2019年08月03日

【日記】本物のお巡りさんを詐欺師扱いしてしまった話

 ある日のこと。実家に帰ってみると、老父が「これから警察がくるから」という。
 話を聞いてみると、なんでも、オレオレ詐欺の亜流の特殊詐欺電話がかかってきて、その件で警察に連絡したので、調書を取りに警官がくるというのだ。

 詐欺電話の概要はこんな感じだったらしい。

 詐欺師「こちら、○○中央警察署生活安全課の××ともうしますが、通帳を落としませんでしたか?」
 ふつう、通帳など持ち歩かないものだが、おり悪く――本当にタイミングというものがあるものだ――父は昨日、通帳を持って街にでていたのだという。
 それで父は少しあわててしまい、通帳が手元にあることを確認し、そこで老母と電話を代わったという。
 詐欺師「ほかにも通帳はありませんか? 実は、先日、特殊詐欺のグループが捕まりまして、そこにあった六十四の通帳の中に、結城(父)さんの通帳があったんですよ」
 母「(怪しいと踏みつつ)通帳なら全部ありますよ」
 そこで押し問答のような感じになり、詐欺師は――
「こちらにご来署いただいてですね、ご確認いただきたいんです」
 と、なぜか家から外に誘導しようとする。
 母はしっかりきっぱりしているので――
「嫌ですよ。雨が降っているのに。○○中央警察署の電話番号はなんですか? あとでこちらから折り返し電話します」
 詐欺師「xxx-xxx-0110です」
 母「じゃああとでかけ直します(チン)」
 ちなみに、詐欺師からの電話は非通知であった。

 そして警察(110番)に電話したら、警官が調書を取りに来るという。そして最初のくだりになるというわけ。
 これは自分もついていた方がいいな、ということで、待つこと十数分。カッパを来た重装備のお巡りさんが玄関チャイムを鳴らしてきた。わたしがインターホンに出て、思わずモニター越しに(ちょっと冗談めかして)「本物ですよね?」と一言言うと、お巡りさんはとてもまじめな顔で「もちろんです」。
 ドアチェーンを開けて玄関へ通すと、カッパを脱いで、丁寧に警察手帳を見せてくれた。

 実家の電話機はダイニングにあるので、そちらへお通しして、調書取りが始まる。だいたい、上記のようなことを説明して――と、そのとき、電話が鳴ったのである。

 顔を見合わせる警官とわたしら家族。これは? ひょっとして?

 わたしが取ると――
 ?「結城さんのお宅ですか?」
 わたし「どちらさまですか?」
 ?「○○中央警察署の△△ともうします」

 こ、これは、詐欺師再びキターッ? 横にいる警官に聞こえるよう、わたしは復唱する。
 わたし「○○中央警察署の△△さんですね」
 横の警官の肩についた無線機がコールを寄越してきたので、彼はサッとそれを手で覆った。わたしもとりあえず芝居を続ける。
 ?「それでですね。さっきの電話ですが、あれは全部、相手の嘘ですから」
 わたし「えっ、さっきの電話は、全部嘘なんですか?」
 ?「はい、そうです。それでですね――」
 ここからの会話が、どうも噛み合わない。こちらは相手を詐欺師と決めつけて、横にいる警官にわかるよう話すのだが、なかなか用件に入ってこないのだ。
「この電話、スピーカホンにできますか?」と、横の警官がささやくので、いよいよ勝負か? とスピーカホンのスイッチを入れる。と――。
 警官「もしもし。こちら○○署の☆☆です。すでに現着しております」
 ?「もしもし。ああ、そうでしたか。それではよろしくおねがいします」

 え? ええー? えええーっ?

 なんと、電話の相手は、本物の○○署の警察官だったのだ。どうも横の警官が無線で署の方に現着を伝える前に、本物の警官が心配してこちらに電話してきたらしいのだ。
 なんとわたしは、本物のお巡りさんを、詐欺師扱いしてしまったのである。
 ガックリしてへたりこむわたし。苦笑する老父母。警官がまじめな顔で、一笑もせず――
「そのくらいの警戒心があった方が、わたしどもの方も助かりますよ」
 と、言ってくれたのが幸い。

 ちなみに、詐欺師が言った番号、xxx-xxx-0110は、○○中央署どころか、ぜんぜん違う病院のそれだった。どうやら最後の0110がそれっぽいのででたらめを言ったようだ。

 というわけで、我が実家の特殊電話詐欺騒動はおしまいである。その後、特になにも悪いことは起こっていない。
 ただ不気味なのは、この詐欺師が、通帳をおとりに、父母を家からおびき出そうと躍起になっていた、という点である。これは新手で聞いたことがある、電話で巧みに相手を誘導し留守にさせ、その間に空き巣に入るという手法の詐欺・窃盗犯グループだったのかもしれない。

 くわばらくわばら。
 特殊詐欺グループも、次から次へと新手の手法を編み出してくるが、粗暴犯になりかねない空き巣、強盗のたぐいは恐ろしい。
 皆さまもお気をつけて――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月27日

【日記】アイデアにパクリはない

 数々の秀作、傑作アニメを生み出してきた、あの「京都アニメーション」で、凄惨な事件が起こってしまった。
 犯人とおぼしき男は「小説をパクられた」という強い恨みで凶行に及んだのだという。しかし犯人は小説家でもなければ、小説をどこかに発表した様子もないとのこと。

 おそらく、プロの小説家、マンガ家、脚本家など、ストーリーテリングをなりわいとしている人々は、この犯人の供述と犯行に、背筋に氷柱が突き刺さる思いをしたのではないだろうか。
 なぜといって、プロのストーリーテラーならば必ず、一度や二度、こういう「おまえの作品は俺のパクりだ」という、かなり強迫的な思考をお持ちの方々からの、脅迫ともクレームとも、あるいは妙に親密なふうを装ったファンレターをいただいたことがあるはずだからである。

 わたしも、何度か似たような経験がある(「【回想録】著者近影」参照)。
 また、以前にも書いたが、統合失調症の方が書いたアイデアノートを拝見したことがあり、そこには、「エヴァンゲリオン」から「マトリックス」、萌えアニメから流行歌、パソコンのソフトから関連商品まで、数センテンスのメモの走り書きがあり、彼はわたしに――
「これ全部自分のアイデアがパクられたものなんですよ!」
 と、早口に訴えたのだった。

 また、別の人だが、やはりちょっと強迫的な方に、今、どんなアイデアを考えているんですか? と聞かれたとき、わたしが暖めていたアイデアのひとつを話すと「それ、どっかで聞いたことがあるなぁ」と答えてきたのである。
「それ、どっかで聞いたことがある」から「それ、俺が考えたアイデア」までは、たったの数歩である。わたしはゾッとしてしまった。

 ひとつ言っておくが、わたしはわたしが話したアイデアがわたしが考えた唯一無二のものだとは思っていない。「【日記】人は自分の経験内でしか物事を語れない時期がある」でも書いたとおり、アイデアというものは海の水をすくうようなもので、わたしが考えたアイデアを、すでに誰かが形にしていてもおかしくはないのだ。だから、本当に四方八方にアンテナをのばして情報を蓄えている方なら「それ、○○でもうやってますね」と指摘してくれる。
 た・だ・し、「どっかで聞いたことがあるなぁ」などという曖昧かつ失礼な言い方はしない。繰り返すが「どっかで聞いたことがある」→「俺の頭ん中で聞いたことがある」→「あっ、それ、俺のアイデアだったじゃん」までは、ほんの数ステップなのである。

 この事件の犯人は、おそらくかなりの確度で統合失調症だと思われる。統合失調症の者が計画的犯罪を行うことに違和感を持つ方がいらっしゃるようだが、精神障害と知的障害は違うということに留意されたい(「羊たちの沈黙」のレクター博士は、精神障害者であっても知的だったでしょう?)。統合失調症も病症末期なら人格も荒廃するくらいにひどくなるが、そうでないなら、陽性期に計画犯罪をすることは十二分に可能である。

 統合失調症を患う人は、実は珍しくない。100人の人間がいれば、一人はこの病にかかるという統計は有名である。ただし、その上で、きちんと医療機関にかかる者、となると、グンと数字が減るのではないだろうか。

 わたしに統合失調症患者を差別する意図はない。ただしそれは、きちんと医療機関に通い、主治医の指導のもと、服薬を怠らない、病識のある患者のみに、である。
 今はいいクスリも出ていて、服用を怠らなければ病気も寛解し、社会復帰もできる時代なのだから。

 最後にとどめをひとつ。
 この日本では「アイデア」は著作権で保護されない。著作権は作品にのみ発生する権利であり、ノートに発想メモを走り書きしたり、誰かに話しただけの「アイデア」は、誰も守ってはくれない。つまり、アイデアにパクリはないのだ。
 悔しかったら、拙速でもいいから、なにか作品の形にするしかないのである。
 本来、著作権は発表せずとも自然発生するとされているが、このインターネット時代、しかも、htmlを使わずとも小説やマンガを発表できるフィールドがある現在、自分のHDDにだけ入れておいた(という)作品≠ナ著作権を主張するのは無理がありすぎる。

 とにかく「そのアイデア、どっかで聞いたことがある」としょっちゅう感じる方、「世の中の作品はおれのアイデアのパクリばかりだ」と始終感じるという方は、お願いです。その作品をつくったクリエイターに思考を集中させず、まずはちゃんとした精神科にかかってください。そして出されたお薬を、きちんと毎日、服用してください。

 うつ病は「こころの風邪」というキャッチフレーズで、患者が精神科にかかるハードルを低くしたが、統合失調症も「こころのガン」などと銘打って、「手遅れにならないうちに治療をしよう」というムーブメントを起こせないものだろうか。
 そのためにも「あなたの隣にも、統合失調症の人は確かにいる」という、しごく当たり前のことを、もっと喧伝してもいいのかもしれない。

「京都アニメーション」の悲劇に対して、わたしができる精一杯のことは、こんな拙文を書くことしかないのだが、それでも少しは、これから同じようなことが起きないための抑止力になればと思って書き連ねてみた。

 被害者の安らかなお眠りと、一刻も早い治癒。加害者の命が助かり、事件の全容が明らかになることを、今は、心より願う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月24日

【日記】ペトリコール

 こう長い梅雨が続くと、雨のにおいに風情もなにもなくなってしまう。狭いバスの中でも、撥水衣類や傘のにおいに慣れて、俳句の季語にもなりはしない。
 やはり天気は晴れがいい。昔は暑い季節が苦手だったが、今は夏が好きだ。もちろん、冷夏の方が過ごしやすくていいけれど。

 わたしと細君が交際を始めた頃は、会うたびにいつも雨で、お互い、どちらが雨男、雨女なのかと苦笑したものだった。

 夏の暑い日などに、突然降ってくる雨には、独特のにおいがある。これを「ペトリコール」と呼ぶ。Wikipediaによると、1964年に作られた造語とのことだから、けっこう新しい言葉だ。ギリシャ語で「石のエッセンス」を意味するのだという。

 実は、カトリックの初代教皇である使徒、聖ペトロも、ギリシャ語で「岩」という意味である。ペトリコールは「ペトロの汗」でもあるわけだ。
 ペトロは古いクリスチャンだとペテロと言ったりもする。もとの名はシモン。イエスに「ケファ(石)」というニックネームをつけられ、それのギリシャ語訳で「ペトロ」と呼ばれるようになったのである。

 英語のピーター、フランス語のピエール、イタリア語のピエトロ、ドイツ語のペーター、スペイン語のペドロ、ロシア語のピョートル。これらもみな、もとは「ペトロ」に由来している。

 カトリックは洗礼を受けると洗礼名、堅信を受けると堅信名、そして修道者になると修道名をつける。これらは過去の数多くの聖人からとることが多いわけだが、修道者(司祭)レベルになると、わりとポピュラーな聖人から取ることが多くなってくる。特にペトロとパウロは二派に分かれるくらいの人気である。

 ペトロはパウロに比べると、ずいぶんと人間くさい。有名なのは、イエスに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予告され、そのとおりにしてしまったこと。
 このとき、ペトロは――

 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(マタイによる福音書 26:75)


 まるでそのシーンが目に浮かぶような場面である。
 先に「ペトリコール」を「ペトロの汗」と呼んだが、「ペトロの涙」としたほうが詩的かもしれない。

 イエスの磔刑死と復活後、ペトロは使徒のリーダーとして、力強くその福音を伝える者となったわけだが、それでも食事禁忌の件で、生けるイエスに会ったこともない使徒(ただし自称(笑))パウロに怒られたりして、実に人間くさい。

 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。(ガラテヤの信徒への手紙 2:11)


 この主語(わたし)はパウロである。
 このときの様子を、レンブラントが描いたとされるのが「賢者の対話」という一枚だ。



 そんなペトロの人間的な弱さを好きな司祭が、これを修道名にしているような気がする。

 ちなみにパウロは「小さき者」を表すギリシャ語だが、パウロ本人は(手紙では)態度がでかいし、やたら小難しい理屈を並べるのが好きなタイプである。
 パウロについて書きたいことはまだまだあるが、それは別の機会に。

 夏の夕立ちで「ペトリコール」を感じたら、2000年前の人間くさい初代教皇のことを思い出していただければ幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月20日

【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その2

 エジプトの王女に助けられたモーセはすくすくと育ち、我が家の書斎の冷蔵庫に呪いをかけコバエをとばしたのだが、わたしは心を頑迷にして、冷蔵庫を入れ替えようとはしなかった。主が仰せになったとおりである。

 というわけで、「【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その1」の続きである。

 ナイル川の血の流れのごとく、赤茶色の液体がこぼれている冷蔵庫を前にして、細君と相談し、書斎内で冷蔵庫の扉を開けるのはやめよう、と結論。とにかく、冷蔵庫の扉を閉めたまま、玄関まで持って行き、庭でオープンしよう、ということにした。

 大量の本と書類そのほかを待避させて、冷蔵庫の道をつくるのに半日。そしてズリズリと、コンセントを抜いた冷蔵庫を移動させる。思ったより「赤茶色の液体」がこぼれてこないことは良かったが、この液体が少量でも実に臭い! 腐臭である。まともに嗅いだら、五分で肺が腐ってしまいそうだ。

 書斎は二階にあるので、細君と二人、苦労して階段を降ろしていく。うう、途中で休んだとき、尻に茶色い液体がついた。手もこの臭い液体でぐっしょり。気持ち悪い。
 そして、なんとか冷蔵庫の扉を開けず、玄関から庭に出すことに成功。

「さて、ご開帳といきますか」
「いやなご開帳だね」

 冷蔵庫の扉をそっと開けてみる。すると――

 彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。(出エジプト記 8:13)


 ぶよならぬ大量のコバエがまるで黒い霧のように勢いよくドバーッと――のようなことはなく、拍子抜けするほど、中にはハエはいない。ウジがうごめいていることもない。正直、ちょっと、いやかなりホッとした。
 ただ、サナギやその抜け殻は冷蔵庫の中そこかしこについていて、おそらくダメな人はそれだけで「ゲーッ」だろうとは思う。

 コバエ発生の原因は、腐った牛乳であった。紙パック入りの牛乳(未開封)を、ウッカリ庫内に入れておいてしまったのだ。それが腐って、ハエの住処となったらしい。赤茶色の液体は腐った牛乳のなれの果てであった。

 ゴム手袋をして、中を掃除し、可燃ゴミに出す。そのほかの処置も施して、この古い冷蔵庫は庭の隅に置いてシャワーを浴び、新しい冷蔵庫を買いにヨドバシカメラへ。ヨドコムにしなかったのは、今回のことで、やはりちゃんと商品を見て確かめたいという気持ちが細君ともども生まれたからである。

 冷蔵庫売り場で店員さんの話をいろいろ聞き、今回はちょっとおごって、名の通ったメーカーの、そこそこいい製品を購入した。冷凍庫が下についている、今、主流の型である。もちろん書斎用だから、中型のものだ。
 なんでも冷蔵庫は、鉄板の薄さ零点何ミリの差で、内容積がかなり違ってしまう代物なのだとか。冷蔵庫は完成した商品だ、と思っていた自分は大いに反省せざるをえなかった。メーカーは今でも、よりよい製品をつくるために努力を重ねているのだなぁ。

 ヨドバシは即日配達もできるとのことだが、こちらの都合があったので、中一日開けて翌々日に配達してもらうことにした。

 当日の搬入も、書斎の本の隙間を開けておいたままにしておいたのでほぼスムーズに。意外だったのが、古い冷蔵庫の引き取り価格がけっこう高価なコースだったこと。これはメーカーによって引き取り価格が違うのだが、この名も知らぬメーカーの冷蔵庫は高い引き取り価格だったのである。

「やっぱりこういうのは、リサイクル価格まで考えると、名の通ったメーカーのを買うべきなんだねぇ」とは細君の弁。まったくだ。特に長年使う製品は、最初にケチってしまうと後々までそれが尾を引いてしまう可能性があるということを思い知った。

 新しい冷蔵庫が収まるべきところに収まると、書斎の本を積み替えて(笑)、またモノだらけの仕事場になってしまった。これを機に、断捨離すればいいのにね。でもさすがに、そんな気力はわかなかった。
 まあ、古い書類でいらなそうなものは捨てられたのでよしとしよう。本当はスキャンしてから捨てたかったのだけれど、ちょっと思い切ってしまった。

 新しい冷蔵庫の中には、とりあえず細君の手によって、パンと牛乳が入れられたのであった。今はガラガラだが、細君の性格だから、この庫内もきっとすぐにいっぱいになってしまうに違いない。
 まあ、壊れた冷蔵庫よりトラブルレスで、長く保ってくれることを祈るばかりである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月17日

【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その1

 ついに最近の自分の恥をネタにしなければいけないくらい、ネタぎれになりつつあるのである(笑)。

 わたしの書斎の奥には、小型の冷蔵庫が置いてあった。もともと、わたしは仕事場で食事、間食をしない主義だったので、この冷蔵庫には(酒が飲めた頃には)ビールしか入れていなかった。間食はしないが、飲酒しながら執筆はしょっちゅうしていた。
 それが細君と結婚してからというもの、細君は仕事場で間食、食事が平気なのである。冷蔵庫には飲み物しか入れておきたくないなぁ、という、わたしの抵抗もむなしく、冷蔵庫には食品がどんどん詰め込まれていくのであった。

 この小型冷蔵庫は個体が良かったのか、二十年保ってくれた。ある日、冷凍庫の霜がひどいので、マイナスドライバーと小づちで氷をたたいて落としていると(これはしょっちゅうやっていた)、そのときに限って、大事なパイプを傷つけてしまったらしく、冷媒が勢いよく吹き出して、故障してしまった、いや、壊してしまったのである。

 その日のうちに、細君と家電量販店へ行き、冷蔵庫なんて完成品は、どうせどこのメーカーのものも変わらないだろうと、一番安い、聞いたこともないメーカーの中型冷蔵庫を買って届けてもらった。結果的には、この判断がいけなかった。冷蔵庫にもピンからキリまであったのである。

 この買い換えた冷蔵庫には苦労させられた。とにかく霜がよくつき、溶けた霜の水は蒸発皿にたまるわけだが、これがとても小さく、蒸発する前にあふれてしまうのである。説明書にはシレッと「定期的に水を捨ててください」とある。今の時代の冷蔵庫に、こんな前時代的な設計のモノがあるとは思わなかった。
 当然、水受けの水を捨て忘れると、あふれて外にこぼれてくる。そのたびに冷蔵庫の下がビショビショである。本当にこれには毎回げんなりさせられた。

 この冷蔵庫、五年は使ったろうか。去年の秋、細君がこう言ってきた。
「なんか書斎の冷蔵庫、冷えてないみたいなんだけど」
「ええー、またかよ」
 わたしがそう答えたのはわけがある。このブログをお読みの方ならお覚えかもしれないが、確か去年の春、キッチンで使っていた大型冷蔵庫も壊れてリプレースしたばかりだったからだ。
 確かめてみると、確かに庫内が冷えていない。まいったなぁ。また故障である。
 すぐに交換――できない理由が今回はあった。書斎が本と書類で埋まってしまい、部屋の奥にある冷蔵庫を廊下に出すのが困難になってしまったのだ。
 モーセなら本と書類で埋まった部屋にドバーッと道をつくることができるかもしれないが、信仰心の浅いわたしは「めんどくさい」という理由で、壊れた冷蔵庫からナマ物を出して、電源を切り、放っておくというしょうもない解決策――やる気がでたらやる――を取ったのであった。

 冬がすぎ、梅雨がきた。
 どうにも、書斎にコバエが飛ぶようになってきた。
 このあたりになって、エッと思うようになったが、一週間は忙しさに追われ、というより、原因から目をそらしていたいという思いもあり(笑)、気づかないフリをしていた。
 しかし、さすがにコバエの量が増えてきた段になって、冷蔵庫の外側を見ると――どうやらそこがコバエの発生源らしいのである。正直、開ける気は起きなかった。

「ナマ物、入ってたっけ?」
「入れてなかったと思うけど――」
 そして見てみれば、冷蔵庫の下から、赤茶色の、なにかドロッとした液体がこぼれている。しかもひどい悪臭だ。

 モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。(出エジプト記 7:20-21)


「げええええーっ」

 こ、これは「モーセの十の災い」の始まりか!?

 というわけで、ちょっと気持ち悪くなったので、この記事次回に続く!
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記