2017年09月26日

【日記】人は自分の経験内でしか物事を語れない時期がある

 あれは、FF8が発売されて間もない頃のこと。物語のなかに、宇宙空間に宇宙服のみで放り出されたヒロインを救いにいく、というミッションがあった。

 このシーンを若いプレイヤーは、黎明期のインターネットやNIFTY-Serveで「ガンダムF91」のパクりだと騒いだのである。

 それを読んでびっくりしたのが、わたしのようなオッサンであった。FF8のそのシーンは、1968年のキューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のオマージュであると、すぐにわかったからである。


(映画「2001年宇宙の旅」より引用)

 若いプレイヤーは、いくらそれが「2001年宇宙の旅」のオマージュなんだよ、と言っても聞き入れず、F91のパクリだ、の繰り返しであった。

 わたしはこのとき、「人は自分の経験内でしか物事を語れない時期がある」ということを悟ったのである。

 このブログの最初の方でも書いたが、人間の記憶というものは、20〜30年くらいの容量しかなく、そこから先は、重要なもの以外、FIFO(First In Last Out)で消えていく。逆に言えば、物心ついてからその事実を悟るまでの間は、「自分は自分の人生に起こったことをすべて記憶している」と誤解しているのである。
 そういう若い人で、かつ謙虚さがないと、自分の持っている経験、記憶がすべてという「勘違い」を起こす。「自分の知らない知識が無数にある」ということが肌で実感できていないからである。

 最近で言えば「君の名は。」に感動した、通称「君縄キッズ」だろうか。「君の名は。」が名作であることは言を待たないが、わたしの人生で十指に入る作品か、と聞かれたら、それはさすがにない、と言える。
 しかし、おそらく「君縄キッズ」の彼または彼女は、今までの自分の人生で一番、感動した物語だったのだろう。
 なので、それ以降の似たような絵柄、シチュエーション、設定などのアニメを、短絡的に『「君の名は。」のパクリだ』と、拳を振りあげて言えてしまうのである。

 似たようなケースは他にもある。女の子がホウキに乗って黒猫を連れ空を飛ぶと、即、ジブリ映画「魔女の宅急便」のパクリ……ってあなた、もともと、魔女が黒猫を従えホウキに乗って空を飛ぶ、というのは、「魔女の宅急便」のはるか以前からあった、魔女のイメージでしょうが。

 ここでちょっとまとめておくと――

 パクリ(剽窃):元ネタがわかってしまうとまずいもの。
 オマージュ:元ネタへのリスペクトがあり、むしろ元ネタがわかる人にニヤリとしてほしいもの。
 パロディ:元ネタへの揶揄があり、元ネタがわかってくれないと意味がないもの。

 基本はこんな感じである。

 その昔、ネットで話題になった有名なパクリ事件としては、2005年に、中島みゆきさんの「ファイト!」をHIGHWAY61が剽窃した「サヨナラの名場面」事件がある。わたし自身の感想としては「カバー」ならば納得できるレベルだが、これは中島みゆきさんサイドには無許可で行われたもので、「オリジナル」はもちろん「オマージュ」と言い張るには難しい出来であり、発売元のワーナーミュージック・ジャパンは自主回収の憂き目にあった。
 おそらく、若いHIGHWAY61のメンバーとしては「中島みゆきなんて過去の人」「多少似ててもバレやしない」という思い込みがあったのだろう。

 オマージュの事件としては、2003年から2004年にかけて起きた、PE'Zの「大地讃頌」事件がある。ジャズバンドのPE'Zによって佐藤眞さんの「大地讃頌」がアレンジされ、JASRACを通し適正な権利処理をした上で東芝EMIからCDリリースされたのだが、これが「大地讃頌は一切の編曲を認めていない」という佐藤眞さんから著作憲法上の同一保持権を侵害するものであるとして提訴されたのである。
 結果として、PE'Zは佐藤眞さんと争うことを望まず、東芝EMIはCDを出荷停止にした。
 わたしの感性からすると、このアレンジは素晴らしいもので、これが今、多くの方に聞かれずオクラ入りしたことがとても残念である。
 しかし、原作者の佐藤眞さんがアレンジを望まないのならば仕方がないことも確かであり、単純に割り切れない問題だ。

 閑話休題。

「ねぞうアート」にも書いたが、アイデアというものは、「海の水をすくう」ことに似たところがある。海の水は無尽蔵だ。すくってもすくっても、底が見えることがない。そしてどこの海の水も塩気があるが、東京の海、新潟の海、カンクンの海、それぞれを調べれば、成分は確かに違う。同じ海でも水深によって差異があるのも当然だ。
 このわずかな違いが「アイデア」なのである。
 同じ海の、同じ深度の水をすくえば、その成分が似てくるのも当然なのだ。

 これは特に若い創作者に言っておきたいことなのだが、あなたが描き始めた物語と似たようなそれがメディアに登場してきたとき、「アイデアをパクられたー」と思うのは、あなたの人生経験が、まだ浅いからなのである。
 アイデアは海の水をすくうようなものなのだ。あなただけではなく、何十人もの創作者が、同じ海から、同じような深度で、海の水をすくっていたのである。

 だから、手練れの創作者は「自分のアイデアがパクられた」などと騒ぐことはない。なぜなら、「自分が頭の中で暖めていたアイデアを実現された」経験が、山ほど、それこそノート数冊分くらいはあるからである。「先にやられたなぁ」と苦笑こそすれ、「あのアイデアは俺のだったの。パクられたの」などと憤慨したりはしない。

 以前、統合失調症の方が書いたアイデアノートを拝見したことがある。その方は、自分の思考が周りに漏れていて、自分のアイデアがどんどんパクられていく、と訴えていたのだった。ノートには当時流行っていた「エヴァンゲリオン」から「マトリックス」から、あるいはパソコンの関連製品までが「自分のアイデアをパクったもの」としてリストアップされていた。
 なんとも、病気とは言え、悲しい話である。
 しかし「○○は××のパクリ」と根拠なく騒ぐ人々も、この統合失調症の方と同じ思考に陥っているのではあるまいか。

「人は自分の経験内でしか物事を語れない時期がある」ということを、まだ若く、経験が浅いと自覚している創作者、そして読者も心に銘記しておくべきだと思う。でないと、嘲っているつもりのあなたがの方が、嘲い者になっているかもしれないからである。

 同時に、海からすくったアイデアは、「後もう少し経験を積んでから」などと思わず、背伸びかもしれないと感じても、なんとか形にする努力を惜しまない方が良い。あなたと同じ海、同じ深度で、同じ海水をすくっている人がたくさんいるのである。「デキが悪くても早い者勝ち」なのである。言葉を選べば「拙速は巧遅に優る」だ。
 そしてそれが臆せずできるのも、若さゆえだからである。

 もちろん、中には、歳を取ってもこのことがわからない人がいる。そういう人は、年齢に比して世界が狭く、海の広さを学ぶことができなかった、経験の浅い人なのである。
 巻き込まれるのも面倒だから、遠巻きにして、あまり関わり合いにならないほうがよい。

 若いあなたが経験を積んで、白髪が似合う歳になったとき、オマージュをパクリと叫ぶ若い人に、ニヤリと笑い「あれはあなたが生まれる前の名作のオマージュなんだよ」と教えてあげられる、渋いオッサンになれますように。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記