2018年04月28日

【日記】おや!? 御子(みこ)のようすが……

「おめでとう御子(みこ)は御子(おんこ)にしんかした!」

 なんのことやら、クリスチャン以外、それもカトリック以外の人にはわからないと思うが、イエス・キリストは父なる神の子であり、「御子」なのである。

 さて、読者の皆様、「御子」をどのように読みましたか? みこ? おんこ?
 ちなみにMicrosoft IMEでは「おんこ」では変換できない。「みこ」である。

 ところが、カトリックの典礼式文では「おんこ」と呼ぶのが正式なのである。
 そして典礼の朗読で使われる「聖書・新共同訳」では「みこ」とルビが振られている。
 つまり、聖書朗読のときは「御子」を「みこ」と読んでいるのに、その他の典礼式文では「おんこ」と読む矛盾が、ずーっと生じていたのである。


(今年の「よい牧者の主日」こと復活節第4主日の「聖書と典礼」。どことなく「カルディ」の逸話を思い出す表紙絵である)


(そして第二朗読は1ヨハ3:1-2。「みこ」とルビが振られている)


(次ページの式文にはルビは振られていないが、司祭は「おんこ」と読む)

 それが2018/04/19のカトリック中央協議会からのお達しで、日本聖書協会との協議を重ねた結果、やっと、典礼における聖書朗読に限っては「おんこ」と読む許可を得た、というのであった。

 くわしくはカトリック中央協議会の「『聖書 新共同訳』の「御子(みこ)」の読み替えについて」あたりをご覧くださいませ。

 この読み替えは、今年の聖霊降臨の主日の翌日(5月21日)から実施されるとのこと。

 さて、カトリックの主日ミサは、通常、第一朗読、第二朗読があるのだが、これは朗読台に用意された「ミサ典礼書」を読むのが正式のこととなっている。
 よく、その日の「聖書と典礼」を持って朗読台へ行き、それを読んでしまう朗読者がいるのだが、細かいことを言えば、それはアウト、なのである。

 以前、「ヤハウェ」を「主」に読み替えよ、とカトリック中央協議会からお達しがあったとき、教会委員や教会事務は、典礼聖歌の「ヤハウェ」の上に「主」のシール貼りをがんばったのだが(笑)、今度もミサ典礼書の御子のルビ「みこ」に「おんこ」のシール貼りをがんばらねばならないのだろうか(汗)。

「聖書・聖書協会共同訳」の発行(11月末)を目の前にして、やっとこの変更が行われたという事は、カトリック中央協議会、司教団も、新訳発行後も数年は「新共同訳で行く」という意思の現われなのかもしれない、と思ったりも。

 ちなみに、新しい「聖書・聖書協会共同訳」で「御子」にどちらのルビがついているかというと、やはり「みこ」である。


(「聖書・聖書協会共同訳」のロマ信1:3のサンプルより)

♪聖しこの夜、星は光り、救いの御子(みこ)は――


 という歌詞を、カトリックは歌わない(「【カットリク!】聖痕・後編」参照)という「カットリク!」も、思い出していただければ。御子(みこ)はプロテスタント用語なのである。

 ところで、カトリックにおいて、御子は「おんこ」だが「御父」は「おんちち」と、プロテスタントと変わらない。
「御」にまつわる、ほかのテクニカルタームをいくつかあげてみよう。

「御聖堂」――「おみどう」。「ごせいどう」と読むのはトーシロです。
「御血」――「おんち」。ボエー。
「御体」――「おんからだ」。ただしこれは聖変化したご聖体のみを指す言葉で、日常生活で「おんからだを大切に」などと言ったりはしない。
「御絵」――「ごえ」。なぜかこれは「おんえ」じゃないんだなぁ。
「御メダイ」――「おめだい」。「ごめだい」でも「おんめだい」でもない。不思議。
「御大切」――「ごたいせつ」。その昔、神の愛のことをこう呼んだのです。
「御聖水」――「ごせいすい」。「おんせいすい」とは聞いたことがない。
「御国」――「みくに」。
「御名」――「みな」。
「御心」――「みこころ」。上ふたつと合わせて「み」三姉妹ですな。

 まあ要するに、イエスに関するところは「おん」で、そのほかは「ご」だったり「お」だったり「み」だったりと、統一されていないというのが実際のところ。

 こんなところで、たとえばクリスチャン同士のエキュメニカルな会合などがあったとき、世間話をしていて、「あ、この人、カトリックだな」、「プロテスタントだな」とわかったりするのである(というか、なにも話さなくても、なんとなく、かもしだす空気感でわかっちゃうものなのだけれどね、不思議と)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記