2017年08月09日

【日記】ねぞうアート

「ねぞうアート」という言葉を、恥ずかしながら、今回、初めて知った。
 寝ている赤ちゃんの寝相に合わせた背景を製作して、絵画のようなものをつくる写真のことらしい。
 詳しいことは「ねぞうアート本舗オフィシャルサイト」か、もし将来的に404になった場合は検索でヨロ。

 この「ねぞうアート」のアイデアを生み出した小出真朱さんは、資本金10万で「ねぞうアート」を請け負う会社を作ったとのこと。当時はけっこう話題になったそうだ。それが2016年の6月。社名は「(株)ハハノマド」。
 サイトのURLは「http://www.hahanomad.com/」。ドメインは残っているが、すでにサイトの中身は消失している。法人なのにco.jpを取得しなかったのはもったいないとか、hahanomadでは「母のマッド」で語感が悪いなぁ、とか、ウェブ屋のはしくれとしては感じるところ。

 それが今年2017年7月、負債総額2,000万円で破産したとのニュースが入ってきた。一ヶ月の誤差はあれど、一年保たなかったわけである。

 もっとも「ねぞうアート」自体は2011年に小出さんが個人的に撮影した写真が話題になって、2012年には関連書籍が出版されているので、もう5年は経っているアイデアではある。

 このことについて、口さがないネットではいろいろ言われているが、端的に、果敢に起業にチャレンジした方が、一年で負債を負って会社を畳まざるを得ない結末になってしまったというのは、とても残念な話だ。

 読者諸兄におかれましては、わたしが過去にかいた拙稿「【日記】ひとつの技術だけで起業すると」をお思い出してくださるか、未読の方はご高閲いただければ幸いである。

 アイデアというものは、海の水をすくうようなものである。海の水は誰のものでもない。そして無尽蔵にある。東京の海と、沖縄の海と、カリブの海とでは、おそらく成分が微妙に違う。しかし、隣の人と同じ水をすくえば、その成分はたぶん、ほとんど同じなのである。
 だから、アイデアは著作権で保護されない。

 正直、わたしの感覚としても「ねぞうアート」というアイデア一本のみで起業する、というのは、かなり冒険だったと感じる。はっきり言ってしまえば、無謀、だとも。

 しかし、次々と取材が来て、メディアに載り、話題にもなっていくと、視野が近視眼的になっていき、「これ一本でいける」という高揚した気持ちになることも、またわかるのである。

 だが、これが陥穽なのだなぁ。

 法人化してから破産するまでの期間が早くないか? という声がネットでちらほらみかけるが、逆なのだ。法人化したからこそ、一年で破産したのである。こういうのは、個人事業でまず様子をうかがって、いけると判断してから法人成りするべきだったのである。
 しかしこれも、勢いのあるうちに法人化してしまおう、という気持ちはよくわかる。

 前述の記事でも書いたが、新設法人の3年後の生存率は10パーセントである。とても厳しい世界なのだ。
「(株)ハハノマド」は、話題性もあり、過去にもてはやされた経緯もあるので、こうやって人目に触れて「倒産はやっ」と言われてしまうが、たいていの会社は起業後1年から3年で畳んでいるのが実情なのである。特に珍しい例ではないのだ。

 日本は起業に厳しい国である。というか、失敗した場合再起するのが難しい空気に満ちている社会である。
「死者にムチ打つ」というが、日本はこの死者の体が千切れ潰れ人間の形をしなくなるまでムチ打つ。根っこのところで、成功者をねたむ体質があるのかもしれない。
 それは日本の成功者が「ノブレス・オブリージュ(成功者の義務)」を果たさず、自分の豊かさを、累々と積み重ねられた庶民の死体の上に築いているからであるようにも思う。

 8月6日から15日まで、カトリックは「平和旬間」という期間をもうけており「平和を実現する人々は幸い」というスローガンのもと、祈りのリレーや講話、ミサを行う。今年はそのスローガンに「こどもと貧困」という一文がつけ加えられた。
 逆に言えば、その一文をつけ加えられる程度には、日本はまだ余裕があるということである。

 しかし、今日の食べ物に困るほどの経済的貧困は少なくなったが、(株)ハハノマド破産に対するネットの評を読んでいると、違う意味で、日本は未だ、実に貧困な国なのだと感じずにはいられない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記