2019年07月27日

【日記】アイデアにパクリはない

 数々の秀作、傑作アニメを生み出してきた、あの「京都アニメーション」で、凄惨な事件が起こってしまった。
 犯人とおぼしき男は「小説をパクられた」という強い恨みで凶行に及んだのだという。しかし犯人は小説家でもなければ、小説をどこかに発表した様子もないとのこと。

 おそらく、プロの小説家、マンガ家、脚本家など、ストーリーテリングをなりわいとしている人々は、この犯人の供述と犯行に、背筋に氷柱が突き刺さる思いをしたのではないだろうか。
 なぜといって、プロのストーリーテラーならば必ず、一度や二度、こういう「おまえの作品は俺のパクりだ」という、かなり強迫的な思考をお持ちの方々からの、脅迫ともクレームとも、あるいは妙に親密なふうを装ったファンレターをいただいたことがあるはずだからである。

 わたしも、何度か似たような経験がある(「【回想録】著者近影」参照)。
 また、以前にも書いたが、統合失調症の方が書いたアイデアノートを拝見したことがあり、そこには、「エヴァンゲリオン」から「マトリックス」、萌えアニメから流行歌、パソコンのソフトから関連商品まで、数センテンスのメモの走り書きがあり、彼はわたしに――
「これ全部自分のアイデアがパクられたものなんですよ!」
 と、早口に訴えたのだった。

 また、別の人だが、やはりちょっと強迫的な方に、今、どんなアイデアを考えているんですか? と聞かれたとき、わたしが暖めていたアイデアのひとつを話すと「それ、どっかで聞いたことがあるなぁ」と答えてきたのである。
「それ、どっかで聞いたことがある」から「それ、俺が考えたアイデア」までは、たったの数歩である。わたしはゾッとしてしまった。

 ひとつ言っておくが、わたしはわたしが話したアイデアがわたしが考えた唯一無二のものだとは思っていない。「【日記】人は自分の経験内でしか物事を語れない時期がある」でも書いたとおり、アイデアというものは海の水をすくうようなもので、わたしが考えたアイデアを、すでに誰かが形にしていてもおかしくはないのだ。だから、本当に四方八方にアンテナをのばして情報を蓄えている方なら「それ、○○でもうやってますね」と指摘してくれる。
 た・だ・し、「どっかで聞いたことがあるなぁ」などという曖昧かつ失礼な言い方はしない。繰り返すが「どっかで聞いたことがある」→「俺の頭ん中で聞いたことがある」→「あっ、それ、俺のアイデアだったじゃん」までは、ほんの数ステップなのである。

 この事件の犯人は、おそらくかなりの確度で統合失調症だと思われる。統合失調症の者が計画的犯罪を行うことに違和感を持つ方がいらっしゃるようだが、精神障害と知的障害は違うということに留意されたい(「羊たちの沈黙」のレクター博士は、精神障害者であっても知的だったでしょう?)。統合失調症も病症末期なら人格も荒廃するくらいにひどくなるが、そうでないなら、陽性期に計画犯罪をすることは十二分に可能である。

 統合失調症を患う人は、実は珍しくない。100人の人間がいれば、一人はこの病にかかるという統計は有名である。ただし、その上で、きちんと医療機関にかかる者、となると、グンと数字が減るのではないだろうか。

 わたしに統合失調症患者を差別する意図はない。ただしそれは、きちんと医療機関に通い、主治医の指導のもと、服薬を怠らない、病識のある患者のみに、である。
 今はいいクスリも出ていて、服用を怠らなければ病気も寛解し、社会復帰もできる時代なのだから。

 最後にとどめをひとつ。
 この日本では「アイデア」は著作権で保護されない。著作権は作品にのみ発生する権利であり、ノートに発想メモを走り書きしたり、誰かに話しただけの「アイデア」は、誰も守ってはくれない。つまり、アイデアにパクリはないのだ。
 悔しかったら、拙速でもいいから、なにか作品の形にするしかないのである。
 本来、著作権は発表せずとも自然発生するとされているが、このインターネット時代、しかも、htmlを使わずとも小説やマンガを発表できるフィールドがある現在、自分のHDDにだけ入れておいた(という)作品≠ナ著作権を主張するのは無理がありすぎる。

 とにかく「そのアイデア、どっかで聞いたことがある」としょっちゅう感じる方、「世の中の作品はおれのアイデアのパクリばかりだ」と始終感じるという方は、お願いです。その作品をつくったクリエイターに思考を集中させず、まずはちゃんとした精神科にかかってください。そして出されたお薬を、きちんと毎日、服用してください。

 うつ病は「こころの風邪」というキャッチフレーズで、患者が精神科にかかるハードルを低くしたが、統合失調症も「こころのガン」などと銘打って、「手遅れにならないうちに治療をしよう」というムーブメントを起こせないものだろうか。
 そのためにも「あなたの隣にも、統合失調症の人は確かにいる」という、しごく当たり前のことを、もっと喧伝してもいいのかもしれない。

「京都アニメーション」の悲劇に対して、わたしができる精一杯のことは、こんな拙文を書くことしかないのだが、それでも少しは、これから同じようなことが起きないための抑止力になればと思って書き連ねてみた。

 被害者の安らかなお眠りと、一刻も早い治癒。加害者の命が助かり、事件の全容が明らかになることを、今は、心より願う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記