2019年06月01日

【回想録】レコードの思い出

 友人の家で初めてコンパクトディスクを聴いたとき「これで、趣味のオーディオは終わった」と思った話は以前も書いた。こんなに簡単に上質の音が出るのならば、もう、いろいろ工夫する余地はない。そう一瞬で悟ったのだ。
 そしていまでも、もう、趣味のオーディオは「ない」と思っている。

 もちろん、数千万円の資金をかけて、オーディオ専用の部屋をつくったり、電柱から取り出す電気にまで気を遣うのなら別だが、それはもう、趣味と言うより、なんだろう、「人生をかけた信念」とでも呼んだ方がいいような気がする(ほめ言葉である)。

 オーディオが趣味であった時代、一般人が手に届く一番のオーディオソースはレコードであった。このレコードの音をいかによく響かせるか、が、趣味の範疇だったのである。

 そして、このレコードには苦労させられた。そんな四方山話をひとくさり。記憶を頼りに気楽に書いていくので、間違っている部分もあるかもしれない。詳しいことが知りたかったら検索だ。

 レコードには、まず、スクラッチノイズがつきものであった。溝をダイヤモンドの針が走るのである。本当の無音というものは再生できなかった。
 さらに、レコードは傷つきやすい。傷がつくと、すぐ音に反映する。回転する円盤に傷がつくわけだから、定期的にプチ、プチとノイズが乗ってしまう。

 針にはMC(ムービングコイル)型とMM型(ムービングマグネット)型というのがあって、一般的にMC型の方が繊細でいい音が出ると言われた。

 レコードは回転する円盤だが、回転数は内側も外側も変わらない。角速度一定、ということである。つまり、外側より内側の方が情報量(ダイミックレンジ)が少ないのだ。
 ポップスなどではあまり問題にならないが、クラシックなどでは、曲の後半に盛り上がりがあることがあり、それがために、内側から針を落として、外側に向けて再生していくという珍品レコードも存在していた。

 音が大きい部分は溝が大きく波形を描いているので、すぐにわかる。しかし実際には、小さい音と大きな音の波形をリニアに記録していくわけにはいかない。波形の差が大きすぎるからである。
 そこでレコードプレイヤーには、RIAAカーブというイコライザをかましてあった。小さい音は大きく、大きな音は小さく、波形を変形させていたのである。
 だからレコードで「原音再生」などというのは、実は最初っから「絵に描いたモチ」なのであった。

 高校生当時、レコードの貸し借りは大変であった。CDと違って、カバンに放り込んで持っていける代物ではない。なにしろ、物理的にでかい。満員電車の中では割れないよう気を遣わなければいけない。

 わたし自身は、レコードの貸し借りはほとんどしなかった。借り手が大ざっぱな人だと、レコードにヒゲがつけられてしまうからである。
 ヒゲというのは、真ん中の穴の部分あたりに傷がつけられてしまうことを言う。ちゃんとスピンドルに穴をゆっくり挿してくれる人ならよいが、中にはスピンドルの上にレコードのレーベル部分を乗せて、ダロカンで動かしてレコード穴を挿す人がいるのだ。すると、スピンドルの突起で穴のあたりに傷がついてしまう。これが「ヒゲ」。こういう人は、レコードそのものの扱いも悪い。ので、貸したくないのであった。

 レコードはほこりにも弱かった。なのに静電気を呼ぶ材質でできているものだから、再生中、針がほこりをひっかけて、音がなまることもないではなかった。
 レコード用の細長いほこり取りアイテムなどや、静電気よけのスプレーも販売されていた。スプレーは愛用したこともあったが、ムラなく塗るのがわりと難しく、音も濁る気がして、後期にはあまり使わなかった。

 アナログな回転機構に頼る機器であるから、回転数にもムラがあり、これを一定に保つために、ターンテーブル(レコードを回す台)には一定の刻みがつけられており、これをストロボライトで照らして静止して見えるよう調整する。つまり、回転数を一定に保つよう、人間が微調整するのであった。
 回転方法も、DD(ダイレクトドライブ)か、プーリーで回す方法のどちらがいいかで、けっこう論争があった気がする。
 なんにしろ、回転を完全に一定に保てるわけはなく、ワウフラッターと呼ばれる、回転に起因したノイズとレコードは切っても切れない関係であった。

 さらに、ヘッドホンリスニングならば問題にならないが、スピーカーで再生すると起こる問題があった。音とは空気の振動であるから、振動がレコードプレイヤーに伝わり、ハウリング状態になるのである。これを避けるのに、レコードプレイヤーやスピーカーにインシュレーターを履かすのは常識であった。

 レコード自体の振動を押さえるために、スピンドルに乗せる重しもあった。
 中にはレコード針のついているカートリッジの上にコインを張り付けて重くして再生している人もいた。アイデアはいいが、レコードの溝が傷むのではないかなぁ、と思ったものだ。

 そうやって気を遣って再生環境をつくっても、レコードのカッティングが甘いと、なんと、隣のトラックの音を拾ってしまうこともないではなかった。
 そして、レコードも針も消耗品であった。保存状態が悪いとレコードはすぐに変形したりカビたりするし、針はなまっていくので定期的に交換しなければならなかった。

 こうやって、工夫に工夫を重ねて、「いい音」を出していた時代の経験者からすると、それらを一瞬で必要ないものにしてしまったコンパクトディスクの登場は、「いままでの努力はなんだったんだ!?」と思わされる機器だったのである。

 最近は懐古趣味で、レコードがいい、あの暖かさがいい、という奇特な人が出てきているようだが、レコードで散々苦労してきた者からすると、とんでもない話である。

 いまこの記事は、スマホに入れたmp3のモーツァルト・コンプリート・ワークスを、Bluetoothで完全ワイヤレスイヤホンに飛ばして聴きながら書いている。ワウフラッターも皆無。ノイズに悩まされることもない。実に快適だ。しかも、指先大のマイクロSDに、モーツァルトだけでなく、バッハ全曲集、ショパン全曲集を入れてもまだ余裕がある。

 ほかの回想録記事だと「懐かしい、また使ってみたい」と締めるところだが、レコードだけは、もう二度とあの苦労はしたくないなぁ、と思う機器である。
 こうやって記憶を掘り起こしながら書いてみても、やっぱり、もうレコードはこりごりだ、と思う。

 でも、あの大きなジャケットはよかったかな。ジャケットからLPを取り出すときのわくわく感は、CDよりはちょっとだけあったような気もするのだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録