2016年06月21日

【回想録】執筆機の思い出・その4

画面上で縦書きしたい。

これが当時のわたしの悲願だった。この時代、ワープロは企業で使われることが前提であったので、画面上の縦書きは冷遇されていることこの上なかった。

OASYSの上位機種にはCRTを縦長に置いたものもあったのだが、それでも縦書きはできなかったように思う。

文書書きではなく文章書き(しかもオールドタイプ)にとって、縦書きと横書きの文章とではなにかが違う。このシークエンスは原稿用紙で何枚必要――といった習性が身についているし、文章のリズムや全体のイメージが縦書きと横書きでは微妙に違ってくる。
短いセンテンスで畳みかけるとき、横40文字では長すぎる。一行開けで時間送りや舞台の変更を行いたいとき、横40文字では短かすぎる。

当時、中間小説誌は縦二十字で段組を組むのが普通になっており、それはもちろん、原稿用紙が縦二十字だったからで、校正時に照らし合わせるのが楽で間違いが少ないからであった。

まだ電子入校などない時代、印刷所では熟練工が原稿を見ながら、活字を拾って埋めていくのである。
この頃の校正テクニックとして、行が増えないように言葉を増減する、というものがあった。行数が変わると組み直しなどいろいろやっかいなのだそうだ。わたしは印刷所の実際は知らないので、これは聞いた話。
書き手としては、後で手を入れそうなところは読点を多く打っておく(校正時に読点を抜くことで行数を増やさず調整できるから)という手もあった。

活字がすぐにない場合もあり、そういった場所には「〓」が入っていた。これは活字をひっくり返した底の部分をとりあえず入れておくのである。「ゲタ」と呼ばれた。

もちろん、最初から冊子体の書き下ろしならば、原稿用紙の二十字二十行にこだわることもないわけだが、先述のようにストーリーの組み立てで、「ここは何枚必要」「あそこは何枚で密度を減らして」「全体で何々枚になりそうです」というのは、作家も編集者も皮膚感覚であったのである。

第一、原稿料が原稿用紙一枚につきいくら、なのだから、当時の作家は二十字×二十行にこだわった。

おっと読み返してみると、これは二十字×二十行の話であって、縦書き横書きの話ではないな。

縦書きと横書きの違いは言語化しにくい差である。だもので主な理由は情緒的なものとわかるのだが、理屈の方でひとつ言えるのは、横書きの方が視線移動が楽なので、読書速度が早くなることはあるかもしれない。あまり早く読み飛ばされると、書き手としては悲しい。

本当に皮膚感覚だが、縦書きは女性的、横書きは男性的に感じる。横書きは目的指向型で理屈に強く、縦書きは共感型で喜怒哀楽を表現しやすい。
小説ならば、やはり断然縦書きだ。二十一世紀の日本のマンガだって吹き出しはみな縦書きではないか。英訳されたMANGAはどこかリズムが悪くなる。

話をワープロに戻すと、この頃、やっとメーカーもワープロのパーソナルユースのニーズに気づき、ボチボチと家庭向け機種の発売が始まっていた。いやむしろ発売ラッシュだったのかもしれない。家電量販店にワープロコーナーができて、文豪やら書院やらが並び始めた時期だ。

こういうとき、どうもメーカーというのは、ニーズの斜め上に剛速球を投げたがるように思うのだが、それはわたしの感覚が一般とズレているせいかもしれない。
この時期の家庭用ワープロは年賀状印刷機的な機種が多く、脳が指を通して文章を書く道具としてのワードプロセッサを体現しようというものは見あたらなかったように思う。
画面は依然としてうるさく、16ドット文字で、いちファイルにはいる文章量は少なかった。せめて五十枚は入ってくれないと、小説一章分の分量が分割されてしまう。

親指シフトに惚れていたので、富士通以外の機種は選べないという現実も、またあった。
当時、親指シフトにライセンス料というものはあったのだろうか。このあたりは詳しい方に譲るとして、同社のPC、FMシリーズでさえ不採用だったのは実に残念な歴史だと思う。もしFM-8で親指シフトが採用されていれば、わたしはMZ-80Bを買わずに同機を買い、その流れでX68000ではなくFM TOWNSを買い、X68Kユーザを「CD-ROMないじゃん」と煽り、そのうちNECかEPSONを使うようになり、しまいにはAT互換機に駆逐され……ああっ今と同じ!? 歴史を変えられない。まどかぁあーっ!

いや違う、その場合、親指シフトが日本の日本語入力デバイスを席巻していた。日本人にとって、それは幸福な別の未来であったと信じる。

と、これは、親指シフトができるポメラDM100でローマ字入力しながら渋い顔。
あれから二十年経って久々に逢った親指シフト姫は、以前と変わらずお美しゅうあらせられるが、姫様、わたしの方が、PCではローマ字、ポメラで親指、と切り替えられるほど、脳の弾力がなくなってしまいさふらう。
タグ:執筆機
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録