2019年05月18日

【回想録】セガサターンの思い出

 先日、ハードオフへ行ったら、セガサターンがたくさんラッピングして売られていたので、懐かしく思い、筆を執った次第。

 当時はプレイステーションとセガサターンのシェア争いが激化していたが、わたしが最初に買ったのはセガサターンの方だった。
 激化といっても、ゲームフリークの多くは両機種を買っていたわけで、それほどハード間対立があったという感じはなかったように思う。

 セガサターンを買った日のことはよく覚えている。その日は細君と一緒に街へ出かけ、サターンと一緒にソフトを二本買い、映画を観て帰ったからだ。当時はまだ映画館も二本立てで映画を観られ、一本はハリソン・フォードが出ていたリメイク版の「サブリナ」であった(もう一本は忘れてしまった)。

 サターンと一緒に買ったソフトは「結婚」と「闘神伝」だったと思う。
 実はこの「結婚」というゲームが遊びたくてサターンを買ったようなものだった。

 当世は、結婚しない人生という選択も許される時代になりつつあるが、それだけ、実は結婚≠ニいう事象は大変だ、ということが世に知れ渡ってきたという証左なのだろうか。
 誰でも結婚することが当然だった時代であっても、結婚≠ヘ大変なことだった。日本においては結婚はやはり家と家とのつながりという面もあり、百組の男女がいれば、プロポーズしてから結婚式を迎えるまで、百組のドラマがあるのが結婚である。仲人はどうするか? 主賓は? 招待客は? 食事はどうする? 引き出物は? 衣装は? お色直しは? 二次会は? その司会は? ざっと表面的なものを振り返るだけで、これだけ多くの問題が挙げられるくらいだ。これに人間関係の機微がからみ、結婚というのは、表面的な祝い事というメッキをそげば、確かに人間としての通過儀礼という面もあったのである。

 だからこそ(当時は)、人間、結婚して一人前という風潮があったのである。あの苦労を越えて結婚したのね、という了解が社会の中にあったわけで。

 で、ゲーム「結婚」もそういうシミュレーションゲームだと思って買ったわけだ。とても期待大だったのである。
 確か四組(記憶薄)の男女の結婚にいたるまでのストーリーを追えたのではなかったかな。

 ところが――このストーリーが一本道で、シミュレーションどころではない、ただのキャラ萌えゲームだったのである。
 どんな選択肢を選んでも、破局もない、本当につまらない一本道ゲームだったように思う。あまりのつまらなさに、もうほとんど「つまらなかった」という感想しか残っていないくらいだ。

 その後、FF5と一緒にプレイステーションも買い、両機でゲームを楽しんだが、ゲームとして一歩踏み込んだところで、けっこうハマッたものが多かったのはセガサターンの方だったなぁ、と振り返って思う。

 オモチャの銃を買った「バーチャコップ」に、ハンドルを買った「セガラリー」。それと「スーチーパイ」に「ゲーム天国」と、今でも思い出に残る、かなりやりこんだゲームが少なくない。

 プレイステーションの方は、いまいちローディングエラーが多く、そのあたりでも、サターンの重厚な作りはハードなゲーマー好みだったような気がする。ただ、すぐ消えるメモリカートリッジだけは不評だったが。

 ゲームハードのシェア争いでは負け組ハードになってしまったが、わたしの気持ちは、プレイステーションよりもサターンの方が好きだった。
 同じタイトルが出ていたら、サターンの方を買っていたことも多いように思う。

 サターンでは、別売りカートリッジをつけると、今は知る人も少ないVideo-CDを再生できるのも特徴であった。Video-CDは良い規格だと思っていたが、消えてしまったのが残念である。

 サターンもプレイステーションも、ハードはとっくに捨ててしまったが、ソフトだけはなぜか手放す気にならず、書斎の本棚の隅でほこりをかぶっている。
 今でも、機会があったら「スーチーパイ」や「ゲーム天国」を遊びたい。

 いや、本当にその気なら、最初に触れたハードオフでサターンを買ってくればいいのだけれどね。
 それができないのは、きっと、サターンの面白さを、懐かしさフィルタにかけたままにしておきたい気分なのだろう。

 ところで、プレイステーションはプレイステーションで(今は違法の)チートができたので楽しかった。その思い出は、またそのうちに。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録