2017年03月29日

【映画評】「パッセンジャー」と「ひるね姫」

三月に入ってから外出時のタイミングがよく、劇場で映画を良く観ることができて嬉しい。春も近いということで「春眠暁を覚えず」。その中でもsleepをテーマにした映画二作の感想を。
前にも書いたが、もうずいぶんパンフを買わなくなったわたしが、それを購入した程度には、二作とも良かったのである。

何度も書いているが、わたしはネタバレを考慮しない書き手であるので、本二作をこれから楽しもう、という方は、ヨタ話のうちに別ページへ去ってくだされば幸い。特に「パッセンジャー」はトレーラー等でも隠している最大のネタバレがあり、わたしもそれに触れず書きたいと思っているが、うーん、それを書かないと感想が実にモニョるものになってしまうのですな。笑ったのは、パンフの解説にも「後から読んで!」と注意書きがしてあったことである。



※ストーリーの重要な部分に触れているため、映画ご鑑賞後にお読みになることをお薦めします。


ヨタ話――わたしは基本的に、加点法の人でいたいと思っている。なので、映画にしろなんにしろ、「100点満点中で80点」のような書き方はしたくない。それに、100点満点だからといって気に入るかと言えばそういうわけでもないのである。全教科100点満点の生徒が、だからと言って赤点ばかりの生徒より面白い人物かと言えば、そんなことはなかろうもん。
最近で言えば「ラ・ラ・ランド」は100点満点だったと思う。でも、わたしの中ではパンフを買うまでにはお気に入りにはならなかった。一緒に観た細君には「完成された詰め将棋の棋譜を見せられた感じ」という感想を伝えた。でもサントラは買っちゃった。

吝嗇家のわたしだが、若い頃、一本だけ、あまりにつまらないので途中で劇場を出てしまった邦画がある。しかしその作品を「とても気に入っている」という方がいることを知り、「素晴らしい」と思った。自分がつまらないと思った作品を、面白いと言ってくれる人がいるこの多様性こそ、世界が神に祝福されている証ではあるまいか。
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。(創世記 1:31)」である。

あと、わたしは元来記憶力が悪いので、監督や俳優で観る映画を選ばない。その監督や俳優が、過去になにを作ったか、演じたかなどを覚えていないということ。映画を観るときは、いつも最初のひとコマから先入観なしの真っ白である。そういう意味では、全然映画ファンではないのだと思う。

てなところでヨタ話は終わり。

●「パッセンジャー」



「パッセンジャー」というと、アン・ハサウェイの「パッセンジャーズ」を思い出す映画ファンの方が多いようだが、わたしはウェズリー・スナイブスの「パッセンジャー57」の方を先に思い出してしまう。あれはけっこう面白かった。いや、本作とはまったく関係ないのだが。

乗客5000名、乗組員258名を乗せた宇宙移民船アヴァロン号。目的の移民星への到着予定は120年後。なもので、航行はコンピュータによるオートクルーズで、全員がコールドスリープで旅をしている。ところが30年の時点で、一人の乗客男性ジム≠ェコンピュータによってコールドスリープから目覚めさせられてしまった。それはすなわち、この船内で、一人、死ぬまで過ごすことに他ならない――。


というSF設定の物語。だが内容ははっきり言って、あとから目覚めてくる女性オーロラ≠ニジムのラブ・ストーリーである。

SF的設定としては穴だらけツッコミ放題である。いくらなんでも、乗組員全員が目的地近くまでコールドスリープでスヤスヤおねんねというのは、ちょっと考えられない。エマジェンシーチーム数名はいざというときのために起きていて、数十年おきにコールドスリープで交代するくらいの安全性があってもいいのではないか。映画という娯楽を得た地球人のミームには、コールドスリープ状態だと眠ったままコンピュータに殺されるという恐怖が刻み込まれているはずである(笑)。

とまあ、設定に文句をいっても仕方がないのだが、実際、船に異常が起きはじめているのに乗組員を起こさない航行コンピュータのアルゴリズム設計者はどうかと思う。ちなみにコンピュータに名前はない。HALでもSALでも、もちろんIBMでもない。

アヴァロン自体は豪華客船で、バーやプール、劇場、ゲームセンターなどもある。食糧も生き延びるには十分な量がある。そこに一人起こされたジムの生活をどう思うかで、その人の人となりがわかるかもしれない。
細君に聞いてみると「もし自分だったら、読書して過ごすからいいかも」とのこと。わたしだったら――

……熟考10分。やはりネタバレは書かない。それをどう思うかが、この物語最大の面白さであると思うからである。

ジムと、後から起きてきたオーロラは恋に落ち、やがて、船がこのままでは保たないことに気づき、決死の覚悟で修復にあたる。ヒロインの名が「オーロラ」なのは「眠れる森の美女」からだろう。ラスト、臨死状態のジムを彼女がキスで起こすのも洒落ていて良い。

ネット評だと「恋人同士で観ると、観劇後の感想の違いによっては不仲になるかも」と言われているが、わたしは是非とも、恋人同士、夫婦同士で観ることをお勧めしたい。なにしろこれは、SF映画ではなくラブ・ストーリーなのだから。
むしろ観たあとの感想戦が楽しい映画である。ちなみに細君は「先に起きていたらあなたを叩き起こす」とのたまった。え!?(これはノロケである。念のため)

豪華宇宙船アヴァロン号のフォルムが実に美しい。遠心力で疑似重力を作る宇宙船のデザインとしては、これまでにない美麗さではないだろうか。
パンフレットには、ラストの船内の様子をアップで載せてほしかったなあ、というのが残念ポイント。二人がその後、充実した人生を送ったことがわかる、良いシーンだったから。

●「ひるね姫」



一言で言って「楽しい映画」であった。
どうもネットでは酷評が多いようなので、生来、天の邪鬼なわたしは、それならどれほどのものかと観に行ったら、これがなかなか「楽しい映画」である。「面白い」でも「興味深い」でもない。「楽しい」映画である。

この「楽しい映画」というのは、けっこう難しいものなのである。
たとえば、ディズニーランドは「楽しいテーマパーク」であって「面白いテーマパーク」ではないでしょう? あれは「今を楽しむ」場所であって、あとで家に帰って「面白さを反芻する」ことを目的とする人はそういない。
そういう意味で、本作「ひるね姫」に寓話的な意味や、シンボリカルな深い考察を求めるのは無意味なことなのだと思う。大きなスクリーンを前にして、今起こっていることをハラハラドキドキしながら観る映画である。

なにしろ、ストーリー自体はつまらないものなのだ。ちょっとまとめてみようか。

来たる2020年東京オリンピックでは、セレモニーでクルマの自動運転をアピールするというイベントが予定されている。ある大手自動車会社が開発にあたっているが、開催日までに完成しそうにない。
その会社は以前、社長令嬢が自動運転の開発を進めようとしていたのだが、社長はそれに反対し、令嬢は会社を去っていったという経緯がある。
時は経ち、令嬢は社長のあずかり知らぬところで結婚後、他界してしまったが、自動運転の完成の鍵となるのは、その令嬢が残したプログラムのソースコードにあることがわかる。
それは令嬢の夫が持っているタブレット端末の中に残されており、そのタブレットを巡って、今は会長となった社長が知らぬ間に、会社の悪役と本作のヒロイン、令嬢と夫の娘ココネ≠フ丁々発止の追っかけ合いが始まる――。


いかがなもんでしょう?
なんだか、観る前から「ああ、ありそうだな」という雰囲気バリバリのストーリーである。そんな昔のプログラムソースに価値があるのかよ、とか、ツッコミどころも満載だ。
これ、このままアニメか実写にでもしたら、つまらない「プロジェクトX」で終わってしまいそうである。

ところが、このストーリーへの肉付けがうまい。ココネが眠って見るファンタジックな夢が、上記のありがちなストーリーを異世界でなぞっている、という設定。
夢パートのストーリーは、こちらはこちらで定番の科学技術vs魔法という物語ではあるのだが、ココネが夢と現実を行ったりきたりしているうちに、やがて現実とファンタジーとが融合し、違和感のないままストーリーは収斂。祖父、娘婿、孫娘が、亡き母の夢によってつながるという、ストーリーテリングの正着手エンディングで終わる。

そして振り返ってみると、現実パートと夢パートの連携に破綻がないことに気づく。夢パートでは「ぼくらの」かよと言いたくなるような巨神兵vs巨大ロボット戦が繰り広げられているというのに、である。

もちろん、夢パートの「魔法」が現実パートのソフトウェアであったり、最後に悪役役員が発する「呪いの術」が「SNSでの悪評拡散」であったりと、シンボリカルな制作者側の悪戯は仕掛けてあるのだが、本来、本作はそういったことを深く考察するような物語ではないのだ。最初に書いたとおり「今、スクリーンの前で起こっていることを楽しむ」映画である。

「十分に発達した科学は魔法と区別がつかない」というのは、アーサー・C・クラークの言葉だが、むしろこの物語のベースにあるのは「十分に発達した魔法こそが科学である」のだと読んだ方がわかりやすい。映画冒頭部が現実パートからではなく、ココネの夢から始まることも、それを示唆しているのではないか。物語の端緒を切るのは魔法の話。そして魔法イコール人間の(かなえたい)夢でもある。
ココネの観ている夢は、母の夢――自動運転の完成――でもある。それが現実となってかなえられるという、夢物語なのだ。

エンディング曲の、タイマーズが歌った日本詞の「デイ・ドリーム・ビリーバー」がお気に入りの一曲なので、観る前から「内容によってはそこで泣くかも」と思っていたが、泣かなかった。爽やかなエンドロールであった。

いやしかし、劇中一カ所で、ウルッときた。やられた、と思った。
ココネが夢で見ているファンタジーパートは、父が彼女の小さい頃から聞かせていた物語だったと途中で判明するのだが、そのヒロイン「エンシェン」がココネではなく、本当は彼女の母(社長令嬢)だったとわかる、いちシーンである。

劇中では、現実パート、夢パートにおいても、ココネの母が他界した経緯は明らかにされていない。しかし推測すれば、おそらく、自動運転の実験中の事故で亡くなったのだろうな、とわかる。
そして彼女が最期に夫に伝えたであろう言葉、そのあたりを一瞬にして、理解よりも早く納得させてしまう映像で語ったこのいちシーンに出会えただけで、本作品を観られて良かったと思う。

本作の「デイ・ドリーム・ビリーバー」はいいなぁ。これもアルバムを買ってしまった。今も聞きながらこれを書いている。
やばい、今になって歌詞でウルッとしそうだ。

というわけで、「起こされた話」と「眠る話」の二題でいち記事書いてみた。
これから先は、ハリウッド版「攻殻機動隊」が楽しみである。パンフを買うくらい気に入ったらなにか記事を書く、と宣言してみたり(つまりスルーされたらアレということである。そう囁くのよ、わたしのゴーストが)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評