2018年04月13日

【日記】「聖書・聖書協会共同訳」の「敗北(*a)」

 日本聖書協会は、現在使われている「聖書・新共同訳」に変わる次世代の聖書として2010年から新しい聖書の翻訳事業に取り組んでいたのだが、それが今年2018年の11月末、いよいよ発行予定となった。
 新しい聖書の名は、最初「標準訳」と呼ばれていたが、「標準」が差別用語であるという指摘があったそうで(!)、「聖書・聖書協会共同訳」となった。

 今回、その「聖書・聖書協会共同訳」の説明会となる「聖書事業懇談会」へ参加してみた。



 まず、この新しい翻訳聖書に取り組み、実現までこぎつけた関係者の方々に、惜しみない賛辞を送りたい。素晴らしい事業、お仕事であり、ここに至るまでのその労苦たるや、想像を絶するものがあったと思う。

 その上で、である。新しく発刊される聖書の内容を聞き、これはある意味、聖書協会の「敗北(*a)」ということなのでは、と、ふと思ってしまったのであった。

(*a)「敗北」という言葉は、一般的に勝負事などに負けることを指して言うが、日本には「負けるが勝ち」という慣用句があり、ここでは一概に「聖書・聖書協会共同訳」が悪い翻訳であるという意味にはならない。


 さて――実は、上記の「敗北(*a)」は、わざとこのように記述している。というのも、新しく発刊される「聖書・聖書協会共同訳」では、このように、今までの同協会の翻訳聖書との大きな違いとして「脚注」を多くつける、となっているからだ。

 組版サンプルを見ると、下記のような「脚注」がつけられるらしい。



 もちろん、今までの「明治元訳(1887年)」、「大正改訳(1917年)」、「口語訳(1955年)」、「新共同訳(1987年)」にも、わずかだが脚注はついていた。例えばこんな感じである。


(大正改訳の例)


(新共同訳の例)

 しかしこれらは本当に例外であり、可読性をひどく損ねているものではない。

 わたしは新改訳には詳しくないのでそちらには触れないが、脚注が多い聖書と言えば、やはりカトリック純正の、今なら最新のフランシスコ会聖書研究所発行「聖書・原文校訂による口語訳」である。



 その中身は、ほぼ全ページに――



 ご覧の通り、見開き左ページに多くのスペースをもうけ、そこへ、非常に詳しい脚注が記されている。それが多すぎて、通して読むのがしんどいくらいだ。しかし正確性という意味では、今、流通しているどの聖書よりも「正しい聖書」になるのではないだろうか。

 端的に言う。わたしは今の新共同訳が好きだ。
 それは、なるべく読者に判断を委ねず、「ここはこうだ!」という訳者の意思を明確に感じていたからである。それは口語訳にも感じていた。
 脚注が多ければ、それだけ「正しい聖書」にはなるのだろうが、読み物としての可読性は脚注があるたびに落ちる。聖書が「読み物」ではなくクリスチャンの「資料」になってしまう。

 日本聖書協会は、今回の翻訳の目標のひとつとして、聖書をクリスチャン以外にももっと普及させたい、というものをあげていた。今回の「注釈を多くする」方針は、明らかにそれに逆行していると、わたしは感じる。

 懇談会では触れられることがなかったが(多くの方がプロテスタントであったろうし)、はっきり言って、この「聖書・聖書協会共同訳」が成功するかどうかは、カトリックがミサで採用するかどうかにかかっているだろう。なんだかんだ言って、日本のクリスチャンの半分はカトリックなのだ。

 そういうロビー活動が行われているのかどうか、密約があるのか、暗黙の了解があるのか、わたしは知らないが、同じ注釈が多いのなら、この先のミサで、カトリックに護教的な、フランシスコ会聖書研究所発行「聖書・原文校訂による口語訳」が採用されるとも限らない。
 カトリックがミサで「聖書・聖書協会共同訳」を使わない、となったら、日本聖書協会は大打撃だろう(ほんの少しだけ、そうなったら面白いかも、と思っている自分もいる。わたしもやはりカトリックだからフランシスコ会の労に報いたい、という気持ちもある)。

 読み返してみると、新しい「聖書・聖書協会共同訳」に批判的なようにもとれるが、そんなことはない。わたしは日本聖書協会の後援会員でもあるし、今から新訳のページを繰れる日を本当に楽しみにしている。

 今日いただいた資料によると、ヨブ2:9の妻の台詞「神を呪って、死ぬ方がましでしょう」の「呪う」は、原文では実は「祝福して」と真逆の言葉で表現されているのだと言う。
 今回わたしが書いた「敗北(*a)」も、それと似たようなものだと思っていただければ(これは、フランシスコ会聖書研究所発行「聖書・原文校訂による口語訳」の注釈にもついていなかった)。

 まったくの余談。わたしが使っている新共同訳聖書は、もちろんカトリックのアポクリファつきのものだが、それを入れている聖書カバーは、2009年に発行された「日本プロテスタント宣教150周年記念聖書の革カバー」である。



 もちろんプロテスタント66書の聖書とは厚みが違うので、無理やり入れたのだが、入るのである。


(the 150th anniversary of protestant missions in Japanという刻印が打たれている)

 今年11月末に出版される、新しい「聖書・聖書協会共同訳」が、さらにカトリックとプロテスタントを結びつけるエキュメニカル(超教派)の架け橋にならんことを、神に祈らずにはいられない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記