2019年05月25日

【日記】一億総下層国民の時代

 かつて、「一億総中流」という言葉があった。
 この言葉が使われ始めたのはいつ頃だったか。わたしが中学から高校の頃には、もうこの言葉は定着していた。

 そうお金持ちというわけではないが、決して貧困にあえいでいるわけではない。贅沢を言わなければ、誰でも順調に就職でき、結婚もして、給料も徐々にあがっていき、マイカーを買って、やがては賃貸の団地から一戸建てへ住みかえる。子どもは二人。それぞれ大学まで進学させ、独り立ちしていくのを見守る。とも白髪となった夫婦は、老後、年金でまったりと、たまに訪れる孫がくるのを楽しみに豊かな生活をする――そんな生活ができることを、日本国民一億人が信じて疑っていなかった、それが「一億総中流」時代なのであった。

 誰かが言い出した言葉が一般化したものかと、今、Wikipediaでざっと読んでみたのだが、そういう言葉でもないらしい。Wikipediaには『日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える「意識」を指す』となっている。つまりこれは「空気」である。クリスチャンが聖書を読むように、日本人は空気を読む。日本教の聖典「空気」には「おまえたちはみな中流」と書いてあるわけだ。「中流」であって「平等」でないあたりが、実に日本教していて興味深い。

 わたしは当時から、この「一億総中流」という言葉に抵抗感と疑念があった。

 どういう流れでか、高校の帰り道、親友K君とそんな話になり、わたしは吐き捨てるように言ったのだった。

「一億総中流なんてとんでもない。お上の欺瞞だよ。われわれはそう思わされているだけさ」
「え、なんで?」と、素直なK君は答えた。
「俺たちゃ、みんな下層階級だよ。上流階級なんて言えるのは天皇陛下ご一家くらい。中流階級は財閥系大会社の役員のうちひと握り。他はみんな下層階級だね」
「えー? 贅沢いいすぎじゃない?」
「中世の貴族の女性たちは、結婚相手が無職だと喜んだそうだよ。なぜだと思う? 無職ってことは、働かないでも収入が入ってくる階級だったからさ。働いて金を得なければ生きていけないという身分だけで、われわれは下層階級なんだよ」
「でも憲法には、国民に勤労の義務があるじゃん」
「憲法というのは、国家が国民に課した法律ではなくて、逆に、国民が国家に課した法律なの。勤労の義務というのは、国家が就労の機会を国民に与えなければいけないということなんだよ」
 書いていて、自分でもいけすかないガキの返事だと思うが(笑)、わたしは倫理社会はいつもほぼ満点だった。ま、倫社は国語みたいなもんだからね。

 K君は、納得したような、しないような、複雑な表情であった。日本教の信徒ならば仕方ないだろう。

 あれから四半世紀以上がたち、インターネットによって、情報のピラミッド構造が暴力的に破壊された時代に、「一般国民」、「上級国民」という言葉が生まれてきた。
 きっかけは、あの「五輪エンブレム」事件からだったと思う。たしかお偉いさんが「一般国民のみなさんのご理解を得られなかった」と言い「俺たちゃ一般国民かよ」との反発から「じゃあおまえらは上流国民≠トわけかい」と、このふたつの言葉が一般化したのである。

 また、今回、東京で自動車が歩行者多数を轢くという痛ましい事件があり、その運転手が逮捕されず、容疑者∴オいされないため、名前プラス肩書きなどを使って報道されたことを指して「さすが上級国民様は人を轢き殺しても逮捕もされず容疑者とも呼ばれない」と揶揄されるのにも使われている。

「一億総中流」の時代から、「そんなことはない!」と言い続けてきたわたしからすれば、やっと日本国民がこのことに気づいてくれたか、という気持ちである。
 ただ違うのは「上級国民」は天皇陛下ご一家くらいで、「中流国民」が、今、ネットで言うところの「上級国民」であるということ。われわれは「一般国民」などではなく「下層国民」だということだ。

 わたしが「平成」という年号を初めて聞いたとき「平和になる」とは思わず「平等になる」を連想したのは、この日本が不平等な社会であることを、いつも心の底で憤っていたからであった。そして、日本国民の多数が「平等である」と思いこんでいることにも。
 これは、端緒である。これから先、われわれふつうの日本人が、「上級国民」や「一般国民」に搾取される「下層国民」であることがわかる事件が、もっともっと起こっていく、それを暴いていくのはインターネットであると予言しておく。
 日本の聖書「空気」も、「一億総中流時代」から「一億総下層国民時代」に書き換わる日がもうすぐくる。

 見えない革命は、すでに起こり始めている。極端な少子化と、若者の「○○離れ」である。彼らは見抜いているのである。われわれ、下層国民をうまく使って私腹をこやしている連中がいることを。

 日本には厳然と「身分」が存在している。このことを、多くの人に意識してほしい。
 まずはみな「身分証明書」という言葉に敏感になってみたらどうだろう。免許証も保険証も「身元証明書」ではあっても「身分証明書」ではない。

 平成の世は、日本人に真の平等を成せえなかった。それどころか、むしろ、格差を開いたばかりだった。令和の世では、見えない革命で、本当に平等な日本になることを望みたい。

※今、日本の人口は一億二千万だが、この記事ではわかりやすく、総人口の意味で「一億」と書いた。残りの二千万人が「下層国民」以外という意味では特にない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記