2019年04月24日

【映画評】魂のゆくえ(ネタバレあり)

 直近の映画館では聖土曜日から掛かるフィルムだったため、その日に観ようと思っていたのだが、用事が入ってしまい、明けて復活の主日、教会で主イエスの復活をお祝いしたあとに、細君と鑑賞。

 観終わった直後の感想……。復活の主日に観る映画ではなかったですな……。せめて四旬節に観れば、もっと違った感想もあったかもしれない。

 それにしても、この、観終わったあとの取り残され感はなんだろう。連想したのは、なぜかデビット・リンチ監督の「イレイザー・ヘッド」だった。

 この記事は中いち日おいて、復活の火曜日に書いているのだが、どうにも感想をまだ言語化できずにいる。
 復活のイエスは、マグダラのマリアに「わたしに触れてはならない」と言ったのだが(ヨハネ20:17)、どうにもこの記事ではネタバレに触れず書くことは不可能そうなので、ネタバレ上等の鈍感なわたしにしては珍しく、タイトルにネタバレ表記をした。


(パンフレットの装丁はやたらカッコいい。原題は「First Reformed」)

 あらすじ――主人公トラーは、アメリカの寂れた教会(改革派――カルヴァン派プロテスタント)の牧師である。礼拝のあと、信徒のメアリーがトラーに、夫と話をしてほしい、と願う。メアリーは妊娠中だったのだが、環境活動家である夫マイケルは、こんな時代に子どもを産むということに反対していた。
 翌日、マイケルと話をしたトラー。彼の説得にマイケルは納得した様子はない。二人は再会の約束をして別れた。
 メアリーに呼び出され、トラー牧師は彼女の家に向かう。そのガレージにあったのは、マイケルが用意していた自爆テロ用ベスト≠ナあった。
 そのベストを預かり、マイケルに呼び出されて森林公園へ向かうトラー。そこで彼は、ライフルで自分の頭を打ち抜いて自殺していたマイケルの遺体を発見する――。


 このあたりまでは、新聞の評などにも載っていたので、ネタバレの範疇に入らないのだろう。
 とにかく、淡々と話が進む。正直、聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭と教会漬けで疲れた脳が、その単調さにウトウトしかけたことを白状する。マイケルの自殺あたりで、やっと意識が戻ってきた感じだ。

 トラーが牧師を務めている「ファースト・リフォームド教会」は、メガチャーチの「アバンダント・ライフ教会」の傘下であり、上司たるジェファーズ牧師に「きみのところのような観光目的の教会は――」などとくぎを刺されたりするのはおもしろかった。アメリカは純粋なキリスト教国≠ナはなくキリスト文化国≠ナあることがよくわかる。

 トラーは過去に息子を従軍牧師として戦場に送り出し、そこで死なせていたり、それが原因で妻と別れていたり、教会のエスターという女性とどうやら過去になにかあったらしいことを匂わせたり、胃ガンを患っていたりと、やたら暗い背景を負っている。陰キャ中の隠キャである。

 隠キャなので、アバンダンド・ライフ教会に多額の献金をしている企業「バルク社」が、環境破壊に加担していることに、マイケルの影響でクヨクヨ悩んだりする。
 そしてあろうことか、彼が務めるファースト・リフォームド教会の250周年の式典に、バルク社の社長がスピーチをするということになり、悩みに悩んだ上、マイケルの自爆テロ用ベストを着てみたりする。

 しかしその間にも、未亡人となったメアリーとイチャコラして、手を握りあい空中浮遊(イメージ)までしてしまうという節操のなさ。まー、牧師と未亡人だから、問題ないと言われればそうだけれども。

 式典に来てはならない、とメアリーに厳命するトラー。このあたりで観劇者は、「あ、こいつ、式典で社長を巻き込んで自爆テロをやらかす気だな」と覚悟をする。
 が、その式典に、トラーの異常を察知したメアリーがやってきてしまうのだ。それを窓から発見したトラーは、自爆テロベストを脱いで、鉄条網で自らの体を縛り上げ(こういう自分をいじめる行為はあれだ、確かにキリスト教の一部の教派ではあるのだけれども)、祭服に血をにじませながら、式典もブッチしてメアリーと抱き合い激しいチューをする。その周りをカメラがぐるぐる回って、いきなり――

 終劇!

 暗転して、映画本編は終わる。
 正直、目がテン、口あんぐりのままスタッフロールを眺めるわたしと細君。

 5ちゃんの映画板、「単独スレを立てるほどでもない新作映画」スレに、クリスチャンならなにかクルものがあるのかな? といった書き込みがあったが、いや、現役ガチカトの感想が上記ですよ……。

 環境問題と信仰のベクトル差に悩むというサブテーマも、50年前ならともかく、今はもうコケの生えたものにしか感じなかった。

 そして、時間をおいて、振り返ってみた感想は――宗教が宗教の名を借りるだけで宗教として機能していない(日本の仏教と同じだ)世界で、その宗教の教えを守ろうとする不器用な男がもがくブラックユーモア映画なのではないかと思えてきた。
「キリスト教国」ではなく「キリスト文化国」に住む、名ばかりの多くのクリスチャンたちは、このフィルムを観て、どこか後ろめたさを感じるのかもしれない。この映画は数々の賞をとり、アカデミー賞でも脚本賞にノミネートされている。
 今、Wikipediaを見たら「批評家から絶賛されている」とのこと。へーそうなんだ(棒)。

 なんというかな。「意識高い映画好き」には好評なんだろうな、きっと。

「『魂のゆくえ』って、牧師が主人公のキリスト教映画らしいよ」
「ふーん。じゃあ観にいってみようか」
 てなノリで劇場へ足を運んだ日本に住むガチカトの夫婦にとって、復活祭のおめでたい気分に、陰鬱な影がさしてしまったのは確かである。

 そして翌日、スリランカで復活祭のミサを狙った連続爆破テロがあったことを知る――なんとも、言葉もない。亡くなられた犠牲者の安らかなお眠りと、卑劣な犯行グループのすみやかな逮捕、事件の真相解明を祈るばかりだ。

 平成最後の復活の主日に観た映画、しかもその翌日に爆破テロがあり、状況的に、妙に心に残る映画になったことも確かである。
 DVDまでは買わないが、また観る機会があったら、今度は睡眠をしっかりとってから観るかもしれない。
 あ、でも、復活節、降誕節にはやめておこう、と、心に誓ったり。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評