2021年02月06日

【昭和の遺伝子】A面B面文化

 運転中、ステアリングを握りながら――

 わたし「アレクサ、あいみょんのしね≠かけて」
 アレクサ「アマゾンミュージックで、あいみょんの貴方解剖純愛歌〜死ね〜≠再生します」


(あいみょんさんご本人のチャンネルにアップされている「あいみょん「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」LINEで作ったリリックムービー」より引用)

 いやー、最高だわこれ。車載のAmazon Echoデバイス、Amazon Echo Autoのことである。

 Echo Auto自体は、紐付けられたスマホが必須で、結局、スマホと車載オーディオシステム(BluetoothかAUX)の仲介を、スマホ内のアレクサアプリがやっているという仕組み。そのため評価は、綺麗に「使える」、「使えない」と分かれているようだが、わたしにはとてもツボにはまり使えるデバイスであった。

 家でもEchoシリーズでAmazon Musicを聴いている。PCでプレイリストを作成して、Echoでそれを流せるので、実に快適である。
 ここでTIPS。自分で作成したプレイリストをEchoで再生させるには「アレクサ、わたしのプレイリスト恭介のお気に入り≠再生」などというようにわたしのプレイリスト≠つけるとよい。これを知ってから、アレクサが作成したプレイリストを見つけてくれない、というような事態がなくなった。

 サブスクで最近の曲を聴くようになってから、自分の生活では聴くことがなかったであろうミュージシャンの楽曲に親しめるようになったのが嬉しい。
 前述のあいみょんさんや、ヨルシカ、YOASOBIなど、Amazon Musicに入らなかったら、おそらくこの先、一生、積極的に聴くことはなかったろう。

 ちょっと前の笑い話に「CDを知らない世代の子が、音楽をCD再生する親を見て『WiFiがないのに曲を再生できるの!?』とびっくりした」というものがある。これが実話かどうかわからないが、自分が音楽サブスクにどっぷりつかってみると、なるほど、これもこの先、実話になってもおかしくないな、という気がしてくる。

 音楽は手元の音源からではなく、空気のようにそこらを漂い、それをキャッチする時代になるのだなぁ。
 ちなみにWiFiのもと、イーサネットのEtherは、その昔、宇宙に充満していると考えられていたエーテルからきているのである。真空の宇宙でも熱を伝える媒介がないのはおかしい、それはきっとエーテル≠ニいう未知のモノが満ちていて媒介になっているのだ、と考えられていたのだ。
 音楽は空気を通してスピーカーから鼓膜へ伝わる。一周回って、WiFiが音楽を媒介しているというこの発想は実に面白い。

 音楽をサブスクで聴くようになってから「あ、この文化は完全に廃れるな」と感じるものもあった。それが%title%の「A面B面文化」である。

 その昔、当然のように音楽を納める媒体がレコードであった時代には、アルバムにもシングルにも「A面B面文化」というものがあった。
 シングルならば、A面にヒット曲、B面にそれほどでもない曲を納めるというのは普通だったし、アルバムだと、A面でまず起承転結、B面でも起承転結の楽曲を並べ、特にB面の最後には、最後を締める盛り上げ曲を入れるのが当然だったのである。

 以前にも書いたが、クラシックなどの場合、盛り上がる最後をいい音質で納めるために、内側から針を落とす珍品アルバムなどもあった。レコードの場合、 角速度一定なので、外側の方が音がいいのである。

 CDになって、「A面B面文化」に変化が起こる。周知の通り、CDにはA面B面は存在しない。最初の数年は、レコードと併売だったので、戸惑いもあったが、そのうちレコードが消え、音楽アルバムは全体で起承転結を構成するように作られるようになった。

 そして、このサブスク時代。わたしは今、あいみょんさんを毎日聴いているのだが(かなりハマっている)、あいみょんさんのアルバムや、その曲の並びなどはまったく知らない。アレクサが適当にシャッフル再生してくれるので、全曲をフラットに聴くことができる。

 これはミュージシャンにとって、痛し痒しのところもあるだろう。アルバムで起承転結をつけたいミュージシャンにとってみれば、サブスクでシャッフル再生されてしまうのは残念に違いない。
 それでも、時代はCDから確実にサブスクへと移行している。レコードがなくなったように、CDもなくなる――と断言してしまうのは怖いが、かなり売上高が減っていくのは道理だ。遠くない将来、CDという媒体は、手元に音源を置いておきたいマニアが買うようなメディアになっていくのかもしれない。

 小説やマンガの短編集も似たような所――一冊全体で起承転結を構成し、最後に盛り上げる話を配置する――があるが、これは電書になっても変わりがないようだ。
 将来的に、短編ひとつひとつを個別売りするようになれば話は別かもしれないし、そういうことをマンガでやっている販売元もあるが、これは正直、買うのも読むのも面倒だ。

 A面B面文化とはまたちょっと話が違うが、一曲の音源をmp3で買うのも安くて良い。今は気に入ったヒット曲が200円くらい、エナドリを買う値段で入手できてしまうのだから。
 昔はCDシングルでさえ、700円はしたのだ。

 細君はまだ、CD派のところがある。それはライナーノーツを読むのが好き、という、また別の理由からだ。
 確かにサブスクではライナーノーツは読めない。レコードがCDになったときも、ジャケットが小さくなってつまらなくなった、という嘆きの声があったことを思い出す。

 わたしはライナーノーツは別にいらない派なので、特に不満はない。WikiPediaでいいじゃん。ダメ?

 というわけで、わたしはもう、音楽はサブスクで十分派である。このあたり、昨秋のアレクサ体験で、180度の意識改革があったのようだ。

 わたし「アレクサ、あいみょんしね」
 アレクサ「ごめんなさい、ちょっとわかりません」

 いやはや、これはさすがに略しすぎだ。反省。
 しかし、あいみょんさんはいい(すごくハマっている)。新曲の「スーパーガール」もAmazon Musicオリジナルで、男女の共依存を描いている。彼女はサブスク時代の中島みゆきさんになるかもしれない。

 ここで「あいみょんさんのアルバム買うかなぁ」と少しでも思ってしまうあたり、やはりわたしは昭和を引きずっているのであった。

 追記:アップする直前になって、サブスクとかなり相性の悪い楽曲ジャンルがあることを思い出した。クラシックである。「アレクサ、ホロビッツの1951年カーネギーホールでのライブ展覧会の絵≠聞かせて」ができる時代は、まだまだ先かもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子