2019年07月13日

【日記】ビーガンと商業捕鯨再開に想う

「ベジタリアン」という言葉は、もう二世代くらい前の古くさい言い回しになってしまったのかもしれない。今はNHKニュースの小コーナーで紹介されるくらい「ビーガン」という単語も一般化して、普通に通用する世の中になったようだ。

 わたしが「ビーガン」という言葉を知ったのは、パソコン通信の頃で、ベジタリアンよりもっと厳しい、卵まで食べない主義の人、という感じだったが、現在ではそんな簡単な区分けではなく、同じ「ビーガン」でも、いろいろな主張があるとのこと。
 驚いたのは、「ホタテ」は脳がないから食べていい、という「ビーガン」の人がいるということ。個人的には、目に見えて動く生物≠ヘ生き物に入るのではないかと思うのだが、この派の人々は脳≠フありなしで生物かどうかを選別しているわけだ。まあ、それもひとつの見識ではあるかもしれない。

 さて、日本は今年、IWC(国際捕鯨委員会)を脱会して、商業捕鯨を再開した。これはわたしには意外であった。日本はIWCを脱会するなどという度胸はないだろうと思っていたからである。
 わたしは10代の頃「特効薬コードKUJIRA」という小説を書いた。これの大筋は、「謎の死病がパンデミックを起こし、その特効薬がクジラの肉で、それとわかった世界中の人々がクジラを採りまくり、ついには絶滅させてしまう」というストーリーである。

 言わば、「生きるためには、おまえら、いくら知能が高いから殺してはいけないといっている生物でも食べるだろう?」という皮肉をキールに、若さに任せて筆を走らせたのだが、あれから数十年経って、自分の中で、なにかが変わっているのを感じている。
 今のわたしだったら、ストーリーの中に、絶対に鯨肉を食べないで死んでいく人々の描写を入れるだろう。少数派でも、そういう人々も存在するだろう――そんな想像は、若いわたしにはできなかった。

 そんなことに気づかされたのは、ある友人とのたわいない会話からであった。彼とわたしは互いにネコを飼っていて愛しているのだが、彼は、もし食糧危機の時代が突然訪れたら「その飼いネコを食べてでも生き延びる」というのである。
 わたしはエッと思って言った。「いや、俺は絶対にそんなことはしない。あの子を殺すなんてできないよ」
「ウソだね。絶対に自分を優先させるよ」
「いやいやいや。たかが十数日長く生き延びるために、自分が愛するネコを殺すなんてできない。オレはむしろ、自分の肉を食わせてでもネコを長生きさせるよ。自分が先に死んでもいいから」
「ウソウソ。絶対に自分の命の方が大事だから」
 この議論とも言えない議論は、水掛け論になると思われ、ここで互いに気まずくなって終了したのだった。

 このことがあって、つらつらと食≠フことを考えるにつれ、わたしはひとつの結論にたどりついたのであった。それは「動物というのは、自分が殺せる範囲の動物を食べて生きるのが自然である」ということである。
 人間は群れを作り道具を使って生きている動物であるから、このことを忘れているが、本来、徒手空拳のヒト個体は、ブタを殺すのさえ苦労する動物である。できてせいぜいニワトリを絞めるくらいだろう。
 わたし個人ができることを考えれば、ニワトリすらも殺すことができないかもしれない(可哀想で)。できてせいぜい魚や昆虫くらいか。となると、わたしにとって、自然な「自然食」は、野菜と穀物、魚と昆虫くらいとなる。それ以外の「自分で殺せない」食物は、本来、食べられないものなのだ。


(荒川弘「鋼の錬金術師」6巻より引用。罠でウサギを捕まえたものの、殺すことができないエドとアル。気持ちはよくわかる)

 もちろん、人間の「本来の姿」を、集団で生き、道具を使って狩りをする動物だと定義すれば、食べられるものの範囲はぐんと広がる。クジラ食ももちろん可能になる。

 われわれは「ビーガン」の人々を「なにか小難しい理屈を言って食習慣に制限をくわえている人々」と笑ってはいられない。これは、人間とはどういう動物であるか、というものの再定義なのかもしれないのだ。

 それにしても、旧約聖書を読めばわかるとおり、ユダヤ教の食事禁忌は多かった。
 たとえばダニエル書には、捕囚となったイスラエル人の少年たちが、自分たちには肉を食べさせないで欲しいと願い、十日後、肉を食べていた他の少年たちより健康状態が良かった、というくだりがある(ダニ 1:8-15)
 また、マカバイ記二には肉を食べることを固辞し、処刑されたエレアザルの殉教の記もあったりする(マカ二 6:18-31)

 その厳しい食事禁忌をスッパリなくしたのがキリスト教であり、そのせいもあってかキリスト教は世界の普遍宗教となったというのに、この飽食の時代に「ビーガン」という人々が現れつつあるというのは、人間、なにか自分にルールを課さないとむしろ生きにくい%ョ物なのかなぁ、とも思ったりもする。

 なんにしろ、わたし自身がネコの肉を食べられない、と知ったときから、わたしは、鯨肉を食べられない、という人々を莫迦にすることはできなくなってしまった。

「特効薬コードKUJIRA」を書いた当時は、IWCが「駄々っ子のような非科学的な屁理屈で捕鯨国を責める」という背景があり、それを嘲笑する、という若さが自分の中にあったのだが、今のIWCにはそれほどの力もないようだ(だからこそ日本は脱退したわけで)。

 こんなわたしの考え方の変わり様を、昔からの読者は「変節」だと怒るだろうか……。
 でもね、言い訳ではないけれど、人間、成長はしなくとも、変化はするものなのですよ。
 というところで、昔からの読者の皆様にお詫びしつつ、この稿、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記