2018年07月11日

【回想録】タイプライターの思い出

 ミレニアル世代のみなさまは「和文タイプ」というものをご存じだろうか? むかしは学校の印刷室とか、図書館に置いてあった。

「タイプ」といっても、キーボードはついていない。漢字そのほか、文字の活字がつまった箱の上に、それを拾う機構のついたレバーがあり、一文字一文字、活字を拾っては、プラテンに打つ。プラテンに巻くのは普通の紙ではなく、謄写版用のロウ原紙である。

 むかしは、一般の日本人が書いた文章を「活字」にするには、こんなに苦労が必要だった。一文字一文字拾っては、打つ。そしてロウ原紙を完成させたら、謄写版またはローラー印刷機で印刷するのである。

 なので、自分の書いた作文が活字になって、学校の文集に載るのは、それはそれはうれしいことだった。自分の書いた文章が活字になる。それだけで、天にも昇るような気分になれたのだ。

 PCのメモ帳でちょっと書いて、レーザープリンタで印刷、それだけできれいな「活字」の印刷物ができてしまう世代には、なかなか理解できない喜びだろう。
 ワープロのように、日本語が簡単にきれいに印刷できるプロダクトができるとは、当時、誰も夢見てさえいなかった。
 中学のときの理科教師は「日本語を英語のタイプライターのように打つ機械の出現は不可能だろう」と言い切っていた。そういう時代であった。

 だから、洋画で見る、外国人記者がタイプライターを機関銃のように打って記事を仕上げる、というシーンは実にうらやましかった。日本人には無理だなぁ、と誰しもが思っていたから。

 日本の新聞の現場といえば、初代「ゴジラ」を見ればわかるように、原稿用紙に万年筆を走らせて、タバコの煙がモウモウのなか、みな、ペンだこを作って書いていたのである。
 マンガ原稿もPCで描く時代、「ペンだこ」も過去の遺物になっていくのかもしれない。

 戦後、英文タイプのような「ひらがなタイプライター」というものができ、日本語をひらがな書きにしようという運動もあったが、現実的ではなかった。また、ローマ字書きにしようという運動もあったが、これも上記に同じであった。

 さて、そんなこんなで、わたしにはずっと、英文タイプに対するあこがれがあった。
 最初に打ってみたのは、小学生のころ。家になぜかタイプライターが来たとき。父か母の仕事の関係だったと思う。それをイタズラさせてもらったのだ。確か、オリベッティではなかったかなぁ。
 以前にも書いたが、機械式のタイプライターはフィジカルに指の力が必要である。小学生の指の力では、なかなかきれいに打つことができなかった。
 もちろん、タッチタイプなどはできない。いわゆる人さし指だけで打つ「雨だれ打ち」である。
 間違えて打ったときは、バックスペースし、ホワイトの転写用紙を挟んで、間違えた文字を打つと、白く消えるのである。
 自分用のタイプライターができたのは中学上級生のとき。お小遣いをはたいて買ったのであった。レッテラだったと思う。
 わたしはこれで、タッチタイプを覚えた。
 タイプライターがあったからといって、英語の成績が特別良かったわけではないのはご愛嬌ということで(笑)。
 当時、このタイプライターは、洋楽のカセットや、ビデオテープのケースの文字打ちに大活躍してくれた。
 みなが手書きのなか、タイプで打った文字のタイトルはうらやましがられたものだ。そうそう、まだ、インスタントレタリングが現役のころの話である。

 高校に入り、マイコンMZ-80Bを使うようになったとき、このときのタッチタイプの経験は非常に役に立った。機械式タイプライターと違って、軽く、速く打てる。プログラミングにすんなり慣れていけたのは、このタッチタイプ経験があったからという面もあったと思う。

 予備校生だったころ、Brotherが「電子タイプライター」というものを発売した。タイプ自体はテプラのように小さく、液晶画面も小さかったが、印刷もできた。ただ印刷は8x4ドットではなかったかなぁ。アルファベットだけだったので、それで十分だったのだ。
 神田三省堂で、実機を「欲しいなあ。けど値段がなぁ」と思いながら、いろいろいじっていた記憶を思い出す。
 あれはいわば「英語版ポメラ」の初号だった気がする。

 今、この文章は、出先のスタバで、ポメラDM30で打っている。和文タイプからはじまって、タイプライターをいじって、数十年経ち、今や日本語タイプライターがこうやって当たり前の現実になったことに、感慨を覚えずにはいられない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録