2017年04月29日

【日記】傘盗人に罪は(ピー)

我が目を疑うとはまさにこのこと!

教会での勉強会を終え、司祭館から外に出て傘立てを見てみたら、自分の傘がなくなっている。
まさか、カトリック教会から傘を盗む奴がいるとは思わなかった。

週日(平日のこと)ミサ後の勉強会だったので、他の信徒が間違えて持っていったのではない。また、盗んだのも信徒ではない。なにしろ、ミサ中も勉強会も、みんな見知った顔で、しかも一緒にいたのである。コナン君も「犯人はこの中にはいない!」と言うことだろう。

そんなわけで、小雨が降る中、ショボショボと濡れながら帰路につくわたし。ジャン・バルジャンに銀の食器を盗まれたミリエル司教もこんな気持ちだったのだろうか、などと思いつつ。
おっと、天の声が聞こえる……。

「赦すのです。わたしがすべてを赦したように、あなたも赦すのです。きっと、突然の雨に困った誰かが、あなたの傘を使う必要があったのでしょう。そのことを喜びなさい。あなたは濡れて帰りますが、その方は濡れずに帰ることができたのですから」


おぉ、主よ。なんと暖かいお言葉。アーメン、アレルヤ!

いやいやいやいや。主よ、わたしは濡れて寒いっす。主イエスはもちろん、司教さまならなんなくお赦しになるだろうし、司祭も助祭も神学生も赦すだろうが、いち信徒のわたしは、ちょっとやっぱり、正直なところ、腹が立ったのであった。

これが、コンビニで盗まれたとか、図書館で盗まれたとかなら、まだ怒りの持って行きようもあるのである。それがよりにもよって教会で盗まれたのだから、なんとも、盗んだ相手を赦せないという自分の狭量さに腹が立つ。うーむ。

なんかこう、神さまに試されているような気持ちである。

盗まれたのが、細君とおそろいで買った、ちょっとお値段高めの思い出の傘というところも嘆きの一因なのであった。これがビニール傘なら、「おぅ、俺って現代のミリエル司教じゃん。レミゼかよ」と濡れながらジーン・ケリーのように踊りつつ帰るところだったのに(それは「雨に唄えば」)。あぁ、おれってばほんと、吝嗇家。がっくり。

というわけで、それ以降、心の狭いわたしは、自分の傘の柄にドリルで穴を開け、そこにマリアさまのおメダイをストラップにしてつけることにしたのだった。

こういうちょっとしたアクセントをつけるだけで傘盗人は怯み、盗むとしても他のものを選ぶらしい。おそらく、傘立てに立っている傘たちの無個性さが盗みやすい要因のひとつになっているのだろう。その中でなにか特徴をつけると、電車の中で目立っているちょっと世界軸の違う方が遠巻きにされる、そんな感じでターゲットからは外されるのだ。

というわけで、傘の盗難被害に遭いたくない方は、むしろ目立つアクセサリなどをつけることお勧め。傘立ての中で無個性になるのが一番ヤバいのである。

以前、海外のどこかのホテルで、部屋の灰皿があまりに盗まれるので、裏側に「これはホニャララホテルから盗んだものです」と印刷してみた、というニュースがあった。そして実際、それ以降、灰皿の盗難被害はぐんと減ったというから傑作だ。

傘にもそれを応用できればなおよろしい。内側に「これは結城から盗んだ傘です」とでもテプラで貼っておこうか。

おや? またしても天の声が聞こえる……。

「罪深き小羊よ。貼るならこう書くのです。『盗んでくださってありがとう。あなたのおかげで、わたしは天国に一歩近づきました』と」


おぉ、主よ。本当はすごく、内心、傘盗人にお怒りなのではないですか!?
まあ613あるトーラー(旧約聖書モーセ五書)に記されたミツワー(戒律)を引くまでもなく「盗んではならない」はモーセの十戒の八番目ですものね。

さて、その一件以来、わたしは傘を盗まれず無事過ごせているわけだが、次に盗まれることがあっても、濡れて帰るようなことはないはず。なぜなら、盗んだら盗み返……ちっがーう! 超小型の折り畳み傘を鞄に常駐させることにしたからである。
今日は外出先から帰る途中、突然の小雨に遭遇したが、この超小型折り畳み傘のおかげで濡れずに帰ることができた。帰宅してから思ったが、こういうとき、盗む人は人の傘を盗むのだろうなあ。

傘盗人の諸君! 人の傘を盗む類人猿並の知性があるのなら、今これを読んでいる機械でちょっとググって超小型の折り畳み傘を購入し鞄に放り込んでおきたまえ。
君が人の傘を盗んでいる間にも、人類の文明はどんどん進化しているのだぞ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記