2018年06月06日

【日記】教会の席

 プロテスタントの教会は知らないが、カトリック教会は少なくとも、ほぼ基本的に「自由席」である。

 ほぼ基本的に、と書いたのは、そのときどきにより、初聖体があれば「子ども席」、洗礼者がいれば「洗礼者とその代父母席」、巡礼の一団がいれば「巡礼者席」などが作られることがあるから。
 それと、だいたい「聖歌隊ゾーン」「足の不自由な方の優先席」など、毎回同じ領域が暗黙の了解でつくられている。

 そのあたりは雰囲気で察するしかないが、まあ、左右両方とも、真ん中に座っていれば「そこ、わたしの席」と文句を言われることはないだろう。

 その昔、説教台の前は「アーメンコーナー」、お聖堂の右側は聖マリア像が置かれ女性が座り「マリア座」、左側は聖ヨセフ像が置かれ男性が座り「ヨセフ座」と呼ばれた、となにかで読んだことがある。しかし教会歴何十年という妖怪のような(失礼!)古参信者に聞いても「初耳だね」と言うので、これは都市伝説かもしれない。

 さて、基本的に自由席とは書いたが、そこはそれ、毎週同じ教会に行くものだから、座る位置もだいたい決まってくる。いつも座っている場所に座れないと、ちょっと勝手が違って祈りにくかったりする。
 これはわたしのようなロクでもない信者ばかりではなく、年季のはいったシスターでもそうだと聞いたことがあるので、けっこう、お聖堂の席と祈りとはつながっているものなのかもしれない。

 わたしは以前、教会委員で広報をやっていた関係上、ミサの最中にカメラを持って移動することが多かったので、一番後方の隅に座っていた。
 教会委員をやめてからも後方の席にいることが多かったのだが、ある日、精神障害を持った方がミサの最中、わたしの背後に立ってなにか呪いの言葉をずっと吐き続けていたので(!)、次回からは聖堂のど真ん中に座るようにした。
 不思議とそういう方は、ターゲットを決めているわけではないようで、わざわざ聖堂真ん中まで行ってブツブツ言ったりはしない。ターゲットは変わったようで、そのうち、教会に来なくなった。
 その事件以来、わたしと細君は、いつもそこの中央の席に座っている。

 これが主日(日曜日)と週日(平日)のミサだと、また座る席が違うのが面白いところだ。
 週日のミサは出席者が少ない。わたしの所属教会はそこそこ聖堂が広いので、真ん中に集まればいいのに、これが万遍にポツポツと左右、真ん中と、好きなところに信徒が座るのである。わたしも週日ミサだと違うところに座ってしまう。あの心理は説明できない。
 一度、ゲストでいらした神父さまが「せっかくだからみなさん、祭壇の前に集まりましょうよ」と誘ったのだが、信徒全員、顔を見合わせて、やっぱり動かない。神父さまは苦笑して、ごミサを始めたのであった。

 こういう信徒同士の阿吽の呼吸≠フようなものがやはり存在するわけで、初めてカトリック教会へ訪れる、という方は通ぶらないで、受付で「初めてなんです」と正直に言ってしまうのが一番。わたしにもそんなときがあった。
 そのときは「では慣れた信者をガイドにつけましょう」となったのだが、今やその信者が教会通いをやめてしまい、わたしら夫婦が毎週通っているという不思議。
 最初に与ったごミサは、立ったり座ったりするだけなのに緊張の連続だったことを思い出す。

 そんなわけで、いつかあなたにも「ほぼ基本的に自由席だが実はちょっとお気に入り」な教会席ができますように。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記