2016年06月19日

【回想録】「深夜のお茶会」の思い出・その3

ベッコアメはcgiが使えなかったので、アクセスログをとることや、掲示板も作れなかった。レスポンスの受けようがないので、お客さまはいらしているのかなぁ? と手探りのまま更新をしていくことになる。

そんな中で、ネットスケープだけの技で「足跡ボタン」というものがあった。アクセスした人がそのボタンを押すとメーラーが立ち上がり、送信すると設置者に空メールが送られるので、来客があったとわかる仕組みである。

筒井康隆先生が(たぶんよくわからないままに)踏まれて、空メールをいただき、恐縮した覚えがある。お返事で「わたしもいい年になりました」とお送りしたら、「まだ若いですね、裏山椎」といただいた。先生、結城も老眼鏡を常用する年になりましたよ。

cgiもアクセスカウンターだけはつけられたのだが、ベッコアメのそれはどうにも野暮ったく、つける気がおきなかった。カウンターの数字のバックグラウンドが黒一色だけだったように思う。透過gifでもなかった。

ベッコアメというと黒いバックグラウンドという印象が今でも強い。ベッコアメのウェブサイトがそうだったし、それにならってか、多くの人が黒地の白文字のサイトを作成していた。

ものの解説によると、黒いバックグラウンドのウェブページというものは心理的に読む者の攻撃心を増すので、あまりお勧めではないとのこと。確かにそういうページはめっきり減った。
当時、黒地に白文字のページが多かったのは、PCのコンソールがそうだったから自然なことだったのかもしれないとも思う。

星の数ほどサイトがある(この表現は実はいまいち。なんとなれば肉眼で見られる六等星までの数は8,588個しかないから)今と違って、当時はサイト数そのものが少なかったこともあり、個人ホームページには友人を紹介するリンク集をつけるのがならわしであった。

そして(この記憶にびっくりだが)、ベッコアメのホームページでも、会員のページとしてリンク集をつくっていたのである。もちろん黒地に白字で。

ベッコアメは「やらかした」ことがある。一度、ユーザーのホームページを全部消してしまったのだ。一年後くらいに、そちら方面のお役所につとめる友人が「ベッコアメってやらかしちゃったところでしょ?」と言うほど、業界内では有名な事件だったようだ。

しかしユーザーサイドでは、それほど大げさな問題にはならなかったように思う。みな、ローカルに保存したファイルをFTP転送していたこともあるし、ユーザの書いたcgiは動かないのだから、サーバ上だけにデータを保存していた人は多くなかったからではないだろうか。
この頃、ネット用語に「クラウド」などという項目は存在せず、ふつうに雲の意味しかなかった。FFの主人公もまだ登場していない。

もちろん、Googleだってなかった。1995年から一年くらいはネット検索という概念すらなかった。個人サイトのリンク集をたどって情報を集めるのがふつうだったのだ。

ああそうだ、だからこそ、個人ページのリンク集や、リンク集そのもののページが便利だったのである。

Googleはネットの黒船だったが、日本に黒船が訪れるより前にロシアの船がきていたように、Google以前のネット検索エンジンがいくつかあった。

それを最初に体験したのは、他ならぬ日本発の「千里眼」。X68000界隈では有名なK.T.さん作だったと記憶している。私的ネットに「これはすごいよ」と一報入れたのが1996年1月28日のこと。
実際、これは大きな可能性を秘めているものだと思った。今となっては当たり前だが、ロボットがリンクをたどりまくり、データベースを作るという発想に。インターネットを変えるのはこういう技術だと。すごい人はなにをやってもすごい。
とはいえ、回線状況がプアな当時はアクセス負荷が嫌われている時代であったし、個人ホームページ開設者にサイト根こそぎアクセスしてくるロボット嫌いは多かったと思う。「千里眼」もまだ発展途上で、ネットを網羅している感はなかった。

日本初の「千里眼」が世界の覇権を目指せなかったのは本当に残念だ。あのとき、「千里眼」をバックアップする組織があったら――、官民一体でマンパワーをそそぎ込めたら――。今のGoogleは日本で、別の形で存在したかもしれなかった。

もちろん時代背景は数年後とはまったく異なるから、そんなものは夢物語。この頃、オカミにとってインターネットは「なにかわけがわからない警戒すべきオタクどものオモチャ」であったし、我々にとっても「オトナがこない楽しい秘密の広場」感覚であった。ドラえもんの土管が置いてある空き地、当時のインターネットは、そんなイメージ。

どうも話がインターネット黎明期のそれに走りがち。本当はそういうタグをつけて別記事にしようと思っているのだが、どうしても「深夜のお茶会」初期のことを思いだそうとすると、こういったことに触れたくなる。

ところで「深夜のお茶会」は、最初からバックグラウンドに画像を使っていたと記憶している。今回、HDDから掘り出して、http://oops.eek.jp/にも敷いてみた。懐かしいと感じてくだされば幸い。ただ、いつまでやるかはわからない。

――ので、ここにも一枚貼っておこう。ペタリ。


バックグラウンドに再帰画像を使ったページを初めて見たのは、友人宅のマックで、ネットスケープ2.0だった。その美しさは、それまでインターネット・カメレオンのウェブサーファーの灰色画面でサイトを見ていたわたしには衝撃的だった。
当時の良いブラウザは「買うもの」だった。ネットスケープ2.0は買うに値すると思わせるブラウザであった。

ブラウザといえば、X68000にも「ネットスレーブ」というキャッチーなネーミングのものがあって、制作者の方と何度かチャットでお話したことがある。わたしのことは、きっと覚えてはいらっしゃらないだろうけれど。

話をもとに戻して、画像に張られた「:〜」マークは、わたしのハンドルネームを模したもので、パソコン通信の友人がくださった。今でも当時の友人たちは、わたしをそのハンドルで呼んでいる。

画像自体は、フリーで配布されていた再帰画像に、X68000の「マチエール」で編集した「:〜」マークを張りつけたもの。

そして「深夜のお茶会」は、変なバックグラウンドイメージを敷いたページとして、知る人には知られていくようになる。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録