2019年02月16日

【回想録】停電の思い出

 先日の夕方のこと――
 雨戸を閉めた寝室のベッドで横になり、スマホをいじっていると、一瞬、フワッと蛍光灯が暗くなり、また点灯。アレッ? と思っていると、次の瞬間、スマホの光を残して、部屋中が真っ暗になってしまった。
 ちょうど細君がキッチンでホットプレートを使った夕食の支度をしていることもあり、これはブレーカーが落ちたかな? と、ベッド脇に常備してあるレッドレンザーを取って明かりをつけ、階下へ。
 外は夕闇近く、キッチンも薄暗くなっている。

 わたし「ブレーカー落ちちゃったかな?」
 細君「んー、でもまだホットプレートに電源いれてもないんだよ」

 ううむ、それに、確かにここ十数年、ブレーカーが落ちて停電になったことはなかった。
 ブレーカーボックスを開けてみると、主スイッチも副スイッチも、すべてオンになっている。あれ、これって――。

 サンダルをひっかけて、玄関から家の外に出ると、ちょうど隣家の方も扉から顔を出したところだった。
 わたし「ひょっとして、電気ですか?」
 隣家の方「そうそう! お宅も? 家だけじゃなかったんですね」
 わたし「ということは、どうやら、このあたり一帯が停電なんですかね」

 家に戻り、その旨を細君に伝え、とにかく東京電力に連絡してみるか、と、ブレーカーボックスに貼ってある電話番号に携帯から電話してみる。
 数秒「この番号は混雑して――」というアナウンスが流れたので、もう電話ラッシュかな、と思ったら、すぐにつながった。
 出てきたサービスの方に、こちらの住所名前電話番号を伝え、家だけでなく、隣家も停電であること、ブレーカーはもちろん落ちていないことなどを伝えると、ホニャララ(聞き取れなかった)に問い合わせてから、折り返し電話をくれる、ということになった。
 停電からここまで、五分くらいだろうか。まだ復旧せず、細君は料理の続きができずに困っている。

 いったいどのあたりまで停電なのだろうか。もし、電柱のトランスが壊れた等の、ここら二、三軒だけの停電なら、むしろちょっと復旧には時間がかかるかもしれないな、などとも思う。

 再び家を出て、少し歩いて公園へ。近所の人々が集まっている。情報交換してみると、なんと、二、三軒どころか、隣町の中規模ホームセンターやファミレスまで停電している、という話を聞けた。どうやら、市町村規模の停電らしい。

 わたしは正直、びっくりしてしまった。
 というのも、わたしの住んでいる町は、東京電力の送電上の要所≠ノなっているらしく、過去、東日本大震災のときの計画停電でも、予定には組み込まれつつ、一切停電が起きなかった地域であったのだ。
 病院が多いからとか、送電線網の基幹であるらしいとか、いろいろな噂はあったが、とにかく、わたしの町は大規模停電に強い(送電網のうちにある)と思っていたのだ。

 家に戻り、このままではラチがあかないので、モバイルバッテリに、書斎にあるUSB給電のデスクライトをつないで、細君に料理の準備を続けてもらおう、とゴソゴソ準備していたそのとき――

 パッ!

 部屋中が明るくなった。IoT機器が再起動するピーピー音がそこかしこから鳴り、さらには、無停電電源からアラーム音(バッテリ老化警告)。それを解除してキッチンへ。

 わたし「復旧したね」
 細君「わりと長かったね。珍しい」
 わたし「だねぇ。昔はこういうこと、よくあったんだけどねぇ」

 そう、長いマエフリになってしまったが、わたしが子どもの頃、停電はよくあった。年に一回くらいは、この規模の停電があったように記憶している。
 ただ、今ほど24時間365日通電している電子機器はなかったので、それほど生活に影響はなく(冷蔵庫くらい)、停電しているなら寝るしかないねー、と、のんびり過ごしていたのだ。牧歌的な時代であった。
 当時はテレビの「しばらくお待ちください」画面も、そう珍しいものではなかった。

 24時間365日の給電が当然になり、停電が珍しい≠烽フになったのは、昭和後期くらいからだと思う。
 その頃はむしろ、家電の使いすぎで契約アンペアを越えてしまい、ブレーカーを落としてしまうことの方が多かった。
 家電品も、ワープロからパソコンへ。ビデオデッキからHDDレコーダーへと進化していき、東京電力が原因の停電はなくなったというのに、自宅ブレーカーが落ちては閉口することに。

 契約アンペアを上げるには追加工事が必要、とのことで、それを躊躇しているうちに年号は平成になり、結局、PC周りなど「電源が落ちて困るもの」は、すべて無停電電源で固めることになった。一時は五台の無停電電源が稼働していたほどだ。
 エアコンの使いすぎ、炊飯器の電源が入った瞬間などでブレーカーが落ちると、早急にブレーカーボックスへ飛んでいきスイッチを上げる。それでPCのデータは守られる、と、こういうわけ。

 ある初夏、今年は猛暑が予想される、と、気象庁が予報した年、一念発起して工事し、家全体のアンペア数を上げた。工事は思っていたより高くはなかったが、安いものでもなかったと記憶している。ついでに、部屋のいくつかにLANを物理的に通したので、そういう費用も入っており、「高い」という印象になっているのかもしれず。

 アンペア数を上げてから、ブレーカー落ちで停電することはなくなった。五台運用していた無停電電源も、バッテリの老化で使えなくなるとお払い箱になっていき、今、残っているのは、通信関係の機器のバッテリをバックアップしている一台だけ。それもバッテリが老化してアラームが鳴る状態である。

 話は現代、先の停電の話に戻って、電気が復旧し、細君がホットプレートで調理を始めた頃、東京電力のサービスから折り返しの電話があった。ホニャララ(やはり聞き取れない)に連絡したところ、今回の停電は大規模なもので、一軒一軒は回れないとか、どれくらいで復旧できる予想がつかないとか、そういうお返事。いやもう、それはわかってますって。それにウチはもう復旧しているし。

 ツイッターで情報を集めてみると、今回の停電はかなり大規模で、信号なども消え、大デパートも真っ暗になっているとか。
 自家発電設備を備えている施設はけっこう少ないものなのだな、というのも、今回知った驚きであった。

 わが町が停電していたのは10分くらいであったろうか。やはり送電網上の要所≠セったのか、復旧も早かったようだ。

 計画停電のときも停電がなかったせいか、この十数年で、「電気は24時間365日通じていて当然のもの」という意識が、わたしの中に生じてしまっていたなぁ、と、IoT機器の再設定をしながら思ったものだった。

 送電網の整備をしている皆さま方のご苦労に敬意を払いつつ、筆を

 あー、上の段を書き終えようとしたそのとき、ポメラのバッテリがあがってしまった。

 というサゲは以前、別の商業誌でも使ったネタ。
 皆さまも、お出かけ前には、モバイル機器の充電を忘れずに。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録