2019年02月20日

【カットリク!】神様は乗り越えられない試練は与えない

 東京オリンピック2020を前に、有力アスリートの少女が大きな病を負ったことを告白したことで、そのあたりのマスコミがかまびすしい。
 さらには恒例のごとく、それに対してのインタビューに答えた大臣の言葉尻をとらえ、政権与党の揚げ足取りをしたいだけの野党が失言だ引責だとそればかり。おまえら政策で戦うという気はまったくないのか、と、与党のやり方より、野党のダメダメさにため息が出る。

 相手はまだ十八歳の少女である。そっとしておいてあげるという配慮はないものか。知った顔で「一日も早く治って」などという言葉を発する人々にも、その無邪気なプレッシャーのかけ方にげんなりだ。

 さて、そういったことを切り離して、わたしはこの少女がツイートしたという「神様は乗り越えられない試練は与えない。自分に乗り越えられない壁はないと思っている」という言葉に興味をもった。
 なんとなれば、多くの方はご存じないだろうが、これは聖書由来の言葉なのである。
 原典はこれだ。

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず(1コリ10:13より)


 福音書ではなくパウロ書簡であるから、キリスト・イエスの直伝ではない。
 しかも、これはいささか恣意的な引用である。発言のいち部分を引いてたたくマスコミをちょっとまねてみた。
 実際の前後を入れた完全な節はこうなる。

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます(1コリ10:13)


 どうだろう、あれっ? と思われた方も多いのではないだろうか。「壁」という言葉が出てこないのはもちろん「乗り越えられる」というような正面突破な表現もない。

 パウロは「逃れる道をも備えていてくださいます」と言っているのである。つまり、むしろ相手が「壁」ならば、坑を掘って地下をくぐるとか、穴を穿って通り抜けるとか、あるいは遠回りをして壁の切れ目を探すとか、そういうイメージ。
「神が与えた試練」は、必ず「正面突破で乗り越えられる」わけではなく、むしろチートで「逃れる道」が用意されているよ、と、パウロは言うわけだ。

 わたしも十八の頃は、自分に乗り越えられない壁はない、と思っていた。しかし、人生半分終わった今となっては、パウロのこの言葉の、むしろ後半が身にしみる。神は耐えられない試練に遭わすことはない。しかしその恵みは、正面突破として与えられるものではない、ということに。

 ここで、クリスチャンなら誰でも知っている、「グリフィンの祈り(ある兵士の祈り)」を紹介する。

大きな事を成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。
偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと、病気をたまわった。
幸せになろうと、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、得意にならないようにと、失敗を授かった。
求めたものはひとつとして、与えられなかったが、願いはすべて聞きとどけられた。
神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中の言いあらわせない祈りは、すべてかなえられた。
私はもっとも豊かに祝福されたのだ


 この祈り(詩)に関しては、春原禎光先生の「キリスト教の有名な祈りと詩」に詳しい。「グリフィンの祈り」の「グリフィン」は、最初にこれを邦訳したのがG・グリフィン神父だったからとのこと。この詩はカトリック界隈では有名な宮崎カリタス修道女会によってメロディがつけられ、「クレド(弱い者の信仰宣言)」という名曲になっている。

 さて、どうだろうか。
 真の祈りとはなにか、神の恵みとはなにかということを想い、心打たれずにはいられない。

 酷なことを言うようだが、この先、前述の選手は、以前のようには世界のひのき舞台でしのぎを削るような活躍はできなくなってしまうかもしれない(もちろん、わたしもそうはならないことを祈っているが)。
 しかし、たとえそうなったとしても、彼女は「神が与えた試練」に耐えることができなかった、というのとは違うのである。

 日本人の祈りは、自動販売機に似ている。おさい銭を入れて、祈れば、自分の願いがそのままかなうと思っている。
 しかし、そういう祈りは間違いだ。現世ご利益信仰は、人を脅して入信させる新興宗教と根っこの部分で変わりがない。
 どんなときでも神がともにいてくださること。そしてどんな状況に陥っても、それが神の恩寵なのだと信じること。それが信仰なのである。

カットリク!ポイント76――
 カットリク!の祈りは、祈れば願いはかなうというご利益信仰。


 なお、某脳筋大臣が言ったという「オリンピックの神様が選手の体を使って」云々というのは、もう噴飯ものでしかない。一神教の唯一神と多神教の神々を混同している失礼さに気づかないあたりも無神経きわまりない(「【カットリク!】編集手帳――ニケのわけがないだろう!」参照)。

 日本人の宗教オンチさにはクラクラさせられることが多いが(特に、自分たちは多神教だから豊かだという誤解)、今回の脳筋大臣の発言の方が、よっぽど「がっかり」である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究