今、「まとめサイト」というと、5ちゃんねるの面白い書き込みを抽出して編集し転載、それでアフィリエイト収入を得ているサイトのことを指すことが多い、というか、そういう意味しかなくなってしまった。しかし、もともと「まとめサイト」はそういう意味のものではなかった。
例えば2ちゃん(当時)で祭りが起こる。祭りには最初から参加している者ばかりではないので「今北産業(今、祭りに気がついてこのスレに来た。三行くらいで要約してくれ)」の人も多くなる。
そういう人に「過去ログ読め」というのはちょっと無理な話。2ちゃんねるは999カキコで過去ログ入りしてしまうし、過去ログは「●」がないと読めない。なにより、スレ番号が二桁行くような祭りの過去ログを読んで、それまでの流れを把握するのは大変だ。
そこで、ここまでの経緯や、各種資料、情報などを集約したサイトを、だれかがボランティアでつくることになる。それが、本来の意味の「まとめサイト」だったのである。
祭りも活気がつき始めると「だれかまとめサイト≠ツくってよ」という声が上がってくることは珍しくなかった。
当時はまだジオシティやトライポッドなどの「無料サイト」が活発に稼働しており、匿名でサイトをつくることが容易であった。また、ネットが今ほど普及していたわけではないので、自然、htmlに詳しい人も多く、ゼロから「まとめサイト」をつくることができる人材も少なくなかったのである。。
そして、実はわたしも、いくつかの祭りで、匿名で「まとめサイト」をつくっていたことがあったのである(笑)。
思い出に残るその祭りのひとつは、最初、専門板で起こり、やがてマスコミが取り上げたことで、2ちゃんのメインストリートである「ニュー速プラス」にスレが立ち(ニュー速プラスはマスコミソースがなければスレが立てられない)、加速度的に、いつもは過疎板であるその専門板のスレにニュー速プラスからきました≠ニいう人が多くなっていく。そして祭りはさらに活気づき、騒ぎは拡大再生産されていく、ということになった。
なんだかんだいっても、ニュー速プラスでスレになるのは強いものだなぁ、と思ったものである。あそこにはいろいろルールがあり、マスコミソースが連続して上がらないと記者さんがスレにしてくれない。スレにしてくれないと、祭りが収束してしまう。
そのときの祭りはテレビのある番組がもとであったので、テレビ番組のワイドショーレベルでは、同業者に遠慮してか、延焼を恐れてかほとんど取り上げなかったと記憶している。
しかし、テレビをたたく週刊誌は、例のごとく「週刊新潮」と「週刊文春」が記事にしてくれた。そのソースをもとにニュー速プラスでは連続してスレが立ち、専門板の該当祭りスレも次々と番号を増していった。
わたし自身は、その祭りについてもちろん自分の意見はあったが、「まとめサイト」の管理人としては、あくまで冷静に、賛成派、反対派、懐疑派、確信派などの意見、資料を集め、右にも左にもそれることなく、公平に読者に提供し、判断は読者が持てるように、と努めていたつもりである。
ところが、ニュー速プラスからのお客さん≠ェ多くなってくると、本当にいろいろな意見を持つ人が多くなってくる。当然荒らし≠熨揩ヲ、スレがだんだんと機能しなくなってくるのである。
そしてあろうことか、(結果的には)祭りの終盤にスレが分断し、それをボヤく地下スレまでできてしまい、賛成派、反対派の意見もごちゃまぜになっていき、どうまとめていったらいいものやら困ってしまった。
それを見ていた名無しさんのひとりが「まとめサイトの管理人さんが困ってるよ(藁」と書いてくれたのが慰めである。
ちょうど前後して、それまで倒れたことがなく健康に自信を持っていた自分に、初めての持病の発作が起こった。
これはちょっと、急を争う病状であったので、急遽、わたしのまとめサイトは更新停止すると書き込んで、スレ住人の皆さんには許していただいた(同じ事件を扱うまとめサイトは、わたし以外にもつくっていらっしゃる方がいたので、わたしひとりが更新停止しても大丈夫だったのである。というか、もともとアフィリエイトもなく、匿名無償のボランティアでやっているものであるから、当時の「まとめサイト」の管理人にはそれなりの敬意を払うのがスレ住民の総意であった時代だった)。
そんな感じで、尻切れトンボで終わってしまったその祭りのわたしの「まとめサイト」だが、確かジオシティでつくって、ずいぶん長い間残っていたという記憶がある(今は消えている)。
今でも振り返ると、少なくとも「祭り」の効果はあった、と思っている。ネットがテレビにケンカを売った序開きの事件ではなかったかなぁ。
そして今や、ネットもひとつの勢力として無視できない大きな力となった。オリンピックのエンブレムの盗作を見抜いた祭りなど、実に感慨深い。
そしてわたしは、めっきり、テレビを見なくなってしまった。白黒テレビとともに幼少期を送り、カラーテレビとともに育ち、プロフィールプロでテレビをつけなかった日がなかったわたしが、今やテレビをまったくつけない日の方がほとんどだ。
テレビでいくら有名な芸人でも、知らない人ばかりである。
とは言え、ツイッターとかを眺めていると、テレビの話題が多かったりして、テレビもまだまだ大衆にとって現役なのだなぁ、とは思う。
話がちょっと飛んでしまったが、もともと「まとめサイト」というのは上記のようなものだったのですよ、と、こうして文字にして、記録に残しておきたいと思って筆を執った次第。
最近の「祭り」は「まとめサイト」をつくるだけの人がいなくなってしまったので、ネットの歴史にログとして残っていないのが残念である。
それだけ、ネットも広く、浅くなってしまったということか。
2018年06月20日
【回想録】「まとめサイト」の思い出
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録