2016年06月13日

【回想録】「深夜のお茶会」の思い出・その1

「深夜のお茶会」を始めたのは、1995年の秋だったと記憶している。今、私的ネットでの自分の書き込みログを検索してみたところ、11月17日にFTP転送したことが記してあった。
URLはhttp://www.bekkoame.or.jp/~kyo-suke/。
ベッコアメは当時、リムアーツと並ぶ新興プロバイダのひとつで、会員になるとひとり10メガのホームページスペースを持つことができた。そう、ホームページ。ウェブサイトという言い方は、まだ一般的ではなかった。

Windows95の日本発売が1995年11月23日だったから、その直前である。Windows3.1をインターネットにつなげるためにはWinSockが必要で、わたしはインターネット・カメレオンというソフトを買ってきてダイヤルアップIP接続をしていた。ちなみにテレホーダイが始まったのも1995年。すぐに飛びついたはずだが、この時点ではなんとベッコアメもリムアーツも地元にアクセスポイントがなく、電話代すら従量制だった。それでも深夜は料金が安いのでアクセスは深夜ばかりとなる。

カメレオンにはメールクライアントやネットニュースリーダが添付されており、ウェブブラウザもついていた。が――「ウェブサーファー」という名のそれはバックグラウンドの色指定はもちろん、文字などの中央寄せもできないという代物。そしてアクセス中にロゴのカメレオンがうねうねと動くのである。
インターネット・カメレオン
(当時の書斎。写真右に「インターネット・カメレオン」の箱が見える。画面上では、このカメレオンがうねうね。きもっ)

当時、どこかの書き込みで、「誰しも爬虫類がうごめく不気味なブラウザではなくネットスケープの美麗な画面でホームページを作りたいと思っているはず」というようなものがあって、大うけしてしまった。

接続には14400bpsモデムを使っていて、これではウェブサーフどころかネット山登りだ、とボヤいたものだ。

当事の14400bpsは現在の体感速度に比例換算するとADSLくらいである。ざわ、ざわ……。いやつまり、個人が手にできる環境ではそこそこ速かったのに、ということで。

このあたりの思い出はまた別に書くとして、当時の個人ホームページをとりまく環境は、光で常時接続、スマホでどこでもアクセスが当然の世代から見れば、信じられないくらいプアだった。なんと従量制のプロバイダすらあった時代である。自分でもその記憶に驚いている。

そのような中で、みなHTMLの解説書を見ながら、テキストエディタでポチポチと「ホームページ」を作っていた。企業や公共団体より、個人サイトの方が多かった時代である。当時なにかの記事で、インターネットの中身はまだまだワールドワイドウェブにはほど遠く、正体はワールドワイドコミケットだと書いた覚えがある。

いやむしろ、ワールドワイドコミケットだからこその楽しみがそこにはあった。テレホーダイが使えるようになった後では、毎晩毎晩、日本語のサイトを探してはアクセスしていたせいで、たいていのページは一度は見たことがあるようになり、学生さんが授業で作っていたページまで拝見していたくらいであった。

Windows95でインターネットが少しは身近になりつつあったが、デジタルディバイドの落差も大きく、真顔で「ホワイトハウスのホームページにアクセスすると国際電話料金が取られるよ」と言うような人もいたくらいである。雑文を書いた雑誌にURLを載せようとすると、そのような怪しいものは載せられないと断られたこともあった。

ああ四方山話が長くなってしまう。だからこういうのは別の記事で書こうというに。

さて「深夜のお茶会」自体はネットスケープで見ながら作成していた。もちろんテキストエディタを使い、文字コードはシフトJIS。

サイト名の由来は、もともと「不思議の国のアリス」のテーマにそって作ろうと考えていたので「Mad Teaparty」をもじり、みなアクセスは深夜ばかりなので「Midnight Teaparty」に。なんと、安直。
しかしそのような目論見はいろいろページを載せていくにつれ、さっさと崩壊していくのであった……。

サイト名の思い出といえば、お開きの直前くらいだろうか、掲示板に訪れた女子中学生(推定)に、いきなり「深夜のお茶会ってよくある名前ですよね」と一言だけ書き込まれたことがある。いや、そうなんだけど、確かにそうなんだけど、わざわざそこの掲示板にそんなことを書かなくても良くなくない? と、苦笑したものであった。

(上記、「推定」と思うからには、きっとそうだと思う根拠がなにかあったのだが、それは思い出せない)

たった一行でわたしに鮮烈な思い出を残されたあのお嬢さん(推定)も、もう人生の四分の一くらいを過ごされただろうか。あのとき、どのような返事をお返ししたか覚えていないのだが、たしか変化球で受け流したように思う。
1995年当時の書斎
写真は1995年当時の書斎より。NETSCAPEの厚いマニュアルがあって今見ると驚きだ。
posted by 結城恭介 at 20:07| 回想録