2018年04月19日

【回想録】ファンレター

「【回想録】著者近影」で「結城狂介」氏からのファンレターについて書いたので、連想して、今までいただいたファンレターについて思い出している。

 ファンレターというものは、基本、嬉しいものである。じゃあ応用はどうなのよ? と訊ねられれば、そりゃあ、時と場合による、としか言いようがない。

 わたしはそういうものはいただいたことはないが、まるでケンカ越しで「あんたの書いたモノはクズだ」というような手紙が送りつけられてきた作家もいたそうだ。

 ああ、そうだ。言っておくが、少なくとも今のように、ネットで作家へダイレクトにメッセージを送れる時代ではなかった頃は、著者への手紙は編集部経由で届くのである。そしてそれらは、当然、検閲されている。
 少なくとも、わたしの手元に編集部から届いたお手紙は、どの出版社の編集部も当然のように開封していた。
 なので、上記のようなあまりに過激な(わたしがショックを受けるような)手紙は、渡されなかったのかもしれない。

(しかしこれは裏技的な話だが、文藝家協会に入っているような作家は、たいてい、毎年発行される「文藝年鑑」に住所が載っているのである。それを見て、上記のような礼を逸した手紙を送りつけてくる輩がいないとは言えないのであった)

 わたしは若く、青春小説のようなものを書いていたので、やはり若い読者層からのお手紙をよくいただいた。
 女子高生から「わたしたちが日常で話している言葉そのままでびっくり。電車の中で聞き耳を立てていらっしゃるのでは、とか勘ぐってしまいます(笑)」というお手紙をいただいたこともあったし、逆に「今の女子高生はこんなしゃべり方をしません。想像で書いていらっしゃるのでしょう」という、正反対なメッセージをいただいたこともある。
 どちらかが間違っているというわけではなく、どちらも正しいのだろう。

 わたしは、ファンレターにマメに返事を返すタイプの作家ではなかった。この点、本当に申しわけないと思っている。
 年賀状で一気にお返事を出した年もあった。その年の高校受験で、わたしが出したお返事をお守りにして試験に臨み合格しました、という報告をいただいたこともあった。なんとも、こちらが恐縮してしまった。

 いただいたファンレターは、ほぼすべて、脳のどこかで保存されていると思う。少なくともポインタとしては保持されているはずである。

 そんな中でも、お返事を返せなかった、あるファンレターのことを、たまに思い返す。
 彼女はわたしが書いた、ハッピーエンドの青春恋愛小説を読み、とても楽しかった、という前置きの上で「現実はこうじゃないんですよね。わたしは今、とっても苦しい恋をしています。とっても、とてもつらいです」と、苦しい恋のいきさつが綴られていたのであった。
 何度も何度も読み返し、いったい、わたしがどんなお返事を書けば励ませるのかどうか、悩んだ。悩みに悩んだ末、時間はどんどん経っていき、そして結局、お返事を出すことができなかった。
 今、こうして書いていても、後悔している。なにか一筆でもいいから、励ましのお便りを出すべきであった、と。

 あのとき、あの手紙をくださったお嬢さんが、今、幸せであることを、本当に、心から願う。

 物理メールのお返事は怠け者であったわたしだが、電子メール時代になってからいただいたファンレターのお返事は、おそらくすべてお返ししているはず(だと思う)。
 このブログはコメント欄を閉じ、SNSとの連携を切っているが、なにか思うところがあれば、ウェブサイト「深夜のお茶会いまさら」「CONNECT」ページから、フォームメールでメッセージをお送りいただければ幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年04月04日

【回想録】余は如何にしてカトリック信徒を選びし乎

 タイトルでは「選びし乎」と大仰に書いているが、そんなものは人間の目からみた小さなことであって、実際には、神さまがわたしを「おまえはカトリックね」と配置したのである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネによる福音書 15:16)


 なのである。
 それでもわたしは成人洗礼なので、選ぼう≠ニ思えばプロテスタント教会を選ぶこともできた。
 歩いて数分のところに、由緒正しい「日本キリスト教団」の教会があったし、親戚にもプロテスタントの方がいた。
 そんなわたしが、歩いて一時間かかるカトリック教会の方を選んだ≠フには、わりと理論的な判断があった。

 ズブの素人がキリスト教に触れよう、というとき、まず始めてみるのは、「聖書を読むこと」ではないだろうか。
 わたしが若い頃、書店で入手できた聖書は「口語訳」だけであった。そこで検索してみると、どうやら現代の最新の聖書では、大まかに言って「新共同訳」と「新改訳」のふたつの訳が出版されているようなのである。
 これには少々びっくりした。なにしろ、教派は違っても「聖書」は「聖書」。同じだと思っていたのである。カトリックとプロテスタントでも、同じ聖書を使っていると思いこんでいた(一部新興宗教系キリスト教≠ェ独自の訳を使っていることは知っていたが)。

 新共同訳と新改訳、どちらを読もうか瞬間迷ったが、結論はすぐに出た。ここはやはり、伝統ある口語訳を訳出していた日本聖書協会発行の「新共同訳」だろう。しかも「新共同訳」は、カトリック、プロテスタントの共労で翻訳されたとのこと。カトリックにしかない「アポクリファ(旧約聖書続編)」つきのものもある。情報源は多い方が良い。

 あと、深くは触れないが「新改訳」を使っている教派に評判の良くない教会があることを知ったこともある。念のため言っておくと「新改訳」自体はいい訳だと思っている。

 さて、プロテスタントの聖書66書およびカトリックのアポクリファを読み終わっても、わたしはクリスチャンではなかった。ただの「聖書を一度読んだ人」である。
 やはり教会へ一度足を運んで、実際のところを体験してみないとわからないなぁ、という思いがあった。

 そこで、カトリックとプロテスタントがどう分かれ、どちらがどういう主張をしているか、ということを調べてみた。
 カトリックは「聖書と聖伝」をふたつの柱としている。「聖伝」とはつまり教会のシステムそのものだと言ってもいい。
 対してルターの提唱から分派したプロテスタントは「聖書のみ、信仰のみ、万人祭司」を旨としていた。

 最初、プロテスタントの主張は「こりゃあよい」と感じたものである。「聖書のみ――聖書だけ読んでいれば良い」。「信仰のみ――特に慈善などする必要はない」。「万人祭司――みなが祭司なのだから教会の存在すら必要としない」。
 これでクリスチャンを名乗れるのだから、プロテスタント万々歳である。

 日本のプロテスタント教派のひとつに「無教会」という独特なものがあるのだが、プロテスタントをつきつめていけば、結局は「無教会」にならざるを得ないのではないか。論理的なわたしはそう思った。

 ならばどうして、プロテスタント教会というものが存在するのか――それを説明してくれる書籍や牧師先生、ウェブサイトなどを探したが、わたしを納得させる答えはどこにもなかった。プロテスタントでも教会は必要。そればかりである。

 となると、正直、プロテスタントは根本的なところが論理的ではないなぁ、と思った。枝葉末節はけっこう論理的で、そういうところはわたしの性に合うのだが、やはり「教会に通わないとクリスチャンとは言えない」というのは「ルターの三原則」に合っていないと思う。

 いっそのこと「無教会派」になろうかと思ったこともあったが、「無教会派」は「無教会派」で、定期的な集まりを持っているのである。それって結局、教会と一緒じゃん、と内心思ったりもしていた。

 プロテスタントの一部が「間違っている」と拳を振り上げる、カトリックのマリア崇敬や聖人崇敬は、わたしにとってなんのハードルにもならなかった。人間が人間を尊敬するのは当たり前だと思っていたからである。むしろ、イエスと神さまだけを尊敬し、人類の歴史に善なるものを刻んできた人々を「ただの人だから」と軽視するという考えの方が高慢に思えた。

 実際に教会へ行く段になって、けっこう直前まで、プロテスタント教会へ行くか、カトリック教会へ行くかを迷っていたと記憶している。
 しかし、カトリック教会へは、行ってみないとわからないことが残されていた。「聖伝」である。その「聖伝」に触れてみたい、という思いがあり、最終的に、わたしと細君の足はカトリック教会へと向かっていた。

 そして縁あって勉強会に出るようになり、洗礼を受け、平均クリスチャン寿命≠フ三年を過ぎて、教会委員までやり、今や立派なカトリックの教会畜≠ナある。

 こういったものは、巡り合わせなのだろう。カトリック、プロテスタントと教派を分けたのは、おそらく神が、選択肢を多くしてくれたということなのだ。どちらが正しい、というものでもない。

 冒頭に「わたしがカトリック教会の方を選んだ≠フには、わりと理論的な判断があった」と書いたが、それは詭弁だ。ふりかえってみれば、そこにはやはり、なにか、運命的なものがあった、としか言いようがない。

 成人洗礼でプロテスタントの洗礼を受けた教会畜≠フ方にも、似たようなストーリーがあるのではないかな、と思う。

 讃えられるは神のわざ、なのである。

追記:タイトルはもちろん、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」のパロディである。なんか偉そうだな、と勘違いされる方もいらっしゃるかと一筆。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年03月27日

【回想録】著者近影

「昭和の遺伝子」にしようか迷ったが、平成初期でもこの慣習は失われていなかったことを思い出したので、カテゴリは「回想録」とした。
 今ではほぼありえないことだが、ほんの数十年前の書籍には「著者近影」が載っていることが当たり前だった。小説だと表4(本は表紙を表1、表紙裏を表2、裏表紙を表4、裏表紙裏を表3と呼ぶ)、マンガだとカバーの表紙側の折り返しに、ごく普通に、著者の写真が載っていた。

 これがなくなっていったのは、もちろん今では、顔は重要な「個人情報」であるからという理由で片づけられてしまうが、どうも「ストーカー」の登場と前後しているような気がする。
 もちろん、「ストーカー」という呼び名の前にも、そういう人々はいたのだが、作家やマンガ家に対して、一線を越えた熱情を持つ人々は「熱狂的ファン」と呼ばれ、そういう人々は、まま「ある」ものだ、とされていたのである。

 わたしもある日、編集部に顔を出してみると「わたしは今日から、結城狂介を名乗ります」と書かれたハガキを出され、仰天したことがある。

 編集者「これ、結城さんが出されたんですか?(苦笑)」
 わたし「ままま、まさか。知りませんよ、わたしじゃないです」
 編集者「まあこういう方もいらっしゃいますからね。これから先、お気をつけることも大事ですよ」

 編集者は親切心からおっしゃったこととわかっていても、こっちはどうすりゃいいんだい、という気分であった。当時、わたしは雑誌「フォーカス」や週刊誌、青年誌などにも「著者近影」を出していたのである。

 しかしまあ、その頃から、わたしは自分が五十までに、病気か事故か自殺で死ぬだろうと思っていたので、後ろから刺されること上等、とは思っていた。
 あのとき「わたしはこれから結城狂介を名乗ります」というファンレター≠くださった、本名も知らないその方が、今でもどこかで、元気でいらっしゃることを祈る。

「著者近影」には苦い思い出もある。もう単行本の刷りだしギリギリになって、編集者から「著者近影のお写真をください」と言われ、その頃つきあっていた細君が海辺で撮ったわたしの写真を送ったのである。
 その写真は、カラーだと背景が海に沈む夕陽で美しかったのだが、海風でわたしの髪の毛が吹き上げられて、まるで、寝癖のように映っていた。
 編集者に「もっといい写真にしましょうよ」と言われたのだが、わたしの悪い癖で面倒になり、「いいですよそれで、写真で本が売れるわけでもなし」と言って、その写真を使った。
 わたしは間違っていた。著者近影で本は売れるのである。あのとき、もっと格好良い写真を使っていたら、一万部はプラスしていたに違いない(撮った細君が悪いわけではない。為念)。

 それで反省し、その後の本では、編集者もわかったもので、プロのカメラマンに撮ってもらうことにした。
 しかしそのときは「近影」の写真は使わず、書斎でマシンに囲まれた上半身の写真を使ったと記憶している。

 編集者「いやー、映した写真、どのお顔を見ても、疲れて映っていらっしゃるので、ちょっとこれは、引いて撮ったものがいいかな、と――」

 脱稿直後である。クッタクタに疲れているのは当然だっつの。
 そんなこんなもあって「著者近影」にはあまりいい思い出がない。

 前述「結城狂介」氏ほどではないが、顔を出していた当時は、多少、びっくりしたことが何度かあった。街の喫茶店で編集者と待ち合わせをしていたら、隣の席から「ひょっとしたら結城先生でいらっしゃいますか?」と言われたり、宅配便のお兄さんから荷物を受け取ったら「新作の進行状況はどうですか?」と訊かれたことがある。

 わたしはこういうの、さほど気にしないほうだが――この辺、感覚が昭和――嫌な作家・マンガ家はいらっしゃるだろうな、とは思う。

 今はネットで、匿名で連絡が取れる(逆に本名で連絡を取ることを躊躇する)時代だが、その昔は、同人作家も奥付に自分の住所を直接印刷していた。もちろん危機感はあっただろうが、そのデメリットと、感想をいただけるというメリットを天秤にかけて、住所本名を記載していたのである。

 なんとも、牧歌的で、のんびりとした時代ではあった。「回想録」にしたが、当時のその雰囲気自体は「昭和の遺伝子」だろうと思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年03月26日

【回想録】ゲーム「MYST」の思い出

 ゲーム「MYST」は、もとはマック用だったと記憶している。たしかHyperCardで動くよう作られ、その後、Windows版、家庭用ゲーム機にも移植されていったはず。

「MYST」は「ミスト」と読む。「マイスト」ではない。


(サターン版とプレイステーション版。サターン版には「A+R+L+Start」という謎の付箋がはってある。なにかの裏技モードがあったのかもしれない)

 わたしが初めて「MYST」を体験して、最後まで終わらせたのは、サターン版だった。これは「サン電子」が移植し販売したものだが、初期ロットには特定の動作をすると画面上にコアダンプするというバグがあり、バグを直した良品と交換してもらった、という経緯がある(のは別の記事でも書いたか)。


(これが珍しいバグ画面)

「MYST」は革命的だった。上で「体験」と書いたが、本当に「体験」であった。
 内容だが、プレイヤーは正体不明の「MYST島」に迷い込み、そこを起点にいくつかの世界を冒険して謎を解き、最終的にこの島を作った人物と接触して島を脱出する、というもの。

 こう書くと、アドベンチャー? RPG? と、現代のゲームしか知らない読者はいろいろ想像するかもしれないが、そういったゲームとは一線を画している。
 なにしろ、画面に現れるのは、静謐で美しい一枚絵のCGである。基本的に画面をクリックすると、次の画面へ移動するか、なにか画面上のものを動かすことができる。
 人は最後のシーン(と、図書館にある怪しげな本の中)にしか登場しない。
 基本、「MYST島」も、そこから行ける世界も、自然音のみでとても静かだ。たまに蝶がとんでいたりするが、どの世界も、恐ろしいほどの「静寂」に満ちている。そこにあるのは、圧倒的な「孤独感」だ。

 それまで、いや、今までも、これほどの「孤独感」を感じられるゲームはなかったと言ってもいい。

 そして、要所要所では、荘厳で美しい音楽が響く。

 各世界の「謎」は本当に「謎」である。「謎」として提示されることもない。なにをやっていいかすらわからない。「孤独感」と「謎ともわからない謎」の中で、プレイヤーはひたすら途方に暮れる。

 これらは、「MYST」の原作の制作会社「Cyan」が、当初、意図したものではないだろう。ただ、当時のPCおよび制作費の限界の中で制作したものが、逆に良い効果として結実したのだろうと想像している。

 その証拠に、続編の「RIVEN」では、いきなり人が登場してくるのだが、当時、パソコン通信では「ガッカリした」という声が大きかったのである。みな、「MYST」のあの孤独感が好きだったのだな。
 もちろん、「RIVEN」もそれなりに面白くはあったのだが、「MYST」のインパクトにはかなわなかったと感じている。

 今でも、深夜にサターンの「MYST」を、細君と二人で「なんかこの美しさが逆に怖いよね……」と言いながらプレイしていた日々を思い出す。

「MYST」の洒落ているところは、すべての謎を解くと、答への入り口はなんと、最初の出発場所からすぐのところにある、というところだ。答さえ知っていれば、開始から数分でエンディングを見ることができるのである。
 なお、その際、あるアイテムを持っていかないと、永久に「MYST島」に閉じ込められるというバッドエンドになるというのもなかなか。

 この「MYST」と「RIVEN」。音楽もなかなか素晴らしかったため、まだアマゾン日本がなかった時代でもあり、畏友R氏と折半しあって、アメリカアマゾンからCDを購入した憶えがある(R氏は尋常ではない音楽通なので、アメリカアマゾンが稼働し始めた頃から、すでに頼もしいアマゾンユーザーであった)。
 今もその曲を聴きながら、これを書いている。

「MYST」はその後シリーズになり、3DCGになった「real MYST」などもやってみたが、「なんかちがーう」という感想しかなかった。やはり「MYST」は、あの「孤独感」がなければダメだ、とわたしは思う。

 そうそう、「MYST」のパロディ作で「PYST」というものがあることをご存じの方は少ないだろう。読み方はもちろん、「パイスト」ではなく「ピスト」である。


(これが「PYST」のパッケージ。「インタラクティブCD-ROM&オンラインコメディー」と銘打たれているが、別にオンラインゲームではない)

 こちらのコンセプトは、「あの美しいMYST島が観光地になった。観光客が大勢訪れ、モノは捨てられ汚されひどいものに」というもの。謎などはなく、CD-ROMソフト黎明期のユーザーなら誰でも知っている「おばあちゃんとぼくと」のようなインタラクティブソフトであった。
 数十分で楽しめる内容であったが、それなりに面白かったと記憶している。

「MYST」と「RIVEN」は、もう一度やってみたいゲームの筆頭である。書斎をあさってみると、プレイステーション版も買っていた。今のプレステで動くのかな(そういったことにはめっきり疎くなってしまった)。
 きっと、もう一度「MYST島」に行くことができたら、あの孤独感の中に、懐かしさを感じるに違いない。
タグ:ゲーム
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年03月17日

【回想録】ラジオドラマ『ガルシン「信号」』の思い出

 ロシアの作家ガルシンの短編に「信号」というものがある。教科書にも載っていたので、「ああ、懐かしい」と思われた方も多いのではないだろうか。

 わたしたちの中学校の教科書にも、この、ガルシンの「信号」が載っていた。中学二年のそれではなかったかなぁ。おそらく、教科書のかなり後半の方だったと思う。三学期に入ってからの内容ではなかっただろうか。

「【回想録】思い出に残る授業」にも出てくる国語の先生は鷹揚で、三学期のこの、ガルシンの「信号」を、生徒各自の自由課題にしたのだった。
 つまり、感想文を書くのも、漢字の書き取りをするのも、なにをするのも自由、としたのである。ただし、成果物は提出すること、となっていた。

 そこで、わたしが所属していたやんちゃグループは、これを「ラジオドラマ」にすることにしたのである。

 シナリオは畏友H君が担当した。主役のセミョーン≠ヘわたし、主役の妻役はS君が裏声で(我々のグループに女生徒はいなかった)。線路を壊すヴァシーリィ≠H君が、その他の役とテクニカルエンジニアをこだわり屋のY君、演出はK君が務めた。

 成績だけでなく地頭も良かったH君のシナリオは完璧であった。短い時間によくまとめたと皆で驚いたものだ。
 録音にはそう時間がかけられない。一日でやるしかない。幸い、気のいいS君が部屋を貸してくれるというので、日曜日、皆で数台のラジカセや効果音レコードを持って彼の家を訪問した。
 当時、簡単にケーブルをつないでミキシングや多重録音はできなかった。一台のラジカセでBGMを流しながら、別のラジカセで録音し、台詞入れを行うのである。
 もちろん、中学生のやることだから、稚拙である。しかしこの日は、朝からもうみんな、笑いが止まらなかった。

「オープニングはこの曲でやんね?」
「いやもうちょっと壮大な感じでさ」
「壮大な話じゃないじゃんこれ(一同笑)」
「Sの裏声、悪いけどちょっとキモすぎ」
「ここでこの効果音はあまりに合ってなくない?(一同笑)」
「恭介噛みすぎ。やりなおし」
「この噛んでるところが迫真の演技なんだよ(笑)」

 こんな調子だから、朝から始めたのに、もう日が暮れ始めているのにまだ終わらない。

 最後、ストーリーを知っている方ならご存知だと思うが、ヴァシーリイは最後に鉄道の線路を壊し列車の転覆を謀る。それを阻止しようと、セミョーンは自らの体を刺して、噴出した血でハンカチを赤くぬらし、それを振って列車を止めようとするのである。

「ここは効果音が一番生きるところだな」
「ナイフで体を刺すシーン、いい音がないなぁ」
「これはどうだろう」と、S君がジャージのチャックをジャッ≠ニ引き下ろした。いい感じである(と、みな思った(笑))。
「あとは血しぶきが出るシーンの音だな」
「もうさ、めんどくさいから、泉がゴボゴボ湧き出てるこの効果音集から取っちゃおうぜ」
「もうそれでいいんじゃない(一同笑)」

 というわけでGo。H君の迫真の演技のあと、S君がジャージのチャックをジャッ≠ニ引き下ろし、泉がゴボゴボ湧き出る音が……。
 そしてわたしセミョーンの独白のあと、ヴァシーリィが決める。「あっしをしばっておくんなせぃ。あっしが、線路を外したんだ……」

 録音を聞き返してみると、いやもう、全員、大爆笑。血が吹き出るとかいう話ではない。こりゃもうセミョーン、出血多量で死んでるって、というレベルである。

 最後には、当時流行していたスターウォーズのテーマを流して、無理矢理感動的に終わるという、中学生がつくったならではのラジオドラマ「ガルシン『信号』」ができあがったのであった。

 いや、思い返しても懐かしく、そして、あのときの楽しい一日が心に蘇ってくる。
 録音テープはおのおのダビングして、もちろん、成果物として先生にも提出した。先生が聞いてくれたかどうかはわからない。感想はいただけなかったんじゃないかなぁ。

 あのときの録音テープは、10年、20年と経って、たしかMiniDisc化まではしたはずだが、mp3にまではしていなかったと思う。
 機会があったら、MDの棚から該当ディスクを探しだしてデジタル化して残しておきたい。
 今聞いてみると、きっと恥ずかしい「黒歴史」は通り過ぎ、むしろ中学生の頃のあのピュアさ、純真さを想起して、暖かい気持ちになれそうに思うから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録