2017年04月28日

【回想録】日記

わたしの小学5、6年のときの担任は、妙な趣味というか、教育方針を持っていた。生徒全員に大学ノートに日記を書かせ、週末にそれを提出させて、読み、いろいろ赤ペンでコメントをつけたりするのである。
学級日誌のレベルではない、大学ノートに、日々の日記を真面目に書かせ、それにコメントをつける。要するに、生徒との交換日記である

今だったら、人権問題で即炎上事案かもしれない。が、昭和の当時は、そんなことが「教育の一環」として、フツーに通用してしまう時代だった。

しかし考えると、日本は今でも「夏休みの絵日記の提出」とかがある国であるから、この「生徒との交換日記」も、平成の今でも教育として通用するのであろうか。
ちょっとググってみたが、学級日誌レベルの情報交換日誌はあっても、「生徒にマジ日記を書かせて先生が読む」といいう話はなさそうだが……。

日記の内容がよいと先生に誉められ、クラスの文集に転記して掲載されたりする。
わたしも一、二回はその「名誉」にあずかったが、うれしくはなかった。こまっしゃくれた生徒だったわたしは、そういう日記は「これは先生受けするだろうな」というセンを狙って書いていたからである。

わたしの感覚から言えば、夏休みの絵日記だろうと、自分の日記を先生に読まれるのは「キモッ」である。思想調査とまでは言わないが、生徒の感情や人間関係を管理するひとつの方法だったのかもしれない。あまりいい趣味とは言えないのではないか。
なので小学生のわたしは意識して、その日の行動記録しか書かなかった。日記ではなく日誌である。

 起床7時。いつもどおり学校へ。授業をこなす。帰宅して夕食までテレビ。「キカイダー」は特撮物としては唯一面白いと思える番組。夕食は、卵焼き他。この日記を書いて就寝。


こんな感じである。
で、これを続けていたら、ある日先生の怒りが爆発してしまった。赤ペンで日記の最後に――

「結城はもうちょっと真面目に、毎日思ったこと、感じたことを書くように!」

内面吐露の日記なんて書いて先生に読ませたくないよ! と、正直心の中でぶすくれたが、まあ先生を敵に回すのは得策でないので、たまには先生受けする内容の日記を書くようにしてバランスを取るようにしたのだった。

この先生に感謝するとすれば、「日記をつける」という習慣が身についたことだろう。

といっても、三つ子の魂百までというやつで、わたしの日記はほとんど小学生の頃につけていた「日誌」そのもの。その日の行動記録である。
一時期はボイスレコーダーまで使って、正確にライフログを取って記録していた期間があったほど。これはさすがに二年で音をあげてやめた。

日記を書く媒体は、大学ノート、ワープロ、パソコン、システム手帳、原稿用紙と、折々で変わっているが、細々とでもずっと書き続けていられるのは、行動記録の日誌と割り切っているからかもしれない。

しかしこの行動記録の日誌というものは、オトナにはわりと役立つのである。一年前の同じ月の頃を読み返すと「そろそろアレに手を着けないと」「今月使うあの書類はあそこにあるな」「あぁなるほど、前回はここで失敗したのか。今回は注意しよう」と、同じ轍を踏むトラブルが回避できるからである。

ブログが「Web Log」つまりウェブ日記であることは周知のことだが、この言葉が一般化する前は、そういうページは「日記サイト」などと呼ばれていたものだった。
わたしも個人サイト「深夜のお茶会」を開いていたが、「日記サイト」をやっている方に対しては危機感ないのかなぁ≠ニ思って読んでいたものだ。
もちろん、ネットワークのダイナミズムを理解し、韜晦できる文章技術を持った人なら良いのだが、そういう知恵や技術を持たない人の「日記サイト」は、かなりの個人情報が筒抜けであった。
今のように、誰しもがネットを使う時代ではなかったからこそ、大きな事件も起きなかったのである。

今は昔のそういった「日記サイト」の役目はツイッターが果たしているが、炎上事件が毎日のように起こっているのはみなさまご存知の通り。

「いまさら日記」を通してお読みいただいている方はご承知かと思うが、わたしはこのブログに、リアルタイムな行動記録は決して書いていない。コンテンポラリーな記事を突っ込むことはあるにしろ、どこかに行った記事は後日談にしているし、これからの予定を記すこともない。
わたしの生活パターンも読めないよう、朝8時に記事を一本自動投稿というペースを続けている。
もちろん、行動記録の日誌は別につけている。

そのかわり、思ったこと、感じたことを中心に、読み物として読者に読んだ時間だけの価値があるものを、ということを意識して書いている(必ずしもそうなっていないのは素直にごめんなさい。わたしの筆が拙いためです)。
おそらく、冒頭の先生が書いてほしかったのは、こういう日記だったのだろうなぁ、と思ったりもする。

なお、この先生は、わたしに「恭介は漫才師か作家になるといいな」と勧めてきた方でもあった。一番いいのは漫才の構成作家になることだったのかもしれないが、まあこんな形で、たぶんあのときの先生よりも年上の自分がいたりする。

20年くらい前、作家として先生に請われ、講演会を開いたことがあった。これはちょっと思い出したくない記憶となってしまったのだが、そのときにお会いしたのが最後である。
今でもお達者でいらっしゃることを祈る。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録