2018年08月15日

【日記】箸はきちんと持とう

 まだテレビを見ていた頃、日頃、偉そうに物事を上から目線で言っていたあるクリエイターの食事シーンで、彼が箸を「握り箸」で使っているのを目撃し、とても幻滅したことがある。
 いや、幻滅というレベルでは生ぬるいな。もはや軽蔑に近いレベル。
 端的に「この人は育ちが悪いのだなぁ」「健全な家庭で育ったのではないのだなぁ」と連想してしまうのだ。

 なんて書くと、「箸の持ち方で味が変わんの?」「大きなお世話」という声が必ず上がる。まず、味は変わる。あなたの食べているものの味は変わらないだろうが、見ているこっちの料理がまずくなる。そして、大きなお世話である。少なくとも、わたしのように、箸の持ち方で相手を軽蔑する人がいるということを知るというのは大切なこと、大きなお世話をやいてやりたいのである。

 子どもの頃から、この箸使いだから、いまさら矯正できない、というのは嘘だ。
 わたしは宗教柄、外国人の神父さま方とよく食事をするが、みなさん、すばらしく美しい箸使いである。聞けばみな「日本の文化を愛するため、たくさん修行しました」とおっしゃる。
 箸使いのおかしい「日本人」は、日本人でありながら、日本の文化を冒涜しているに等しい。先の外国人の神父さま方のほうが、よほど日本文化を理解し、大切にしている。

 こんな話がある。
 ハリウッドで、撮影のための模型を作っていたが、その模型の内側に、小さな部品を落としてしまった。スタッフがみな、長いピンセットや、棒に両面テープをつけて取ろうとするが、なかなか取ることができない。
 そこにやってきた日本人スタッフ。長く細い棒を箸のように使って、ヒョイッと部品を取ってしまった。Oh! miracle! スタッフの間で大きな拍手が上がったという。

 こんな細かい技は、握り箸では無理であろう。

 正しい箸の持ち方、というが、実際には上記のように、多種多様な場面で二本の棒を使いいろいろなことができる、洗練された持ち方なのである。適正化され、合理化された持ち方だから「正しい持ち方」なのだ。

 もし、過去に「握り箸でもいいのではないかのう」という考え方をする人々が一定数いたなら、書道や剣道のように「握り箸派」とか「握り箸流」という分岐があり、握り箸もひとつの持ち方として認められていたはずなのである。
 しかし日本の長い歴史の中で、そういう流派ができなかった、ということ自体が、「握り箸は間違っている」という論拠になりうる。

「これは俺の個性だから」で押し通すのならそれでもよい。ただ、一定数、あなたの個性を軽蔑する層がいるということは知っておいたほうがよい。それが原因で人間性を判断することは間違っている、とあなたが叫んでも「ほーん。それで?」と、彼または彼女のあなたへの認識は「面倒くさいやつ」で変わらないだろう。

 腕時計はしなくてもいいと思う。ネクタイピンもしなくてもいい。ハンカチを持ち歩かなくてもいい。それでも、箸の持ち方はきちんとしよう。特にゆとり世代以下の方々に言う。それであなたの本質が誤解されるのが嫌だったら、箸の持ち方を直すくらい、どうってことないでしょう? と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記