2018年06月11日

【日記】十年前に戻ってやりなおしたら……

 きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう。
 だったら、今、やりなおせよ、未来を。
 今のお前は、十年後か、二十年後か、五十年後から戻ってきたんだよ。


 内容はわかりやすいように書き換えたが、この「名言」を聞いた方、少なくないのでは?

 実は、これはコピペで、2ちゃんねるの就職板に書き込まれたものらしい。
 このコピペの初出はいつだろう。ちょっと調べたがわからなかった。2011年1月の「Yahoo知恵袋」には登場しているから、すでに八年は経っているようだ。
 おそらくわたしも、その頃に読んだのだと思う。

 おそらく二年後の2020年、つまりこの名言が誕生してから十年経った時点でも、この言葉を初めて読んで、感動する人は多いに違いない。

 わたしも、最初、この言葉にハッとするものがあった。なるほど、と。そうだよな、と。
 今の自分が、十年前から戻ってきた自分であると思うなら、なんでもできる、やりたいことを先延ばしせず、我慢せず、自分の可能性を信じて、やりたいことを、なんでもやってみよう、と。

 そして、この言葉とともに、八年を過ごし、思うことがある。
 おそらく、今の自分が十年前に戻ったとしても、今の自分は、なにも変わっていないだろう、と。

 いや、どうかな? いくつかの失敗は、あらかじめリカバーできそうだ。しかし本質的に置かれている状況は、今と変わっていないような気がする。

 コーネル大学のギロビッチ博士は「行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」という研究結果を残しているが、これは当たり前なのだ。
 なぜなら、この世、特にこの日本では、「行動して失敗した人間」は、後悔とともに、自ら先に死んでいくから。
 生き延びた人間だけが、「行動しなかった過去」を後悔するという自涜行為にふけることができるのである。

 例えば、あなたは戦場にいて、塹壕から飛び出して敵をやっつけなければいけない状況にいる。
 飛び出すという行動を起こした兵士は、そこで敵に撃ち殺されて、後悔もなく死んでいく。
 残ったのは、塹壕で飛び出すこともできず震えていて、「行動すればよかった」と嘆くばかりの臆病者ばかりになる。こうしてギロビッチ理論がなりたつわけである。統計のひどい欺瞞だ。

 そんなわけで、上記の「きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう」コピペを読んで、もはや感動できない自分が、今、ここにいる。

 じゃあさぞや結城さんは幸せでしょう? と尋ねられるかもしれないが、それがそんなわけでもない。不幸せではないと思うが、毎日を幸福感の中で生きているわけでは決してない。むしろ、青息吐息で、毎日、青い鳥を探して生きているような、そんな日々。
 なにか満ち足りず、なにか不満で、なにか問題を抱え、なにか嘆き、なにか耐え、なにか絶望している。

 最初のコピペも、ギロビッチ理論も、大切なことを見逃しているのである。それは、人間を人間たらしめるのものは、目標をたて、それを極めることではなく、今、今――今、ここにいる自分が幸せであること。ということである。

 今のわたしが、十年前のわたしにメッセージを送れるとしたら、最初のコピペは送らない。

 きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう。
 だけどな、教えてやる。お前は今、幸せなんだ。たとえ絶望の淵にいると思えていても、お前は今、確かに幸せなんだ。このことを忘れたら、お前は今後、なにをやっていても、幸せを感じなくなる。それは、その日々は、地獄だよ。


 と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記