2018年05月04日

【日記】真逆(まぎゃく)

「あっ、ついに使ったね、真逆(まぎゃく)」
「――ふっふふ。バレたか、というのもね」

「【日記】「聖書・聖書協会共同訳」の「敗北(*a)」」の記事の中で、本当にごくわずかな人、それも、わたしの書いてきたものをずっと読まれてきた方は、「あれっ?」と思われたかもしれない。
 わたしは上記記事の中で、初めて「真逆(まぎゃく)」という言葉を使ったのである。

 目ざとい細君はそれを見つけて指摘してきたのであった。
 というか、今までも下書きで一度使ったことはあったのだが、細君の校正チェック段階で「やはりまだ現代の日本語として違和感がある」ということで、そこの「真逆(まぎゃく)」は「正反対」と書き直していたのである。

 今回「真逆(まぎゃく)」を使ったのには理由があった。実は、上記記事で使用した、「新翻訳事業翻訳者兼編集委員」である小友聡先生がお書きになったレジュメに、そのまま、「真逆(まぎゃく)」が使われていたのである。

この「呪って」は原文では「祝福して」です。不思議なことに真逆の言葉で表現されているのです。




 ここはまさか、「真逆」の真の読み方「まさか」ではなく、やはり「真逆(まぎゃく)」だろう(まさか、でも意味は通じないでもないが……)。

 そのレジュメ1ページ目には、このようにも記してある。

(新共同訳ができてから)30年の変化は、聖書解釈の知見だけでなく、日本語にも見られます。30年でどれほど変わるだろうかと疑念を持つ人がいるかもしれませんが、一世代変わると、日常的に用いられる日本語のニュアンスが違ってきますし、また古い言葉が次第に使われなくなります。


 そして、聖書読みにはなじみ深い「嗣業」という言葉が、新訳では「受け継ぐべきもの」に変えられたと解説されている。
 少し長くなるが、おそらく、新訳――聖書・聖書協会共同訳――の真の目的が下記になると思うので、引用する。

聖書の言葉はその時代にふさわしい言葉で的確に表現され、とりわけ若い人たちにきちんと届く言葉で書かれなければなりません。年配者には理解できても、若い人たちに伝わらなければ、聖書は敬遠され、図書館に埋没する古典文書の類になってしまいます。聖書は生きた命の言葉です。今の時代に受け入れられる日本語で訳された聖書が必要とされます。新しい翻訳聖書は次の世代に私たちが遺せる最大の福音伝道の手段でもあるのです。


 そして続く解説ページの中で、「真逆(まぎゃく)」という言葉が、てらいなく使われていたのであった。
 ここにわたしは、小友聡先生の、翻訳者と編集委員の、聖書協会の矜持を見たのである。若い世代に受け入れられる聖書をつくるぞ、という。新しい文章で新訳をつくるぞ、という気概を、たった二文字の「真逆(まぎゃく)」から受け取ったのだ。

 調べてみると「真逆(まぎゃく)」は2002年頃から使われ始めた言葉で、2011年の文化庁「国語に関する世論調査」によると「真逆(まぎゃく)」を使う人は22.1パーセント、使わない77.4パーセントと、決して広く認知された言葉ではない。
 だが「使う22.1パーセント」は圧倒的に若い人、となっているようだ。

 わたし自身は「真逆(まぎゃく)」を「正反対」の意味で使うことに抵抗感は少なかった。もともと、新語はけっこう勢いで使ってしまうところがあるタイプである。むしろ、細君の方が(上記のように)抵抗感を持つ。

 というわけで、わたしは聖書協会の「新しい言葉を使っていくぞ」という決意に心動かされたのである。

 もちろん、十一月末に発売される、「聖書・聖書協会共同訳」の本文や注釈に「真逆(まぎゃく)」という言葉が使われているのかどうかはわからない。
 しかし、このレジュメの「真逆(まぎゃく)」表記を見てからというもの、「聖書・聖書協会共同訳」のページを繰れる日が楽しみになった。
 聖書本文にも「真逆(真逆)」が使われていたら、それはかなり議論になるだろうなぁ、と、今から楽しみで仕方がない。

 レジュメはこのように結んである。

2018年、新共同訳を超える次世代の翻訳聖書の時代がもうすぐやって来ます。


 まだ感触に過ぎないが、わたしも、その息吹を感じずにはいられない。

 追記:ちなみにわたしは、書いた文章をジャストシステムの文章校正支援ツールJust Right!を使い、基本的には共同通信社の記者ハンドブックにのっとって語句統一、校正などを行っているのだが、Just Right! 6.0.1.0において「真逆(まぎゃく)」は特に注意される語句ではなかった。記者ハンドブックでは、「真逆(まぎゃく)」はもう「あり」な言葉となっているようである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記