2017年12月30日

【日記】ながら仕事ができなくなった

 若い頃はそれこそ、「新聞を読みつつ文庫本を開き、テレビをつけっぱなしにしてラジオを流しながらポップスのCDをかけつつ」仕事をするということが可能だった。

 それだけ、集中力があったのである。それらひとつひとつを同時に脳内で処理していたわけではない。タイムシェアリングで面白そうな情報をピックアップしつつ、メインの仕事をこなせていたわけだ。

 それができなくなったのは、どうも未来の細君とつきあい始めた頃からのようである。

 未来の細君が仕事場に遊びにくる。こちらは仕事をしたいのだが、彼女がいろいろ話しかけてくるので、それに答えなければいけない。これらは上記のタイムシェアリングとは違い、生半可な情報処理能力ではできない。なんとなれば、選択肢に失敗すると好感度が下がってしまうからである。ギャルゲーかよ(笑)。

 わたしはあまり家庭用ゲーム機(ファミコンなど)で遊ばないタチだったのだが、そこで未来の細君に「テレビゲームでもやってたら?」と水を向けてみた。さらに、言わなければいいのに、口を滑らせてしまったのである。「いや、ゲームでもやってくれてれば、こっちはこっちの仕事ができると思ってさ」

 三択失敗! 未来の細君の拗ねることへそを曲げることへちゃむくれること。
 ここで彼女を責めるわけにはいかない。なにしろ、彼女も若かったのである。

 しかしまあ、押しかけ女房ではあっても、世話女房ではなかったことは確かだね(笑)。

 そんなこんなもありまして、わたしは仕事をするときは、ヘッドホンをかけ音楽を流して、外部の世界と隔絶した状態で書く、ということに落ち着いたのである。

 それに慣れたら、いつの間にか、ながら仕事ができなくなってしまった。仕事どころか、普通に生活しているときでも、テレビドラマの音声とかが流れていると気を取られてしまってダメ。右から左へ聞き流す、ということができなくなってしまったのである。
 読書なども集中して一巻通して読まないとダメ。途中でいったんしおりをいれてしまうと、つぎにそこを開けたとき、はて、どうしてこうしてこうなったんだっけな? と思い返してしまい、なんとなく、シラけてしまうように。だからわたしは、圧倒的に単行本派。それもなるべく完結作品を読む派である。

 細君はこの「ながら仕事」が平気である。前にも書いたかもしれないが、テレビドラマを倍速再生しつつ、スマホでゲームをしながら、Adobe製品を駆使している。今のわたしにはとうていできない。
 わたしから「ながら仕事」のスキルを奪っておきながら、シ、シドイわ……。

 女性は右脳と左脳をつなぐ脳梁が太いので、ながら仕事が得意。反面、男性はそれが細いので単機能型だ、と聞いたことがある。
 最近、自分でフライパンを振るようになって思うのだが、家事というものは同時にいろいろなことをこなさなければならない複合機能型の能力だなぁ、とつくづく思う。
 よく、「家庭の家事はいくらいくらの労働対価がある」という記事に、莫迦な男が「そんなわけあるか」と言ったり「俺でもできること」「男と代わってみろよ」などと言うが、そういうことを言っている男のほとんどは家事労働の本質をわかっていない。家事労働は大変高度な複合的問題解決能力がないと回せない仕事である。しかもそれには、終わりがないのである。

 もっともこういうのは、本来、男女問わずの能力であるとも思う。いるでしょう。会社では有能な従業員なのに、家に帰ると部屋がゴミ屋敷と化しているお嬢さんが。
 現代では、そういう「単機能型(専門型)」人間が増えてきているのかもしれない。

 思えば、結婚というものも「複合的問題解決能力」がないとできないし、続けていけない最たるものであるかもしれない。
 最近、結婚率が下がっているのも、そのあたりに一因があるのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記