2017年02月14日

【カットリク!】真昼の悪魔・その1

フジテレビで2017/02/04から「オトナの土ドラ」枠で始まったドラマ「真昼の悪魔」。
原作はカトリック作家、遠藤周作であるから、それほどひどいカットリク!はないだろうと思いつつ、日本のテレビドラマであるから、どこがどうなるかわからないぞ、という期待をこめて録画していた。

原作は、四人の女医が登場し、その中に一人「悪魔的な行為」をする者がいて、いったい誰がその「悪魔」なのか、というミステリー仕立てなのだが、このドラマではいきなり「犯人は田中麗奈演じる大河内葉子」ということがわかってしまっている。
もっとも原作も完全なミステリーではなく、どちらかと言えばサスペンスだが。

なお、わたしはそういうことに頓着しない書き手であるので、ポロリとネタバレしてしまうかもしれない。このドラマの先行きを楽しみにしていて、ネタバレ嫌いな方は、ここで別ページへGOだ。

さて、原作冒頭は、四谷にあるイグナチオ教会でのミサで、神父が説教をするシーンなので、ドラマでもあのデカく美麗なイグナチオ教会が見られるのか!? とワクワクしていたが、おっと、小さなお聖堂だ。
って、この聖堂、見たことあるーッ!



このカトリック教会は「【カットリク!】新・警視庁捜査一課9係「殺意のロザリオ」」シリーズで出てきた、あの館林教会ではないか。
教会ロケ地の定番リストに入っているのだろうか。ま、東京に近いしね、さいたま教区は。
あと、このカットからわかるとおり、二階の、おそらく泣き部屋から俯瞰撮影ができるという利点もあるのだろう。

さて、いきなりだが、これは、ミサの説教の場面としてはおかしい。
が、「【カットリク!】新・警視庁捜査一課9係「殺意のロザリオ」」に比べれば、神父がちゃんと朗読台から説教をしているのは良い。



上段で「ミサの説教の場面としてはおかしい」と書いたのは、祭壇になにも置いていないからである。
カトリック教会で、祭壇になにも置かず典礼を行う日は確かにある。年に一回の「聖金曜日の祭儀」である(この日はミサではないので「祭儀」という)。
が、司祭の着ているカズラの典礼色が「緑」であることから、この日は典礼暦で「年間」であることがわかる。聖金曜日ではない。というか、聖金曜日の祭儀が日中に行われることはないし、こんなにガラガラのわけがない。これは週日(平日)の日中のミサである。

となると、祭壇になにも置かれていないミサ、というのはありえないのだ。「ローマ・ミサ典礼書の総則」によって、どんなミサでも、祭壇にはマッパ(祭壇布)を必ず敷き、二本あるいは四本もしくは六本(特別な祝日には復活の大ロウソクを入れて七本)のロウソクを置くこと、となっているからである。

カットリク!ポイント64――
カットリク!のミサは、祭壇になにも置かなくてOK!


さすがの遠藤周作原作でも、カットリク!にまみれた日本のテレビ界で映像化されたら、やはりこのていたらく。

いやしかし、ひょーっとしたら、これはミサではなく「黙想会」という可能性も微レ存ではある。「黙想会」なら祭壇になにもないという場合も……。ああそれでも、祭壇が真っ裸ということはないだろうな。普通はマッパの上にカバーまでかける。
もしこれが「ミサではない」のだったら上記「カットリク!ポイント64」は取り下げて陳謝する。

ロケ場所がイグナチオ教会ではなくてガッカリだが、あそこがテレビドラマの撮影を引き受けるようなことはないのだろう。それはそれでホッとしたりも。

ストーリーは、田中麗奈演じるヒロイン女医が、良心の呵責というものがない自分を醒めた目で眺めつつ、いろいろ「悪いことしましョ!」という流れ。
なんだかこう書くと

「【無感動】感情を失った女医だけど質問ある?【無良心】」

132:本当にあった怖い名無し:2017/02/04(土) 03:48:38
初告解…ども…
私みたいな女医でハツカネズミ殺してる腐れ女郎、他に、いますかっていねーか、はは
今日の医局の会話
あの外科部長がマーシーみたい とか あの針痛い とか
ま、それが普通ですわな
かたや私はストレッチャーの上でもがく患者を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
好きな音楽 マリア様のこころ
尊敬する人間 ポンティオ・ピラト(虐殺行為はNO)
なんつってる間に4時っすよ(笑) あ〜あ、医局員の辛いとこね、これ


などという中二病スレな感じだが。実際、そう。ぶっちゃけ原作もそういう話である。

今回の話で、ちょっと「カットリク!」とは違う点で気になった点がひとつ。
虫垂炎で緊急入院した準主人公「難波」が、前に自分のベッドを使っていた患者が隠しておいたメモを見つけて、仲良くなった病院清掃員の芳賀によって、その患者(加納)を見つけてもらい、質問をするシーン。



難波「あの人が加納さんですか」
芳賀「今は心療内科にいるそうです」
難波「心療?」
芳賀「ノイローゼになったって言ったでしょう? 難波さんがどうしてもって言ったから聞いてあげましたけど、ほんと……」
難波「あのー、あの、これなんですけど、これ、加納さんのですか? 僕、今、前に加納さんがいたベッドに入院していて、その引き出しに――」
すると突然、涙を流して苦悶の表情を浮かべる加納。
加納「ここから出してくれ。この病院には悪魔がいる。俺は正常なんだよ、正常だよ。この病院には悪魔がいるんだよ」


えーっとね、「心療内科」は「精神科」ではありません。「ライトな精神科」でも「行きやすい精神科」でもありません。心療内科は「心に原因がある身体の病気」を扱う科。
加納の様子から言って、これは精神科案件である。
きっと、「精神科」と言ってしまうと、どこからかクレームがくるのではということを恐れて「心療内科」にしたのだろうが、これだと逆に、「心療内科」を標榜する医療機関や患者の方からクレームがきてもおかしくないのではないか?

原作ではどうなっていたかな、パラパラパラ……。
モロにこれに該当するシーンはないが、後に難波が「ノイローゼ」として放り込まれる科は「神経科」となっている。時代を感じますなぁ。もちろん「神経科」も「精神科」とは違う。
わたしは、「精神科医療」はちゃんと「精神科医療である」と言うことが、精神病患者への差別をなくす第一歩だと思っているのだが、このあたりは本記事とだいぶ乖離する内容になるので、またの機会があれば。

なんてヨタ話を書いているうちに、ストーリーは進み、大河内女医は教会へ。
えっ、なんで告解室に入っちゃってるの!? 



大河内「わたしは、一年ほど前から、教会に通っています。それで、以前、ミサでされていたお話に興味がありまして」
神父「何の話でしょう」
大河内「悪魔の話です。悪魔はまるで、ホコリのように、目立たず、気づかれず、人々の心にそっと忍び込むと」
神父「確かにそのような話をしました」
大河内「では悪魔という目立たないホコリが、いつの間にか溜まった人間は、どこでわかるのでしょうか?」


お、やっぱり最初の教会のシーンは「ミサ」でしたか。では上記「カットリク!ポイント64」は――


(浦沢直樹「YAWARA!」29巻より引用)
ということで。



原作では神父に相談を持ちかける人物は「女医」とだけ記されているが、ドラマではもう正体が明かされてしまっている。それは良い。が――

今まで何度も何度も何度も何度も書いてきているが、「カトリック教会の告解室でゆるしの秘跡≠受けられるのは、洗礼を受けたカトリック信者だけ」である。
一年通おうが、十年通おうが、洗礼を受けていない未信者は、告解室でゆるしの秘跡≠受けることはできない。

原作では、冒頭ミサのシーンはイグナチオ教会となっており、あの教会の規模だと未洗礼の未信者を司祭が見分けることはむずかしいと思う。
しかし、本ドラマ程度の大きさの小教区ならば、司祭が、教会によく顔を出している人々が未信者かそうでないかを承知しているのは普通のこと(聖体拝領時にご聖体ではなく祝福を受けるから)。
この女医はあきらかに未洗礼の未信者であることを、神父様は承知しているだろうし、未信者の相談ごとを聞くために司祭がこうやって告解室に相手を招き入れることは絶対にない

「ええー、そうなんだー!」
「じゃ、教会って未信者なフレンズは入れないの?」

いやいや、もちろん教会やミサ自体は未信者なフレンズでもウェルカムである。
が、洗礼を受けていない未信者なフレンズは告解部屋と聖体拝領は「のけものフレンズ」なのである。

「すごーい!」
「おもしろーい!」

いやいや、知能低下してないで、覚えてね。

カットリク!ポイント65――
カットリク!では、未信者が告解室で神父に相談しちゃったりする。


原作では、さすがカトリック作家の遠藤周作、このシーンは「修道会の応接室で相談を受ける」くだりとなっている。女医が未洗礼(クリスチャンではない)であることもきちんと触れられている。
まあ、もしかしたらひょっとして、このテレビドラマ内の設定では「大河内女医は洗礼を受けたカトリック信者」なのかもしれない。逆にそう考えないと、この告解室のシーンはありえない
が、それだと「一年ほど前から教会に通っています」という台詞が矛盾をきたしてしまう。普通、洗礼を受けるまでには、指導司祭のもとで、一年程度、カテキズムの勉強をする期間が必要だからである。

ものすごーくこのテレビドラマ製作者の肩を持って解釈するとしたら「この女医は幼児洗礼で、初聖体も子どもの頃に済ませているが、大人になってからはずっと教会に通っておらず、ここ一年、また通うようになった」という設定なら、まだいける。
遠藤原作にそのような設定がないことは前述の通りだが、今後、上の設定を匂わせたり回想シーンがあるのならウルトラCだ。



こういうシーンが告解室でないと「絵にならない」というテレビ関係者の気持ちはわかる。わかるが、その気持ち自体がもう「カットリク!」信者のそれなのである。

あと、大河内女医がこの告解室で話す内容も、中二病の痛い人レベルの話だ。告解室は「信者が罪の告白と神の赦しをいただき償い方を得る場所」である。人生相談とか、愚痴とかをこぼす場所ではないのである。カトリック信者としては見ていて――


(原作:原田重光/画:瀬口たかひろ「 たまたまオトメ」2巻より引用)

という、なにかムズ痒い気分になってしまう。
カットリク!に洗脳された人々は、ガチカトもこういう話を告解室でしていると思っているのだろうか、と。
まあそれはそれで――

「たっのしー!」

ああ、わたしも知能低下していきそうだ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究