2018年12月12日

【昭和の遺伝子】高輪ゲートウェイはE電の夢を見るか

 東京都港区港南に建設中の、田町と品川の間にできる新駅の名称が「高輪ゲートウェイ」に決まったという。

 新駅名の応募には6万通を越える投票があり、一位は「高輪」の八千余票、二位は「芝浦」の四千余票、三位が「芝浜」の三千余票……と続き、なんと「高輪ゲートウェイは130位で36票だったというからお笑いだ。

 あらかじめの出来レース。最初から結果ありきのアリバイ作りの駅名応募であることは明らかだ。

 ここで思い出すのは、若い人はご存じないであろう「E電」のお笑い草な顛末である。「E電」と書いて「いーでん」と読む。
 昭和62年の国鉄分割・民営化に伴い、国鉄の愛称だった「国電」に代わって国鉄――いや、民営化直後だったので正確にはJR――が一般公募した結果、採用した呼称である。

 このときも、実は「高輪ゲートウェイ」と同じようなイカサマ審査が行われていた。六万弱の応募のうち、一位は「民電」の五千余通。二位は「首都電」で二千余通、三位は「東鉄」……と続く。E電は20位で390通だったのである。
 このあたりの経緯は、Wikipediaの「E電」によくまとめられているので、ご興味おありの方は参照をよろ。

 なんと、順位も得票数も、「高輪ゲートウェイ」は「E電」よりひどいということに、あんぐりとあいた口がふさがらない。

 E電はその発表のあと「これはないだろう」という世論の嵐を無視し、JRのゴリ押しが続いたが、結局、定着しなかったのは、今のみなさまが「E電をご存じない」通り。

 このときは、得票数と採用とのあまりのかけ離れた結果に「JRはまだ国鉄の頃の、官≠フ意識を引きずっている」とよく論評されたものだった。
 あれからもう、四半世紀以上も経っているというのに、同じことをやろうとしているJRにはあきれたものである。

 どうせ「高輪ゲートウェイ」にしたかったのなら、駅名募集などしなければ良かったのだ。なまじ募集などしたから、こういう莫迦莫迦しい結果になる。

 さて、わたし自身は、新駅が「高輪ゲートウェイ」になろうが「高輪」になろうが、正直、どっちでもいいとは思う。
 E電の時代とは違い、ネットで反対署名なども行われているのが新しい動きでおもしろい。これで「高輪ゲートウェイ」が撤回されたらさらにおもしろいが、なんとなく、E電と違ってそれはないだろうな、という予感はある。

「高輪ゲートウェイ」に反対する方たちにアドバイスするとすれば、やはりE電が「普及しなかった」顛末をよく研究すべきだろう。
 要するに「みんなが使わなければいい」のである。
 いくらJRがゴリ押ししても、皆が「高輪駅」と呼び続ければ、それが市民の選んだ名前になる。

 個人的な予想としては、長い駅名は言いにくいので「高輪ゲートウェイ」を略した「タカゲー」あたりに落ち着くのではないかと想像している。

 なんにせよ、応募を募っておきながら、最初から結果ありきで応募者を莫迦にするようなJRのやりかたは気にくわないという気持ちはある。積極的に反対票を入れたりはしないが、「高輪ゲートウェイ撤回」を掲げる運動自体は応援したい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子