この春の突発的な国政選挙では、X上で著名人、クリエイターたちが、けっこう自分の旗色を鮮明にしたポストを行っていた。
これがもとで「こんな人だと思っていなかった」、「ガッカリした」という炎上騒ぎも。
痛感した。
なにかの作り手は、主義主張があるなら、それは作品で出すべきだ、と。
作品に人格を滲み出すことができてこそ、一流の作り手である。
わたしは一流ではないので、こうしてブログで書いている。
しかしバカにもなれそうにないので、Xで主義主張をすることは控えたい。
お気づきの方がいらっしゃるかもしれないが、わたしはX(旧Twitter)が苦手、というか嫌いなのである。
今のXは言論の場としても、コミュニケーションの場としてもダメダメだ。5ch以下のゴミ溜め、トイレの落書きと思った方がよい。
たとえば「リンゴおいしかった」と、一言、ポストすると――
「リンゴの色に触れず味を語ってるのが笑える」
「助詞も書けない偏差値30」
「おいしくないリンゴを作っている農家のことを考えないバカ」
「ミカンのうまさも知らない味盲」
「無能がいっちょ前にリンゴとか」
「これだからビーガンはうざいタヒね」
「無農薬ならうまいってのは短絡的」
「肉も食えない貧乏人」
「これAIでしょ。AIは排除すべき」
といった罵詈雑言が、百、返ってくる。
いやまじでほんとですよ。このリンゴを「(ピー)」に変えれば、数分でタイムラインがこのような的外れなゴミポストで溢れる。
これではまともな議論はなりたたないし、最初から敵意をもって相手を切りつける者も多く、立ち位置がどちらでも、フォントがヤスリのようにザリザリと読者の心を傷つける。
Xのタイムラインは個人の傾向を読むので、エコーチェンバー(自分の意見に賛成するポストばかりが表示され、大勢がそれだと勘違いすること)も起こりやすく、注意していないと、実は傷だらけで劣勢なのに、まだ勝てるとがんばっている状態になりかねない。
人が人を傷つけるのを見るのも、傷つけられるのを見るのも嫌だよ。
悪意あるポストを読みたくないので、ねこのポストばかりいいねをしていたら、やがてタイムラインがねこばかりで埋まってしまった。
これはこれでもちろんかわいいのだが、だったらXでなくGoogleでねこ画像検索していればよいのだ。XがXである意味がない。
この嫌な傾向は、TwitterがXに変わった頃から顕著になったようにも思う。
このようなわけで、わたしはもうXには、存在証明代わりの読書記録くらいしかポストしなくなってしまった。
Xしか言論、コミュニケーションの場がないような、今の子どもたちを、かわいそうに思う。懐古ではなく本心から。
情報がX、note、YouTubeといった、たかが私企業に集中しているのもよろしくない。
他人の庭で自分の声は張り上げられない。なのに、自分は自由だと思っている滑稽さ。
総じて、今のネットは健全ではない。インターネット創世の頃の意識を知っていると、驚くほど不自由でいびつで、醜悪である。
窮屈で狭小な場所で、誰もが知らず飼い慣らされており、いつか出荷され、屠殺される日を待っている。
その昔、ネットにはなんでもあった。夢も、希望も、絶望も。
箱が開けられた今のネットに、なにかが残っているとでも?
2026年02月28日
【日記】X(旧Twitter)に未来はあるの?
posted by 結城恭介 at 23:59| 日記
