2018年07月18日

【日記】ミラクル・エッシャー展

 東京上野、「上野の森美術館」で開かれている「ミラクル・エッシャー展」を見てきた。



 エッシャー展自体は、過去、中学生時代に見た記憶がある。そのときはエッシャーだけでなく「エッシャーと錯覚の世界」というような複合展ではなかったかな。そこでチャールズ&レイ・イームズの有名な「Powers of Ten」を見たような記憶がある。
 そのときの図録はエッシャーのみのもので、表紙は黄色と黒を基調にした「昼と夜」のものだった。今回、書斎をあさってみたのだが、見つからなかった。残念。

 今回の「ミラクル・エッシャー展」は点数も多く、規模も大きい。
 そして、中学時代から成長したわたしが楽しみにしていたのは、エッシャーならではのだまし絵(トロンプ・ルイユ)ではなく、初期の作品群であるという、聖書を題材にした画であった。

 今回、強く覚えたのは、エッシャーは「同時代の人」であるという感覚である。決して過去の人ではない。ミレニアル世代の方にはそう思えないかもしれないが、わたしと同じ時代を生きてきた人、という思いが不思議とにじんできた。

 そのひとつ。エッシャーはバッハがとても好きだったという。わたしはこの伝聞で、エッシャーはてっきりルター派だと思っていたが(バッハはルター派)、エッシャー本人は敬虔なカトリック信徒だったという。このあたりの教派を越えた感覚は現代人のものだ。

 期待していた、聖書をモチーフとした作品は、天地創造の連作と、バベルの塔。それはすばらしいものであった。


(「天地創造の二日目」ミラクル・エッシャー展「図録」より引用)

 特にバベルの塔は、のちのエッシャーのだまし絵「上昇と下降」を思わせる角塔で、こういう視点でバベルの塔を描いた作家はそれまでいなかったのではないだろうか。


(「バベルの塔」ミラクル・エッシャー展「図録」より引用)

 期待していた宗教画や風景画はとても少なく、また、エッシャー自体も興味を失っていったのか、だんだんとあの有名なだまし絵が増えていく。
 それらは大きなものではないので(版画であるから)、図録や美術の教科書で見たときの衝撃を再び味わえるものではなかったというのが正直なところだ。

 会場を出て、おみやげ物売り場。図録はもちろん購入。スキャンすることを前提にしたようなコデックス装(糸かがり製本)のつくりである。スキャンしてPCの壁紙にする方も多いことだろう。
 期待していた宗教画のポストカードが一枚もなかったのが、とても残念だ。

 エッシャーのだまし絵は、無限の中に永遠を。永遠の中に無限を探しているような感覚がある。かといって諧謔的ではなく、とても真摯で、それはストレートな宗教画とはまた違った、「神(無限・永遠たるもの)を描く」というテーマが通奏低音のようにあるのではではないかとも思う。
 エッシャーの絵を見て「おもしろいなぁ」と感じる日本人は多くとも、その精緻さの中に、神への畏敬を感じられる日本人は、そう多くないに違いない。

 エッシャーの没年は1972年である。若い人はそう思えないかもしれないが、わたしにとっては、本当に最近だ。エッシャーと同時代に生きられたことを幸せに思う。

「ミラクル・エッシャー展」は2018/07/29まで、東京上野、「上野の森美術館」で。この後、大阪、福岡、愛媛を巡回する予定だという。ご興味のある方は、ぜひとも。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記