ちょっと前の記事で、「テレビを見ないことを公言しているわたしが、なぜテレビネタを書いているかはそのうちに」と記したが、別になんのことはない。通い始めたフィットネスジムでトレッドミルを使っていると、目の前にテレビがあるものだから、暇にまかせて、朝の情報番組をずーっと眺めているのである。
わたしがテレビを見なくなったのはいつ頃からだろう。インターネットが快適になるにつれて、テレビから離れていったことは確かだ。
常時接続でなかった頃は、テレホタイムが終わる朝8時までネットをつなぎっぱではあったが、その頃はまだ、ワイドショーを見ていた気がする。
フレッツISDNで常時接続になり、ADSLで劇的に早くなっても、まだテレビはつけていたはずだ。そういえば、その頃でも、2ちゃんでテレビドラマやアニメの実況に参加していた覚えもある。
光回線になって、ブロードバンドという言葉が古くさくなるほど当然になり、動画も重いページもなんでもござれになった年が、テレビと決別した時期かもしれない。
ちなみに、わたしはわたしの町で最初に光回線にしたのだが、その後、この町でも光回線が通じるようになりましたから光回線にしませんか? と営業の電話がかかってきたのには笑った。
で、話を本筋に戻すと、朝の5時から9時頃まで、ジムで情報番組を見ているわけだが、なんとも、驚いてしまった。
テレビの変わっていなさに、である。
一時間おきに、同じ一般ニュース、スポーツニュース、芸能ニュースが流れ、予習、授業、復習の流れが完璧である。おかげで、ジュリーが公演ブッチとか、ゴムマリ娘がなにか賞を取ったとか、ベストジーニストが誰だとか、脳のメモリに残しておく必要のない情報が刷り込まれていく。
そしてまた繰り返される、当たらない占い。天気予報。
各局とも、同じような構成で、ニュースは新しいはずだというのに、まるで十年前にタイムスリップしたかのような感覚だ。
以前、「テレビを見ていない人って話題が浅いじゃないですか」というようなことを言う人がいるのに驚いた、という記事を書いたが、なるほど、そういう人たちは、こうやって毎日毎日毎日毎日、どうでもいい情報を予習、勉強、復習しては、同じ感覚の友人と共有しているのだな、と思うと、ある意味納得してしまった。
インターネットには、次々と新しいサービスが生まれているが、その基本となっているのは、「自分からほしい情報を求めて動かないと、その情報は得ることができない」ということである。
自分から情報を取りに行くことをせず、流れるワイドショーやドラマから、広告代理店の意図という色眼鏡がついた情報を受け取るだけの人からすれば、「テレビを見ない人は話題が浅い」と感じるのだろう。
逆にインターネットは、自分がほしい情報を求めて動く必要があるため、自然、自分と同じ意見ばかりを集めるようになり、偏見が強化されるという欠点があることも忘れてはならないとは思う。
それでも、裏にいる見えない誰かの意図に踊らされて、「テレビを見てない人って話題が浅い」と思うようになるより、よっぽどマシだとは感じるが。
ジムに通い始めて、もう一カ月になる。さすがに毎日毎日毎日毎日、朝の情報番組を見させられることに苦痛を感じるようになったので、今は大型タブレットをトレッドミルの上に置いて、読書しながらウォーキングしている。
これまで、長く長く感じていた二万歩ゲットまでの時間が、タブレットで読書しながらだと短く感じるから不思議だ。
どうにも、%title%のいちパートがパロディ化されて、脳内に響くのを抑えられない。
「テレビはどうにも変わらない。悲しいけれど」
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