2019年07月17日

【日記】書斎の冷蔵庫の入れ替え・その1

 ついに最近の自分の恥をネタにしなければいけないくらい、ネタぎれになりつつあるのである(笑)。

 わたしの書斎の奥には、小型の冷蔵庫が置いてあった。もともと、わたしは仕事場で食事、間食をしない主義だったので、この冷蔵庫には(酒が飲めた頃には)ビールしか入れていなかった。間食はしないが、飲酒しながら執筆はしょっちゅうしていた。
 それが細君と結婚してからというもの、細君は仕事場で間食、食事が平気なのである。冷蔵庫には飲み物しか入れておきたくないなぁ、という、わたしの抵抗もむなしく、冷蔵庫には食品がどんどん詰め込まれていくのであった。

 この小型冷蔵庫は個体が良かったのか、二十年保ってくれた。ある日、冷凍庫の霜がひどいので、マイナスドライバーと小づちで氷をたたいて落としていると(これはしょっちゅうやっていた)、そのときに限って、大事なパイプを傷つけてしまったらしく、冷媒が勢いよく吹き出して、故障してしまった、いや、壊してしまったのである。

 その日のうちに、細君と家電量販店へ行き、冷蔵庫なんて完成品は、どうせどこのメーカーのものも変わらないだろうと、一番安い、聞いたこともないメーカーの中型冷蔵庫を買って届けてもらった。結果的には、この判断がいけなかった。冷蔵庫にもピンからキリまであったのである。

 この買い換えた冷蔵庫には苦労させられた。とにかく霜がよくつき、溶けた霜の水は蒸発皿にたまるわけだが、これがとても小さく、蒸発する前にあふれてしまうのである。説明書にはシレッと「定期的に水を捨ててください」とある。今の時代の冷蔵庫に、こんな前時代的な設計のモノがあるとは思わなかった。
 当然、水受けの水を捨て忘れると、あふれて外にこぼれてくる。そのたびに冷蔵庫の下がビショビショである。本当にこれには毎回げんなりさせられた。

 この冷蔵庫、五年は使ったろうか。去年の秋、細君がこう言ってきた。
「なんか書斎の冷蔵庫、冷えてないみたいなんだけど」
「ええー、またかよ」
 わたしがそう答えたのはわけがある。このブログをお読みの方ならお覚えかもしれないが、確か去年の春、キッチンで使っていた大型冷蔵庫も壊れてリプレースしたばかりだったからだ。
 確かめてみると、確かに庫内が冷えていない。まいったなぁ。また故障である。
 すぐに交換――できない理由が今回はあった。書斎が本と書類で埋まってしまい、部屋の奥にある冷蔵庫を廊下に出すのが困難になってしまったのだ。
 モーセなら本と書類で埋まった部屋にドバーッと道をつくることができるかもしれないが、信仰心の浅いわたしは「めんどくさい」という理由で、壊れた冷蔵庫からナマ物を出して、電源を切り、放っておくというしょうもない解決策――やる気がでたらやる――を取ったのであった。

 冬がすぎ、梅雨がきた。
 どうにも、書斎にコバエが飛ぶようになってきた。
 このあたりになって、エッと思うようになったが、一週間は忙しさに追われ、というより、原因から目をそらしていたいという思いもあり(笑)、気づかないフリをしていた。
 しかし、さすがにコバエの量が増えてきた段になって、冷蔵庫の外側を見ると――どうやらそこがコバエの発生源らしいのである。正直、開ける気は起きなかった。

「ナマ物、入ってたっけ?」
「入れてなかったと思うけど――」
 そして見てみれば、冷蔵庫の下から、赤茶色の、なにかドロッとした液体がこぼれている。しかもひどい悪臭だ。

 モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。(出エジプト記 7:20-21)


「げええええーっ」

 こ、これは「モーセの十の災い」の始まりか!?

 というわけで、ちょっと気持ち悪くなったので、この記事次回に続く!
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月13日

【日記】ビーガンと商業捕鯨再開に想う

「ベジタリアン」という言葉は、もう二世代くらい前の古くさい言い回しになってしまったのかもしれない。今はNHKニュースの小コーナーで紹介されるくらい「ビーガン」という単語も一般化して、普通に通用する世の中になったようだ。

 わたしが「ビーガン」という言葉を知ったのは、パソコン通信の頃で、ベジタリアンよりもっと厳しい、卵まで食べない主義の人、という感じだったが、現在ではそんな簡単な区分けではなく、同じ「ビーガン」でも、いろいろな主張があるとのこと。
 驚いたのは、「ホタテ」は脳がないから食べていい、という「ビーガン」の人がいるということ。個人的には、目に見えて動く生物≠ヘ生き物に入るのではないかと思うのだが、この派の人々は脳≠フありなしで生物かどうかを選別しているわけだ。まあ、それもひとつの見識ではあるかもしれない。

 さて、日本は今年、IWC(国際捕鯨委員会)を脱会して、商業捕鯨を再開した。これはわたしには意外であった。日本はIWCを脱会するなどという度胸はないだろうと思っていたからである。
 わたしは10代の頃「特効薬コードKUJIRA」という小説を書いた。これの大筋は、「謎の死病がパンデミックを起こし、その特効薬がクジラの肉で、それとわかった世界中の人々がクジラを採りまくり、ついには絶滅させてしまう」というストーリーである。

 言わば、「生きるためには、おまえら、いくら知能が高いから殺してはいけないといっている生物でも食べるだろう?」という皮肉をキールに、若さに任せて筆を走らせたのだが、あれから数十年経って、自分の中で、なにかが変わっているのを感じている。
 今のわたしだったら、ストーリーの中に、絶対に鯨肉を食べないで死んでいく人々の描写を入れるだろう。少数派でも、そういう人々も存在するだろう――そんな想像は、若いわたしにはできなかった。

 そんなことに気づかされたのは、ある友人とのたわいない会話からであった。彼とわたしは互いにネコを飼っていて愛しているのだが、彼は、もし食糧危機の時代が突然訪れたら「その飼いネコを食べてでも生き延びる」というのである。
 わたしはエッと思って言った。「いや、俺は絶対にそんなことはしない。あの子を殺すなんてできないよ」
「ウソだね。絶対に自分を優先させるよ」
「いやいやいや。たかが十数日長く生き延びるために、自分が愛するネコを殺すなんてできない。オレはむしろ、自分の肉を食わせてでもネコを長生きさせるよ。自分が先に死んでもいいから」
「ウソウソ。絶対に自分の命の方が大事だから」
 この議論とも言えない議論は、水掛け論になると思われ、ここで互いに気まずくなって終了したのだった。

 このことがあって、つらつらと食≠フことを考えるにつれ、わたしはひとつの結論にたどりついたのであった。それは「動物というのは、自分が殺せる範囲の動物を食べて生きるのが自然である」ということである。
 人間は群れを作り道具を使って生きている動物であるから、このことを忘れているが、本来、徒手空拳のヒト個体は、ブタを殺すのさえ苦労する動物である。できてせいぜいニワトリを絞めるくらいだろう。
 わたし個人ができることを考えれば、ニワトリすらも殺すことができないかもしれない(可哀想で)。できてせいぜい魚や昆虫くらいか。となると、わたしにとって、自然な「自然食」は、野菜と穀物、魚と昆虫くらいとなる。それ以外の「自分で殺せない」食物は、本来、食べられないものなのだ。


(荒川弘「鋼の錬金術師」6巻より引用。罠でウサギを捕まえたものの、殺すことができないエドとアル。気持ちはよくわかる)

 もちろん、人間の「本来の姿」を、集団で生き、道具を使って狩りをする動物だと定義すれば、食べられるものの範囲はぐんと広がる。クジラ食ももちろん可能になる。

 われわれは「ビーガン」の人々を「なにか小難しい理屈を言って食習慣に制限をくわえている人々」と笑ってはいられない。これは、人間とはどういう動物であるか、というものの再定義なのかもしれないのだ。

 それにしても、旧約聖書を読めばわかるとおり、ユダヤ教の食事禁忌は多かった。
 たとえばダニエル書には、捕囚となったイスラエル人の少年たちが、自分たちには肉を食べさせないで欲しいと願い、十日後、肉を食べていた他の少年たちより健康状態が良かった、というくだりがある(ダニ 1:8-15)
 また、マカバイ記二には肉を食べることを固辞し、処刑されたエレアザルの殉教の記もあったりする(マカ二 6:18-31)

 その厳しい食事禁忌をスッパリなくしたのがキリスト教であり、そのせいもあってかキリスト教は世界の普遍宗教となったというのに、この飽食の時代に「ビーガン」という人々が現れつつあるというのは、人間、なにか自分にルールを課さないとむしろ生きにくい%ョ物なのかなぁ、とも思ったりもする。

 なんにしろ、わたし自身がネコの肉を食べられない、と知ったときから、わたしは、鯨肉を食べられない、という人々を莫迦にすることはできなくなってしまった。

「特効薬コードKUJIRA」を書いた当時は、IWCが「駄々っ子のような非科学的な屁理屈で捕鯨国を責める」という背景があり、それを嘲笑する、という若さが自分の中にあったのだが、今のIWCにはそれほどの力もないようだ(だからこそ日本は脱退したわけで)。

 こんなわたしの考え方の変わり様を、昔からの読者は「変節」だと怒るだろうか……。
 でもね、言い訳ではないけれど、人間、成長はしなくとも、変化はするものなのですよ。
 というところで、昔からの読者の皆様にお詫びしつつ、この稿、筆を置く。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月10日

【日記】常駐ソング

♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!
♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!
♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!
♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラでアルバイトー!

 最近、この歌が妙に頭に常駐してしまっているのである。
 これは知る人ぞ知る風俗の求人ソングで、渋谷などに行くと、専用バスがこれを大音響で流しながら街を回っているのだそうだ。
 ツイッターで読んだ話だが、これを年端もいかぬ娘さんが覚えてしまって電車の中で歌ってしまい、父母が慌てふためいたという。わはは。それは確かに恥ずかしい。

 メロディも知りたい方は、Youtubeで「バニラ 求人」などで検索ヨロ。

 ところで、ここに歌詞をこうやってババンと書くこことができるのは、この曲、著作権フリーなのだ。やるな広告代理店。ヘンに著作権を主張するより、こうやって話題になって広まる方が効果的だという判断だろう。実際、こんなふうに風俗に無縁なわたしのブログでさえ紹介されているわけだし。

 あんまり自分の頭の中でばかり曲が繰り返すのが悔しくて、通っているジムのトレッドミル(ネットに繋がっていてYoutubeを見ることができる)をあがるとき、必ずこの「バニラ」を最後にしておくことにしている。こうすると、次に使う人がチョロメを立ち上げたとき、いやがおうにも「♪ブイ・エー・エヌ・アイ・エル・エルエー・バニラ!」を聴かざるを得ないからである(ひでぇ)。

 こういう、曲が頭に常駐して離れない状態のことを「イヤーワーム(earworm)」と言うそうだ。耳回虫とは言い得て妙である。

 これは個人差があるようで、わたしはけっこうイヤーワームに寄生されるタチ。というか、毎朝、なにかきっかけがあると、なにか古い目の曲が常駐してしまい、頭の中で繰り返すようなことがたびたびある。

 そこでこのバニラの登場なのである。なにか曲が常駐するたびに――
「♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!」
 と、頭の中でリフレインしてやるとあら不思議、前に常駐した曲が消えている。バニラの曲は常駐はするが単調なので、思考を妨げない。そして徐々に消えていく。
というわけで、わたしの中では「常駐ソングを消す常駐ソング」として、この「♪バーニラ」は重宝しているのであった。

 常駐と言えば、このWindows時代には常駐ソフトを書くのは簡単だが(タスクトレイに適当なアイコンを出すなどして終わらせなければいいだけ)、DOS時代に常駐ソフトを作るのはアセンブラでなければ難しかった。
 わたしはC使いだったので、Cでも簡単に常駐ソフトを作りたく、ディスクマガジン「電脳倶楽部」にその旨質問したら、編集部の舩本さんがCでサンプルプログラムをつくってくださった。いやぁ、うれしかった。
 そのスケルトンを使って、当時ハマっていたダンジョンマスターをジョイパッドで操作できる常駐ソフトを作成し、同誌に投稿したのだが、これは採用されなかった。
 Cでの常駐方法、常駐解除の方法は、構造体とユニークな文字列を使った目からウロコなもので、こんなことを考えつく舩本さんはすごいなぁ、と思ったものだった。

 音楽が常駐するイヤーワームの話から、ずいぶん話題が飛んでしまったが、こんなふうに、わたしの頭の中の常駐ソングを常駐解除する曲として、♪バーニラは活躍してくれているのである。

♪バーニラ、バニラバーニラ求人、バーニラバニラ高収入!

 はっ、今度はこっちが消えていかない。どうしよう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年07月03日

【日記】パパ様来日はまだ未定なんだって

 ジャニー喜多川さんが他界した――という誤報が日本中を巡りめぐったあと、真実はそんなことはなく、くも膜下出血で入院しているという事実が、ジャニーズ事務所から発表された。

 いったいどこから「他界した」という話が飛び出てきたのか、そしてそれが世間に受け入れられてしまったのか、興味あるところではあるが、なんにせよ、当事者の所属する公的組織がきちんとした場で発表したことでないと信頼に値しないという、いい例になったように思う。

 ジャニー喜多川さんのご回復を心よりお祈りする。

「NIFTY-Serveバイブル」を書いた、故・猫が好き♪さんが、同書の中で、「パソコン通信に慣れると、取材をパソコン通信の中だけで行って満足してしまうきらいがある。これはいけない。現実の世界でフットワークよく調べることを忘れないこと」というようなことをお書きになっていらっしゃった。まだインターネットが日本では黎明期にすらなっていない頃の話である。この先見の明、今の時代にこそ必要に思う。

 そして実は――今年2019年11月に決定とマスコミが騒ぎ立て、もう「行われること」のように世間が受け取っている、フランシスコ・ローマ教皇(パパ様)の来日も、蓋を開けてみれば、まだなーんにも決定していない、トバシ記事なのだそうだ。

 これは、あるミサのとき、説教で菊池勲・東京大司教区・現大司教様が笑いながらお話しされていたことなので、本当の真実である。
 なんでも、パパ様がいらっしゃるには、それ以前にパパ様の安全を確認するために訪問場所をチェックする人(組織?)がいて、彼(ら)のチェックを通らないと、訪問の予定には入りえないのだそうだ。そして、マスコミが喧伝している広島、長崎、東京などの訪問場所に、彼(ら)はまだ来ていないのだそうである。
 日本のカトリックには16の教区があり、それぞれが独立してバチカンにつながっているが、そのひとつとして、正式に「パパ様がいらっしゃるよ」という連絡は届いていない、とのこと。もちろん、日本の教区を横でまとめている日本カトリック協議会も、パパ様訪日予定のニュースは寝耳に水だったらしい。

 そういう事実を知ってから振り返ると、なるほど、マスコミ各社の言い分は実に嘘くさい。
「との見通しを示した」、「最終調整していることが日本政府などへの取材でわかった」、「共同通信など報道各社が伝えたところによると」、「訪日の希望を表明した」。
 こんな感じ。各ニュースソースを丹念に読めば、バチカンの公式発表はまだひとつもないのである。

 正直、日本の司教団やカトリック協議会、もちろん信徒たちも、はやいところ決定事項としてバチカンに発表してほしいとやきもきしているところだ。

 インチキ宗教の預言者は、預言したあと、それを現実にすることで、預言の成就を誇り、現実にできなかった場合は「祈りが足りなかった」と言うそうだ。
 マスコミがもう「決定事項」としている「パパ様来日」も、この預言に似ているような気がする。

 まあ、なんだかんだ言っても、この11月に、パパ様が日本にいらっしゃるように思ってしまうのは、わたしもマスコミに毒されているからだろうか。

 東京ドームでごミサが開かれるのなら、ぜひあずかりたいものだが、きっと各教会で抽選になるのだろうなぁ、などと、信徒同士でヒソヒソ話したりしているのであった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年06月29日

【日記】ベルトケース

 ケータイやPHSが出始めの頃だったから、もう四半世紀も前の話になるだろう。
 わたしはROM専だったが、NIFTY-ServeのケータイやPHSを扱うフォーラムの会議室で、オジさんたちが「駅でアステルのアンテナを発見」、「電柱にNTTパーソナルのアンテナ発見」、「DDIポケットのアンテナは大きくて安定してそう」、などとキャッキャとはしゃいでいると、まだ20代そこそこという若い人が、突然、こんな質問をしてきたのである。

「オジさんたちに質問です。ここの会議室のみなさんもそうみたいですが、世のオジさんたちは、ケータイやPHSをベルトケースに入れてぶらさげていて、カッコ悪いと思わないのですか? ダサくて、ぼくにはとうてい真似できません」

 会議室のオジさんたちは虚をつかれた気がしたようだが(好きなんだよこの表現w)、そこは紳士と淑女の社交場NIFTY-Serve、誰も喧嘩腰になることもなく、ガハハと笑って、「キミもオジさんになればわかるよ」、「オジさんたちから見ると、キミたちの腰パンの方がみっともなく思えるんだけどなぁ」と混ぜっ返し、若者も「そんなもんなんですかね?」とレスを返して、一連のツリー(レスの応酬のこと)は終わったのであった。

 特にいさかいもなく、ネットウォッチャー(は当時もたくさんいた)的に面白い出来事ではなかったのだが、わたしはこのスレが妙に心に残って、今もこうして書いているのである。おそらく当事者ももう、覚えていないのではないだろうか。

 心に残っている原因は、当時オジさんの年齢に差し掛かったばかりのわたしも、ベルトケースにケータイやPHSを入れてぶらさげていたからである。そうか、こういうのはイマ風の男の子にはカッコ悪いのだな、と、気恥ずかしさ半分、若さへの嫉妬半分で強く印象づけられたのだ。

 あれから25年が経って、当時の「若者」も、もう十分オジさんになったことだろう。
 そして真性のオジさんとなったわたしはと言えば――もうベルトケースは使っていないのだった。

 その心はと言えば、やはりなんといっても、今の端末がスマートフォンになってしまったことが大きい。スマホ用のベルトケースも売っているが、腰回りにつけると、ひょんなことからスマホ本体を折り曲げてしまいそうな気がして怖いというのもある。
 いや、実を言えば、これほどまでスマホが大型化する前、まだ筐体がコンパクトだった数世代前は、ベルトケースを使っていたのだ。それがスマホ買い換えに伴う筐体の大型化にともなって、ベルトケースも大型化し、まるで拳銃のホルスターか? という風体になって、さすがにこれは、オジさんのわたしでもカッコ悪いなぁ、と、敬遠するようになってしまったのである。

 行き場のなくなったスマホはどこに入れているかというと、冬場はジャケットの内ポケット、夏場はワイシャツの胸ポケットに入れている。
 今これは、けっこう大きめな総合病院のロビーで書いているのだが、あたりを見回して、男性がどこにスマホを収納しているかしばらく観察してみると、やはりワイシャツのポケット組、スラックスのポケット組、手持ち組、首からぶらさげ組と多種多様だが、ベルトケース使用者は皆無であった。

 過去のベルトケース愛用者としては、二十五年の時を経て、ケータイがスマホになり、オジさんさえも使わなくなり、ひそかにベルトケースが活躍の終焉を迎えているのだなぁ、と感慨深い。
 同時に、若者の「腰パンブーム」も過去の物になったようで、これもめでたい。あれは短足を隠すためにやっていた、という話を聞いたことがあるが、やはりどう見てもみっともなかった。

 ベルトケースから解放されてみると、腰回りが軽くなって、存外良いものだ。両腕を振って歩いていても引っかかる物がないというのもいい。
 ただ、本当にスマホの携帯の仕方には難儀している。胸ポケットに入れると重さでシャツがよれてあまり見栄えはよくないし、楽しいことがあってスキップなどすると(すんなよ)飛んで落ちていきそうだ。

 夏場、胸ポケットのないTシャツ一枚で近所に出かけるときなどは、しかたなくスラックスのポケットに入れるか、手持ちで行くことにしている。どちらもなにか、収まりが悪くて心許ない。
 どうもスマホというやつは、カッコよく携帯するということができない代物なのだと感じているのは、わたしだけなのだろうか。

 服にポケットのすくない諸嬢はどこにスマホをしまっていらっしゃるのだろう。女性は手ぶらで外出ということはまずしないから、バッグの中なのだろうか? ちなみに細君は、ポシェットの中か、手持ちで歩いている。

 その昔、香港でPHSが出た頃(日本よりも早く、筐体もコードレスホンのように大きかった)、香港の女性たちは左手にそのPHSをそのまま持って出歩くのがファッションなのだ、という記事を読んだことがある。四半世紀以上が経って、日本のファッションも香港に追いついたということか。

 前述の、ベルトケースを「ダサい」と言った若者も、もう十分オジさんの歳になっているはずである。今、彼がどうやってスマホを携帯しているのかな、と想像するのも面白い。わたしの想像もできない「カッコいい」携帯の仕方をしているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記