まさしく踊るテロリスト。
 静香は自分を催眠にかけた、あの胡散臭い催眠術師を追いかけ、いろいろな人を巻き込んで、東京から札幌までの珍道中を繰り広げることになる。


 そして実際にスクリーンで観た感想は、実に、実に楽しかった! 以前もなにかの映画評で書いたが、「観ている最中に楽しい映画」というのは、なかなか作るのが難しいものなのである。

 そして本作は、はっきり言って「ミュージカル」ではない。ミュージカルの歌やダンスが、キャラクターの心情を表したり、ドラマの進行を進めたりするのに対し、本作はヒロインやモブが歌い踊っても、それは「ミュージカルのパロディ」であって、心情やドラマ進行を担ってはいないからである。

 そしてミュージカルではない、この「ミュージカルのパロディ」シーンが最高に楽しい。ヒロインを演じた三吉彩花さんは歌い踊る最中ノリノリな上に、指先からつま先まで美しい。スクリーンから彼女の華がほとばしり弾け飛ぶ。

 一気に本作中の「ミュージカルパロディ」に引き込まれるのは、なんと言っても、オフィスで、シュレッダーのゴミが舞う中、集団で踊り歌う「Happy Valley」である。これはトレイラーでも観られるので、ぜひとも未見の方は検索してご覧いただければと。

 ストーリーは途中から、催眠術師「マーチン上田」の元助手(やしろ遊さん演じる斉藤千絵=jと一緒に、東京から北上して彼を追いかけるバディ・ロードムービーになる。ここから先は、大きな仕掛けのダンスなどはなく、ちょっとちんまりしてしまうのが残念と言えば残念。
 途中で合流したchayさん演じる山本洋子≠ェ、元カレの結婚式に「ウェディング・ベル」を歌いながら乱入するシーンがあるのだが、ここではヒロイン静香にも、洋子をサポートしつつ派手に花婿に踊るテロリストぶりを発揮してほしかったところかも。

 なんだかんだとすったもんだがありまして――最後の大団円「タイムマシンにおねがい」のシーンが一番好きだ。ここはカーテンコールなので、今までの登場人物が皆登場する。静香のトラウマも伏線回収して、まさしく「タイムマシンにおねがい」だ。

 劇場が明るくなったあと、隣の細君と顔を見合わせて「楽しかったねー」とうなずきあってしまった。

 この夏は、細君とともに、つらく、悲しい出来事があり、涙の中それを乗り越えてきたのだが、それが一息ついてから観た、この楽しい映画のことを、わたしは一生忘れないだろう。

 笑って流す涙って、いいよね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2019年08月24日

【日記】J:COMの点検営業にちょっと強気で出てみた話

 前回は「某:COM」と伏せ字にして同じような記事を書いたが(「【日記】某:COMの点検営業来たる」)、検索エンジンのことを考えると、伏せ字にすると本当にその情報がほしい人が読めないかもしれないという可能性があることを考え、今回ははっきりと書く。「J:COM」あるいは「JCOM」、「ジェイコム」の「点検営業」である。

 前回の記事を書いたのが2017/06/14。もちろん、2018年の同時期にも、やはり同じような点検営業の電話がかかってきて、そのときも2017年と同じようにのらりくらりと営業トークをかわしてお帰りいただいたのであった。
 ちなみにそのときも、電波の具合は我が家の受像機の電波強度インジケーターで確認し「良好ですね」のあと、怒涛の4K、8K、インターネットの営業トークであった。
 このとき、2017年とは違い、あまりにしつこかった印象があるので、ちょっと腹立たしく感じていたのだ。

 さて今年2019年の初夏にも、留守中に二、三回、J:COMから「点検のためお伺いしたいので、立ち会いできる日を決めたくお電話さし上げました」という留守電が入るようになった。

 今回は、家に病人がいることもあり、また、忙しい時間をくだらない営業トークでつぶされたくないため、ちょっと強気に出てみよう、と腹を決めていたのである。

 そんなある日のこと、電話が鳴った。PHSからである。J:COMからの番号だとわかっていたので、警戒しつつ受話器を取る。

 J:COM「もしもし。結城さんのお宅でいらっしゃいますか。今回は、点検のご案内の電話を差し上げました」

 わたし「その点検ていうのは、義務なんですか?」

 相手は、ちょっと気おくれしたようだった。

 J:COM「いえあの、これはですね、地上波デジタルを弊社のケーブルでご覧いただいている方に行っている、電波がちゃんと来ているかどうかをチェックするですね」

 しどろもどろである。で、ちょっと強く出てみた。

 わたし「チェックっていったって、専用の機械を持ってくるわけでもなく、いつも我が家の受像機のアンテナインジケーターを見て良好っていうだけじゃないですか。そんなのはね、わたしだってできるんですよ」

 J:COM「え、あ、いや、そうなんですけれどもね。ケーブルの太さのご案内とか――」

 わたし「で、いつもそのあとは、いらない4Kだ8Kだインターネットだのの営業じゃないですか。ウチはね、ケーブルでそれはいらないんですよ」

 J:COM「そ、それは、いろいろとご案内さしあげたいこともゴニョゴニョ」

 わたし「でですね、今回もそういう営業をなさるんでしたら、それは不必要ですから。インジケーターだけ見て帰ってください」

 J:COM「……わかりました。そういうご迷惑をかけていたとは申しわけありませんでした。それでは失礼いたします……」

 ありゃりゃ、ショボンとさせちゃったよ……。こっちも胸にチクンとくるものが、これって、恋、ちげーよ。

 なんにしろ、相手が素直に謝ってきてしまったので、後味が悪い。
 後味は悪いが、まあJ:COMの点検営業はこんな感じで見事に断ることができたという例ということで。

 聞いた話によると、J:COMの点検営業は成功歩合制で、契約がとれないと一銭にもならないのだとか。そう考えれば、電話の相手に無駄足をさせなくて済んだよな、と、心も少し軽くなるのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年08月21日

【昭和の遺伝子】夏祭りの思い出

 うちの町内では、夏になると、児童公園で「盆踊り」の夏祭りをするのであった。
 児童公園周りでやるからといって、これがなかなか莫迦にできない。子どもの頃は、それは盛大でにぎやかなものであった。公園周りの道路までずーっと屋台が軒を並べ、普段は夜、シャッターを閉めてしまう商店街も店を開けて、お客さんを呼ぶのである。

 出ている屋台は定番の、綿菓子、金魚すくい、かき氷、射的、やきそばなどのスナック、子どもが好きなお面などの雑貨売りなどなど。
 子どもも大人も、みな浴衣を着て、けっこう楽しんでいたという覚えがある。
 わたしも千円ばかりのお小遣いをもらって、なにを買おうか、なにをやろうかと、姉とぐるぐる児童公園を回って散在したものであった。
「盆踊り」の太鼓はドンドンドン! と迫力があり、周囲の家が振動するくらいである。
 流す曲は、東京音頭とオバQ音頭がエンドレスで、あれは著作権を払ってやっているのかなぁ?
 この頃の盆踊りの祭りは、三夜くらい連続でやっていたような覚えがある。

 もっとも、こんなに盛況だったのは、もう三十年くらい昔の話。時代が進むにつれて、少子化で子どもたちが少なくなったせいか、毎年、ちょっとづつグレードダウンしていくのであった。
 まず、屋台が道路に並ばなくなった。これは道路の使用許可を得るのが面倒ということと、テキ屋を呼ばなくなったせいと思われる。代わりに、町内会の面々がテントを並べて、子どもたちを迎える店を構えるように。しかしこれもやはりプロにくらべればショボい。綿菓子と金魚すくいは、お面売りなどは消えてしまった。

 依然として、祭りの太鼓だけは元気である。ドンドンドンカカカッカ、ドドンがドン! と鳴り続ける。これは町内会に太鼓を打つクラブがあって、年に一度の晴れ舞台、と頑張るから。

 これが町中に響き、前と違って、とてもうるさく感じる。正直、苦痛である。わたしだけが苦痛だったわけではないようで、前は午後六時から十時までドンドンドンとやっていたのが、今は七時から九時頃までで終わるようになった。

 三十年前は、こういう、町内の祭りもそこかしこで行われていて、賑やかなものだった。今は大きな神社やイベント会場でのみ大規模に行われ、町内の祭りは淘汰されていくのだろう。
 大規模ショッピングセンターと商店街のような関係のようだ。

 うちの町内の祭りも、一度、二年に一回にしようと決まったのだが、結局、町内会の飲み会の場にしたいのか、一年に一回は、ショボくても開かれ続けている。

 あああ、これを書いている今も、ドンドンドンカカカッカ、ドドンがドンとうるさいのだ。家が揺れるほどである。わたしは耳の病気をしてから、静寂な空間が好きなのである。
 これを書いたら、耳栓をした上にイヤーマフをして、横になることにする。
 ちょいと短いが、今回はこれにて御免。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2019年08月17日

【映画評】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(ネタバレあり)・その2

 の続き。前回はほぼあらすじだけで終わってしまった。

 世間の評では、ラストの「あまりの蛇足さ」に、監督らが独自色を入れたいがための自涜行為だと言われている。ひょっとしたら――

 坂場「うーん、ダメですね。これではただのドラクエになってしまう。わたしは納得いきません」
 下山「では、このストーリー全体がゲームだった、というのはどうでしょうね」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」
 仲「それはね、いい視点だと思うよ」
 坂場「主人公は、バーチャルリアリティでこの映画のゲーム世界を楽しんでいるんですよ。最後にそれに気づかされて、本当の敵に出会う」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」
 坂場「本当の敵というのは、ウイルスで、実はずっと一緒にいたスラリンがワクチンだった、というのはどうですか?」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」


 などという会話が交わされていたのかもしれない。後々のために書いておくと、これは今、NHKの朝ドラでやっている「なつぞら」のパロディである。

 さて、多くの「反ドラクエ ユア・ストーリー派」を敵に回してしまうかもしれないが、わたしは、だいたいのネタバレを知りつつ観ていたので、この結末、うーん、そう悪くはないんではないの? と思ってしまったのだ。

 最近は歳を取ったので、感想を言語化するのに時間がかかってしまうのだが、帰りに寄ったファミレスで細君と話しながら、どうやら心がまとまった。

「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」は、宣伝方法を間違えたのである。

 わたしはもう人生半分終わったオトナである。その昔、リアルタイムにドラクエにハマった経験もあるが、今となっては「え、ドラクエ? そんなもんオワコンでしょ?」と思っている。ゲームはもう全然しない。まともなオトナはね、仕事が忙しくて、ゲームになんてハマってる時間はないんですよ。だから公園にたむろするポケモンGO勢に、内心「早くオトナになれ」と毒づいている。そんな層。

 そういう層に向けて、この「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」は作られているのだ。
 観終わったあと「そうだ、そうだよな。あのドラクエを遊んだ時間は、本当に冒険だったんだ」と郷愁を感じさせ、ゲームにハマっているオトナたちに対し「まあそれもいいんじゃない?」と思わせる。そんな映画だったのだ。

 つまり、本作は、はなっから、「ドラクエ好き好き」クラスタに向けて作られた映画ではないのである。
 宣伝で、たとえば「ドラクエを忘れたオトナたちに」とか。「ドラクエはオワコンではなかった!」とか「感動を失ったかつての勇者たちへ――」とか謳えば――うーん、それでもやっぱり、悪評は出てきただろうな。

 なにしろ、わたしがこの作品を見に行った理由が「悪評がおもしろそうだったから」である。最初っから、観劇リストから除外されていたのだ。だって、ドラクエなんてオワコンだと思っていたから。
 わたしのようなひねくれ者でもなければ、そんな層がいまさら「ドラクエ」の映画なんて観るわけがない。

 わたしは本作を佳作とは言わない。しかし駄作ではないだろう。あのラストを含めて良作くらいには感じる。

 不満点があるとすれば、主人公が「ただの青年」とわかるシーケンス(街のVR屋で云々のところ)は実写にすべきだったと思う。そこまでやってくれれば――もっと悪評はひどくなるだろうと思うが――わたしは手を叩いて、やってくれたな山崎監督! と、心中、快哉を叫んだろう。


(宇宙戦艦ヤマト24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」より引用。「やりおったなヤマザキ^h^hトめ」のシーン)

 真面目に製作側の肩を持つとすると、「早くオトナになれ」というのは、なんらかのクリエイションを志し、努力してきたものに、世間が言う呪いの言葉なのである。
 映画監督でも、脚本家でも、小説家でも、マンガ家でも、「その職業につきたい」と言うと、必ず世間は「早くオトナになれ」と言ってくる。
 その言葉を発した「ミルドラース」という名の世間を倒す、というこのお話は、決して製作陣がふざけて創ったわけではないし、むしろ真摯にクリエイターを志したり、またくじけそうなクリエイターを励ますいいシーンだと思うのだ。

「早くオトナになれ」というのは、それだけパワーワードであるし、呪詛の言葉でもあるのだ。
 観劇者が、この言葉にグサリときて反発を覚えてしまったのは、監督を始め製作者側の誤算だったのではないだろうか。

 あとね、作中、これは腹が立った。許しがたい蛮行である。本作を――世間の評よりは――評価している筆者だが、これだけははっきり意見表明しておきたい。

 花嫁はフローラ!!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評