2016年09月26日

【カットリク!】プラチナ

かわすみひろし
プラチナ(1〜2巻(完結))

東京下町の、閑古鳥が鳴く結婚式場「マリコ・マリッジ」で奮闘する主人公とその仲間達を描いたマンガ。
けっこうわたし好みの絵柄で、読んでいるだけで温かな気分になる。
同じかわすみ先生の「大使閣下の料理人(1〜25巻(完結))も本当に面白かった。

あらすじなどは特に触れず、ご興味のある方は書店か電子書籍でどうぞ。

というところで、いきなりだが「カットリク!」

キャプション「なにゆえこの式場には閑古鳥が巣くうのか」
翔太「京子おば…もとい京子姉ぇか。何? 俺今から業者さんと打ち合わせなんだけど」
電話「あんたんとこの神父が酔っぱらって手がつけられないのよ!」
翔太「はい?」
京子「失恋したとかなんとかでさ…」
(中略)
キャプション「理由その(1) 酒グセの悪いディヴィッド神父」




結婚式場が「神父を雇っている」という点でもう「カットリク!」。ありえない。
ここは素直に「牧師」でよかったのではないかなぁ。なぜ「神父」にこだわるのだろう。

カットリク!ポイント43――
カットリク!では民間の結婚式場に勤めている雇われ神父がいる。


カトリックの神父が結婚式場に出向くことは皆無ではない。ただし主日(日曜日)はありえない。
その場合、そのカップルのどちらかが信徒で、親族も信徒で、その家族と指導司祭がとても良好な関係を築いていて、なおかつなにか教会でできない事情があるとき、と考えていただいていい。

カトリックの結婚式は本来、「7つの秘跡」のひとつ、「婚姻の秘跡」である。ミサの中で行うのだ。そして、カップルが所属する教会で行うのが「あたりまえ」である。
というか、ガチカトカップルならば、結婚式場で式をあげるという考えそのものが浮かばないだろう。

教会であげるにしても、最近は若い信徒が少ないので、二人ともカトリックの洗礼を受けた信者ではなく片方だけ、というケースの方が多い。その場合は、言葉は悪いがレベルが落ちて<~サではなく「婚姻の祝福」式となる。

カップルの両方ともカトリック信徒ではない場合は、主任司祭の考え方次第、と言っていいだろう。けんんもほろろに断る神父様もいれば、宣教の一環として引き受ける神父様もいらっしゃる。東京のマリア大聖堂などは、両方が信者でなくても「婚姻の祝福」式をやっているようだ。

どんな場合でも、事前に指導司祭によって、何回か勉強会が開かれる。

結婚式場に出張して「婚姻の秘跡」ミサを行うなどということは考えられないので、やるとしたら「婚姻の祝福」式。それもイレギュラー中のイレギュラーである。このマンガのように、雇われ神父が出てくることなど万が一にもない。

そして、街の「なんちゃって教会」にいる雇われ牧師は、普段は英会話の教師などをしていたりする。本物の教会に奉じている牧師であるかどうかすら怪しい。

ところで、日本でだけは、カトリック教会で「カップル両方が信者でないのに婚姻の祝福」式をあげることが、聖座から許されている。これは日本人にカトリック信者が少ないゆえの特別なはからいだとのことだ。
なので、東京のカテドラル(マリア大聖堂)などでは、平日になると「婚姻の祝福」式をあげるカップルがいくつか見られる。

しかし、日本に住む一人のガチカトとして、ここは言わせてもらいたい。
カップルどちらも信者ではない「婚姻の祝福」式など、カトリック教会では引き受けるべきではない、と。
それどころか、「カトリック教会で式をあげたかったら、ちゃんと洗礼を受けて、堅信も受けてからいらっしゃい」と、諭して追い返すべきだ。

「本物のカトリック教会でウェディング」というと、なにか一段、ステータスがあがるような気がするのだろうか? しかし「教会」というのは、「建物」を表す言葉ではないのである。

たとえばみなさま「同窓会でウェディング」と聞いたら、なにを想像されますか? 「同窓会会館みたいなものがあって、そこで結婚式をあげたんだなぁ」とは思わないでしょう? きっと、出身校の同窓会で結婚式をやったのね、とすんなり思うのではないだろうか。

教会でのウェディングもまったく同じこと。教会は建物を表す言葉ではなく、そこに集う人々を表す言葉なのである。
いくら見かけが素敵なカトリック教会があるからと言って、そこの教会共同体となんの関係もないカップルが突然やってきて「ここで結婚式をあげたい」というのは、出身校の同窓会でもないのに、いきなり勝手にカップルが親族同僚友人を引き連れて突入してきて飲み食いし「金払えばいいんだろ」と札束をまいて帰るのと同じくらい図々しい異常な考えなのだ、とはお知りいただきたい。

だからせめて、日本のカトリック教会は「婚姻の祝福」式までに指導司祭の元で勉強をして、形だけでも教会共同体の中に入れるのだ。
しかし、実際、カトリック教会で結婚したカップルのどれだけが、それから先、洗礼まで行くというのか? ほとんどないのではないか? わたしは今の日本の「婚姻の祝福」式は、カトリックの宣教にほとんど寄与していないと考えている。

世の中、「簡単に入れるクラブではないからこそ価値がある」のである。ウディ・アレンも「I Don’t Want to Belong to Any Club That Will Accept Me as a Member」と言っているではないか。

実はマリア大聖堂の「婚姻の祝福」式には嫌な思い出があるのである。
カトリック信者には「ご聖体訪問」という美しい伝統があって、旅行先でお聖堂に入り、そこのご聖体の前で黙想するのだ。
神父様のご用事のおつきでマリア大聖堂まで行ったわたしたち田舎夫婦は、神父様と別れてから、その大きさに圧倒されつつ、カテドラルの中に入って、すみっこの席でロザリオを繰りながら黙想していた。
確か土曜日だったと思う。中では「婚姻の祝福」式が行われていた。もちろん、そんなことは知ったことではない。洗礼を受けた信徒のご聖体訪問を排除できるのは神だけだ。

ところがそのとき、ウェディングプランナーとおぼしき人物がやってきて、「そこは写真撮影の邪魔になるからどいてください!」と言われたのだ。

なんたる傲慢ぶりか!
ここはカトリック教会である! それも司教座聖堂、【わたしたちの/傍点】のカテドラルなのである!! ご聖体の中におわす主イエスがいらっしゃる場所なのだ。信徒が祈りにくるのが最優先される場所なのである。そんなこともわからないウェディングプランナー風情が、街の「なんちゃって教会」のつもりで、たかが「婚姻の祝福」式の写真のために、洗礼も堅信も受けたれっきとした信徒を聖堂から追い出そうとするとは!
(ウェディングプランナーという職業を見下しているわけではもちろんない。しかし、そのウェディングプランナーが、カトリックのカテドラルがどういう場所なのかを理解していたら、わたしたち祈っている信徒夫婦を追い出すような真似はできなかったはずなのだ。念のため)

岡田大司教様、お忘れですか? このマリア大聖堂の修繕費だって、わたしたちの教区から、信徒皆の献金として出したのです。それなのに、田舎から出てきた夫婦のカテドラルのご聖体訪問に、こんな仕打ちの思い出を許していいのですか?

憤然としながら大聖堂を出て、隣にあった地下の小聖堂で祈った。主よ、日本のカトリック宣教はまだまだです、わたしにその力があるのなら、聖霊を送って、いつかこのことを文章にさせて公表させてください、と。

今ちょうど、その聖霊に満ちてこの文章を書けたので、多少、満足なのである。

わたしはむしろ、これからの日本のカトリック教会は、婚姻ではなく、葬儀の方でこそ、未信者を引き受けるべきだと思っている。葬儀ミサで「カトリックのお葬式はいいですね」と言ってくださる未信者は多い。
葬儀に関しては「葬儀ミサ」のみで「葬儀の式」のようなものはない。もともとが想定されていないから、未信者の葬儀を引き受ける術がない、というのが正直なところなのだが、これからの日本におけるカトリックの宣教を考えるなら、積極的に未信者の葬儀を引き受けることができる、なんらかのシステムを考えるべきだ。聖座も「日本独自の宣教として」許してくださるのではないだろうか。



キャプション「そのチャペルには天使が舞い降りるという……」
キャプション「このチャペルを見上げるために、考えてしまうことが一つある」
翔太(心の声)「神様から見たら、俺達ウェディング・プランナーってのはさぞや変な生き物なんだろうな。キリスト教から仏式・神式・人前婚、何でもセッティングしちまおうってんだから。まあ、節操がないのは、日本人全般の宗教観なんだろうけど」


これはいいことを言っていると思う。
結局、結婚というのは「信仰生活」なのである。カトリックの「婚姻の秘跡」は、唯一、新郎が新婦に、新婦が新郎に与える秘跡になっているのだ。
キリスト教式にしろ、神式にしろ、仏式にしろ、人前式にしろ、なにかに「誓う」という行為なしではスタートできないのが「結婚」なのである。

お互いを信じ、仰ぐ(尊敬する)こと。これが「信仰生活」ではなくなんであろう。
それが薄々わかっているからこそ、人は結婚式になんらかの宗教色をつけてしまうのである。それが「なんちゃって教会」であっても。人前式でも根本は変わらない。

ガチカトのわたしから見れば、街中の「なんちゃって教会」の「なんちゃってキリスト教式結婚式」は、正直、コスプレ結婚式とそう変わらない。それでも、やはり結婚する二人には幸あれと祈る。今の信仰をなくさないで、と。
この二人が、いつか信仰をなくしたとき、その結婚はきっと破綻する。

再度言う。結婚とは、信仰生活に他ならないからである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究