2018年05月07日

【日記】あなたが生きている今日は――

あなたが生きている今日は、昨日死んだ誰かが、どうしても生きたかった明日。


 この言葉、ネットが流行する前に、すでに「あるもの」として定着しているような気がしていたが、実際には、2002年の韓国のベストセラー小説「カシコギ」の一節なのだそうである。

 小説を読んでいないので、ただ、抜き取られたこの言葉だけの印象論になってしまうが、最初にこの言葉を聞いたときから、わたしは違和感を覚えて仕方がなかった。この言葉が名言としてもてはやされるのはわかる。わかるが、自分には当てはまらないと思っていた。そして、今でもそう思っている。

 なぜ、自分が違和感を覚えてしまうのか、明確に言語化できずに、ずっと困っている。書き出してしまった今も困っている。

 名言として残る理由がわかるのは、根がポジティブな人間にとって、「今を一生懸命に生きる」ことを、これほど正当化してくれる言葉もないだろうからだ。
 死んだ他人と比較して、「おまえは生きてるじゃないか」と叱咤激励のフリをし、相手の心をえぐる鋭利なナイフとしてこの言葉を使うことができるのである。
 このテの人は――

自分が生きている今日は、昨日死んだ誰かが、どうしても生きたくなかった明日。


 こういう考えをする人間がいるということを信じられないらしい。
 おそらくうつ病患者にも「おまえのうつは甘え」と言ってはばからないタイプではないだろうか。

 生イコール善、死イコール悪だということを、なんの疑問もなく受け入れている。しかし、イエスもこう言っているのだ。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネによる福音書 15:13)


 なにが気持ち悪いと言って、これが比較論だからというところがある。死んだ人間という不可侵な存在を引き合いにだして、今、生きていることが苦しいという人を一刀両断にしようとする。今、生きていることが苦しい人に寄り添おうという気持ちなどこれっぽっちもない。突き放し、断絶し、ただ生きろ! と言う。もちろん、手助けする気などさらさらない。ただ生きろ、と言うだけだ。

 どこの精神科医が「死にたいんです」という患者に対して「あなたが生きている今日は、昨日死んだ誰かが、どうしても生きたかった明日なんですよ」などと言ったりするだろうか。
 精神科医は、そういうときは死にたい理由を患者から聞き「あなたはこういう理由で死にたいんですね」と言う。肯定も否定もしない。まずは理解し、寄り添う(姿勢をフリでも見せる)のである。

「あなたが生きている今日は、昨日死んだ誰かが、どうしても生きたかった明日」

 あぁ、やっぱり気持ちが悪い!
 じゃあこうしたらどうだ。

あなたが残したごはんは、昨日アフリカで死んだ子どもが、どうしても食べたかったごはん。


 こちらの方がよっぽど説得力がある。根本的に無茶を言っているということがわかるからである。

 やはり、まとまりがない記事になってしまった。最初から、そうなるとは思っていた。とにかくわたしは――
「あなたが生きている今日は、昨日死んだ誰かが、どうしても生きたかった明日」
 という文言が嫌いなの! 嫌いったら嫌い、大っ嫌いで気持ち悪い。キモッ!

「あなたが名言だと思っている言葉は、いつ死んでもおかしくない誰かが、どうしても好きになれない言葉」

 なの。あーもう、大っ嫌い。キモッ! 近寄んないで。キャーッ! この人なんかおかしいですぅ!!
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記