2018年11月10日

【日記】心を亡くすと書いて「忙しい」と読む

 タイトルそのままである「りっしんべん」に「亡くす」と書くと「忙しい」。人間、忙しいと「心を亡くす」のである。漢字ってよくできてるね。

 わたしなどはその典型的な例。忙しくなってくると、心の整理整頓が間に合わなくなってパニックになってくる。どんなに速くタッチタイプしていても、心のホームポジションとでもいうものを守らないと正確なタイピングができないタイプ。

 毎日コツコツと定量的な仕事をやり、忙しいときと暇なときの差はなるべく少なくしたい。そのために計画をたて、仕事の優先順位を決めて、トラブルの発生は最小限に抑えて、「忙しい」という状況自体を作らないようにしたいのである。
 そうしてポッカリあいた時間があったりすると、映画を観たり、博物館や美術館へフラリとはいってみたりして、「生きている」という実感を味わう。

 ところが、世の中には、「忙しくないと、生きている実感が味わえないタイプ」がいる。次々と仕事を入れるが、計画は(言ってしまえば)ルーズなので、スケジュールはいつもギリギリ。もちろんトラブルは頻発するのでその対処にまた追われ、最後は睡眠時間を削ってつじつまを合わせてプロジェクトを完成させるが、そのときにはもう、次のプロジェクトが始まっている。そんな、過去を振り返ることすら困難な状況の中に、自分の生きがいを見いだす人である。

 わたしの細君がそのタイプ。これはもう、むかしからそう。わたしと一緒にやった小説のイラストレーションでも、請われて描いたゲームCGでも、商業マンガでも、個人的な年賀状でも、はたまたコミケのサークル参加準備でも、とにかく、締め切りぎりっぎりまで、ほぼエンジン全開でブン回す。コミケ準備などでは、わたしがサークル参加でディレクターとして介入するまでは、前日は徹夜が当然であった。

 以前も書いたかもしれないが、コミケには「PostPet」関係の同人ソフトで参加していた(細君はそのずっと前から、別サークルで活動していた)。
 わたしがディレクションする前は、もう、いつも一週間前から直前までバッタバタしていたコミケ参加が、事前の計画通り進み、綺麗に終わったときのことである。帰りの車の中で――

 わたし「今回のコミケは、自分的にほぼ満点かな。計画通りに進んで、トラブルもなく、メンバーに無理を強いることもなく、予想の範囲内で終わった。どう?」
 細君「確かにね――でも」
 細君はちょっと不満げに、こう言ってのけたのである。
 細君「なんか、コミケやった気がしない!」

 ッガーン! いや、細君がそう感じるだろうことは、薄々、わかってはいたのだが、こうもはっきり言われてしまうと、トラブルなくスムーズに終わらせた甲斐はどこにあるの!? という感じだ。

 そう「甲斐」である。わたしはプロセス主義ではなく、結果主義なのだろうと思う。そこに「甲斐」を観じる。
 結果に生き甲斐を感じるから、プロセスが苦しくてしょうがない。結果が出たあとは、次の「甲斐」を求めて、苦しい石ころだらけのプロセスを裸足で歩く。こういうのは、本当はよくないのだ。

 対して細君はプロセス主義なのである。結果はどうあれ、そこまでにいきつくプロセスを楽しむ。楽しめるだけの度量があるのである。つねに生き甲斐を持っている。

 わたしはそんな細君を羨ましく思っているが、配偶者としては、もうちょっと自重してほしいな、とも感じていたり。

 というのも、今年に入ってからというもの、弊社の細君担当のプロジェクトがとても忙しく、横で見ていてハラハラするからである。忙しいのはいいことよ、と本人は言うが、とにかく体調には気をつけてほしいな……。

 最初に帰って「心を亡くすと書いて忙しい」という漢字を発明したのは、おそらくわたしと同じ「結果主義」の人だったのだろう。世の中には、「忙しいほど、心が充実する人もいるんだよ」という結論で、今回は筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記