2018年05月18日

【日記】海外旅行で食事が美味い国に行きたかったら

「カトリック国へ行きなさい」これは常識である。

 カトリック国:イタリア、メキシコ、フランス、スペイン、メキシコ等々。
 プロテスタント国:イギリス、アメリカ、ドイツ、カナダ、オランダ等々。

 ほうら、どうでしょう? カトリック国の方が「美味そうだ」と思いませんか?

 これ、実は国だけではないんですよ。例えば、日本の教会のパーティなどで出る食事も、カトリックの方が美味くて、プロテ(ゲホゲッホ、ゲッホ)。ごめんなさい。咳が。いや、今のは忘れてください。ゲホゲホ、ゲッホ。

 ローマ教皇は絶大な権力を持つ歴史があったから、とか、ピューリタンは質素だから、とか、いろいろな考察がなされているが、わたしはこれ、カトリックとプロテスタントの大きな違い、カトリックは毎回ミサで本物のキリストの御体たるご聖体を「食べ物」としていただいているのに対し、プロテスタントは象徴としてパンを食べている違いにあるのではないかな、とも思っている。

 つまり、カトリックの方が、根が「食いしん坊」なんですよ。
 食べることに罪悪感がないの。食べること、イコール、力の源、と思っている。
 例えば、病人に、ご聖体を砕いて水に溶いて飲ませることは意味がない、と、なっている。ちゃんと歯で噛んで飲み込んで食べなきゃダメ、なんだなぁ。
 以前はご聖体は噛んじゃダメ派もいたことはいたが。ご聖体が生けるキリストの御体であり食べ物であるという点では、カトリックは一致していると思う。

 以前「【回想録】余は如何にしてカトリック信徒を選びし乎」で、わたしたち夫婦がカトリックを選んだ(選ばれた)経緯を書いたが、美味しいものに目がない細君的には、カトリックを選んだのは本当に正解であった、と、いろいろなパーティに出るたびに思ったりする。

 対してわたしは、やっぱりこういうところでも、ちょっとプロテスタント派なのだな。食事なんて、とれればいい派。
 立食パーティなどでも、細君は飛び回っていろいろ取ってくるのに、わたしは壁際に立って、細君が取ってきたものをつまみ食いする程度でOK。

 イエス自身は大酒飲みで大食漢だ、と自嘲している。

人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。(ルカによる福音書 7:34)


 しかし同時に、断食もまた奨励はしている。

しかし、この種のものは、祈りと[断食]によらなければ出て行かない。(マタイによる福音書 17:21)


 ところで、日本で一番、クリスチャンが多かったのは、実は戦国時代と言われている。当然、このときのキリスト教はカトリック。日本人に一番合うのはカトリックだと個人的には思っている。

 明治時代になって禁教が解けてから、プロテスタント宣教師が布教を始め、二次大戦後にはプロテスタントのキリスト教ブームが到来したわけだが、結局今は尻すぼみ。これもやはり、日本人にはカトリックが合っている証拠だと思う、のだよなぁ。

 食事の話からずいぶん話題が変わってしまったが、これから、カトリック、プロテスタントを問わず、新しくキリスト教ムーブメントを起こすためには、洗礼なしの未信者の葬式を受け入れる、というようなドラスティックな改革が必要に思う。

 まあ取りあえず、生きている人に言うならば、海外旅行で美味いメシを食べたかったら、カトリック国へ行きなさい、ってことで。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記