2018年02月26日

【昭和の遺伝子】万博の思い出

 わたしは、日本で開かれた「大阪万博」「沖縄海洋博」「筑波科学博」までは皆勤賞であった。
 その後の「花博」、「愛知万博」にも行っておけばよかったと、今になって後悔している。

 大阪万博に行った頃は、まだ本当に小さな子どもだった。日本は経済成長めざましい頃で、誰もが、明るい未来がくると信じて疑わなかった時代であった。
 往復路とも、深夜バスであった。
 本当に子どもの頃にいったもので、「行った」という記憶しかない。「月の石」は見たかどうか、太陽の塔はどうだったか、全然憶えがないのである。
 一緒に行った母は、あまり回れなくてゴメンね、と謝っていたが、なにぶん子どもであるわたしと姉は、万博にこられたことが嬉しくて、そんなことは全然気にならないのであった。

 大阪万博で唯一憶えているのは、たしか観覧車である。これはお弁当つきで、お弁当を食べながらぐるりと一周する、というものだったと思う。
 このあたり、本当は全然違っているかもしれないが、わたしの記憶のみを頼りに書いているのでよしなに。
 トンガ館で「トンガカッチャ」というお土産のぬいぐるみを買い、喜んで帰路についた。
 ふりかえると、「月の石」はやはり混みすぎていて見られなかったのだろうと思う。

「沖縄海洋博」のときは、もう物心ついていたので、多少は憶えている。このときは往復路とも飛行機であった。
 とはいえ、鮮明な記憶が残っているわけではない。たしか、沖縄は日本返還直後で、もう車線も左側通行、バスも左側から乗り降りする仕様に変わっていたと思う。
「アクアポリス」という、要するにちょっとハイテクな「浮島」が売り物で、会場からそちらへ渡って見学したのだが、内容はもうサッパリだ。


(アクアポリスで見た水族館)

 全体的に規模はあまり大きくなく、沖縄という場所で開いたことに意味があった博覧会であったのだろう。

 沖縄は海洋博よりも、ひめゆりの塔や「ハブとマングースの闘いショー」の方がよく憶えていたり。「ハブとマングースの闘いショー」は残酷で、シナリオ通りハブが負けたのだが、ふだん嫌いなヘビがそれでも可哀想であった。

「筑波科学万博」は、当時、よく一緒にデートしていた(笑)畏友H君と訪れた。
 たった一日で行って帰ってきたので、忙しい一日だったが、いろいろなパビリオンを回って、わりと楽しかったことを憶えている。
 しかしWikiPediaを改めて見てみると、たしかに入ったと言えるのはUCCコーヒー館くらい。東芝館、富士通館は見たかなぁ。お土産屋が多く、そういうものばかり見ていたような気がする。

 以上、三館に行った感想なのだが、ふりかえってみると、本当に「行った」という以上の記憶がないのであった。
 当時は当然「デジカメ」はなかったので、思い出をふりかえるよすがもあまりなく、どんどん記憶から消えていってしまっている。今思うとコンパクトカメラを持参して、もっと写真を撮っておくべきだったかと思う。

 ちなみに、1989年に開かれた「横浜博」は将来の細君と行った。しかしこれは「万博」のカテゴリには入らないらしい。このときは、たしか船橋あたりから出ている高速ジェット船で行ったような記憶。ふたりで観覧車に乗ったことはよく憶えている。

 さて、2020年には「東京オリンピック」が開かれるわけだが、これはなにか観覧するべきなのかどうか悩むところだ。わたしはスポーツはまったくと言っていいほど興味がないのだが、「東京オリンピックのあれ見ましたよ」と後年言えるというのは、ちょっと自慢のタネになるかもしれないから。うーん、うーん。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子