2017年03月31日

【日記】迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ。

タイトルのような言葉が、名言としてネットに定着しているらしい。検索してみると、「至極名言」、「感心する一言」、「グッとくる」、「記憶に留めておきたい言葉」、「鉄則にしたい」、「最上級の教え」とベタ褒めばかりである。

うーん、わたしはひねくれ者なのだろうか。一読して「こんな戯れ言に騙されるかよ」と思ってしまったのだ。ググってみて、こんなに支持されている言葉ということにびっくりだ。

これは、自分の「買いたい」という欲望を正当化し、無駄遣いを後悔させないためだけの文言だと思う。

わたしは至極シンプルな思考をよしとしているので、「使うなら買え、使わないなら買うな」である。
もちろんその際に、価格は検討材料のひとつとなる。迷う価格帯ならば、本当に使うかどうかを再検討。その結果、買わずに済んで良かったという経験を何度もしている(しばらくしたら格段に安くなっていた。とても故障しやすい製品だった。製品寿命が短かった、すでにあるモノを組み合わせたら必要なかった等々)。
だから、「迷う理由が値段なら買え」というのが嘘だということは十二分に承知している。

多くの人は、買ってしまったモノに対し「自分の選択を正当化したい」という心理ベクトルが働くので、「買って失敗したなあ」とは思わない。高い金を出して購入した自分の行動を正当化し、「値段で迷ったけど買って良かった」と結論づけて、タイトルの文言が再強化されるのである。

現代の資本主義社会で、コストパフォーマンスを考慮に入れず「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ」というのは、売り手側の論理に踊らされているのではないだろうか。これを至言と思う方は、後者の「買う理由が値段ならやめとけ」のモノの値段が高くなったら買うのだろうか?
「だったら買わないよ」という声が聞こえそうだが、ブブー。実際、販売の現場では、同じモノを気前よく安売りするよりも、渋い高値をつけていた方が売れる、という莫迦莫迦しい現象があるのである。これはわたしも体験している。高いからこそ価値ある商品だ、と思う層がいるからである。そう、「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ」を至言と思う人々である。

「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ。」というのは、とてもではないが、賢い消費者の行動とは思えない。わたしの「使うなら買え。使わないなら買うな」の方がよっぽど正しいはずだ。吾唯足知である。
「迷う理由が値段なら買え」で買ってしまい、結局使わずに部屋の肥やしになっているモノが多い現代人は多いのではないか? いや、肥やしというのは褒め言葉過ぎる。今の時代、モノが多いのはゴミ屋敷である。

ちょっと改変して、この非婚時代にふさわしく、こんな文言にしてみる。
男性に対しては「迷う理由が相手の年齢なら結婚しろ。結婚する理由が相手の年齢ならやめとけ」
女性に対しては、「迷う理由が相手の年収なら結婚しろ。結婚する理由が相手の年収ならやめとけ」
どうだろう。これも至言になるだろうか?

わたしの考えだと、これもやはり違う。「愛してるなら結婚しろ、愛してないなら結婚するな」である。理想論? いや違う。長持ちする結婚の本質は、やはり「愛しているか否か」だからである。

「迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ」も、上記結婚のたとえと同じである。モノを買うという意味の本質を見誤っていると思う。

とはいえ、そういう購入意欲のある方を「間違ってるよ」という気にはならない。ここまで書いたことは、わたしの個人的な考えであることを明記しておく。わたしはきっと、世捨て人のひねくれ者だから、こんな風に考えてしまうのだろう。

なんにしろ、そうやって無理にでもお金を使ってもらわないと、世の中、回らないものだから、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記