2019年11月02日

【映画評】イエスタディ

 映画館の番宣でこれのトレーラーを見たとき、「アレッ?」と思った。このアイデアはもう作品化されている。藤井哲夫先生原作で、かわぐちかいじ先生がマンガ化した「僕はビートルズ」がそれだ。


(原作:藤井哲夫/画:かわぐちかいじ「僕はビートルズ」1巻より引用)

 ちなみに、「僕はビートルズ」のストーリーはこんな感じ。

 現代の日本でビートルズのコピーバンドをやっていた四人は、ひょんなことから、ビートルズがデビュー直前の1961年にタイムスリップしてしまう。紆余曲折あって、彼らはビートルズよりも先に、ビートルズの楽曲を演奏して売り出すことにし、世界的な大ヒットとなってしまう。さて、彼らと、ビートルズの運命やいかに――


 もちろんわたしは、本作品の監督や脚本家が、「僕はビートルズ」を見てそれをパクった、などとは言わない。以前から書いているとおり、アイデアは海の水をすくうようなものだからだ。同じビーチで水をすくえば、同じような成分になる。同じ海で同じ魚を穫れば、生なら同じ味がするだろう。
 しかしこの同じ魚をどう料理するかが料理人の腕。その東西の差にがぜん興味が沸いてきた。というわけで、やっているハコも少ないが劇場へ足を運んだ次第。

 あらすじ――ジャックはイギリスの片田舎で、売れないシンガーソングライターをしている。幼なじみのエリーはマネージャーとして献身的に彼を支えているが、二人の距離は微妙な関係。
 今日もショボいステージで歌ったあと、ジャックは弱気になり、エリーに励まされつつ、ひとり自転車で帰路につく。
 と、そこで、世界規模の十二秒の大停電≠ェ起こる。折り悪くジャックはちょうど通りがかったバスにひかれてしまった。
 ベッドで意識を取り戻したジャック。退院祝いでもらったギターを使い、仲間たちの前で、今の気分を歌うつもりでビートルズの「イエスタディ」を歌い出すと、みながシンとする。
「いい曲だわ」とエリー。だが誰も、それがビートルズの曲だとは知らない。からかわれているのだと激怒したジャックは、エリーとなかばケンカ状態でひとり家に戻り、インターネットで「beatles」と検索してみる。しかし出てくるのは「甲虫」ばかり。なんと、この世からビートルズの存在が消えていたのだ。もちろん、その楽曲ともども――。
「あの芸術が失われた世界なんて!」ジャックはなかば状況に巻き込まれるように、ビートルズの楽曲を歌い、そして徐々に話題になり、やがては世界をまきこんだ大ヒットとなっていく。
 反面、ジャックは大きなプレッシャーに潰されそうになりつつ、また、エリーとの間に開いていく溝に悩む。
 さらには、ビートルズを忘れていなかったのはジャックだけではなかった。彼の前に、黄色い潜水艦の模型を持った二人組も現れ――


 ネタバレ記事にはしたくないので、このあたりまでにしておこう。

 さて、年齢的に言えば、わたしはビートルズ世代ではない。わたしの上の上くらいがビートルズに熱狂した世代である。そんなわたしでも、もちろんビートルズの有名な曲は知っている。
 さらには、ビートルズにはちょっと苦い思い出もある。中学のとき、同じクラスの女の子がとてもビートルズが好きで、皆にアンケートをとったことがあったのだ。当時のわたしはクラシック一辺倒だったし、ビートルズの真価のなんたるかを理解していなかったので、ちょっとキツめの答えを書いたような憶えがある。その女の子を傷つけてしまったのではないかと、今でも逆にトラウマなのだ。

 和製の「僕はビートルズ」はコメディではなく、シリアスドラマで、よく調べてあるなぁ、原作の藤井哲夫先生はかなりのビートルズマニアなのだろうな、と思っていたが、今回の映画で評論家が「僕はビートルズ」を酷評していた(らしい)という話を聞いて、「いやあマニアの世界は深いなあ(コナミ館)」と感嘆するばかりだ。

 それくらいのビートルズしか知らないわたしだが、本作「イエスタディ」は楽しめた。ビートルズのあれこれを知っていれば、もっと楽しめたのだろうな、と残念に思う。
 コメディだが感動的なシーンもある。ジャックが大きなプレッシャーの中、大観衆を前に歌った「Help!」は鳥肌ものだったし、イエローサブマリンの二人組とのやりとりや、その後に起こるミラクルには、心が暖まった。

 反面、ストーリー構造としては、「僕はビートルズ」はビートルズ抜きにしてはできない話であるのに対し、本作「イエスタディ」は、主人公を絵描きにして、タイトルを「ゲルニカ」にしても成立する。中身は突然のヒットに巻き込まれた主人公と、微妙な関係にある幼なじみの女性とのラブコメでもあるからだ。
 そういった甘い点は、むしろ、わたしのようなビートルズマニアでない者でも楽しめる、というメリットに傾いているように思う。

 ラストも実に良かった。「僕はビートルズ」のエンディングも余韻があって良かったが、エンディングの軍配は本作「イエスタディ」にあげたい。
 本作「イエスタディ」を観ると、また「僕はビートルズ」を読みたくなるし、「僕はビートルズ」をすでにお読みの方は「イエスタディ」も楽しめると思う。ぜひとも両作ともご鑑賞をお勧めしたい。
 そして、二作とも読み、見終わった後は、ビートルズを聞きたくなることうけあいだ。これも「Hey Jude」を聞きながら書いている。

 それにしてもビートルズがいないと「コーラ」も「タバコ」もなくなってしまう世界(このふたつはビートルズと関係が深いのだそうです。検索ヨロ)、「ずうとるび」もなくなっちゃって、笑点の大喜利はどうなっちゃうのだろう、などと、日本人としては思ったりもして。

 山田くーん、結城さんの座布団、全部持ってって!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評