あれは小学校二年生のときだっただろうか。学校でカイコの幼虫が配られたことがあった。いや、全員にではなく、欲しい者にだけ、だった気がする。
配られたカイコの幼虫は、本当に小さく、一匹が一センチにも満たない茶色の小虫であった。それをビニールの小袋に入れて家に持ち帰った。
全部で50匹程度はいたのではなかったかな。
家で飼うことに父母は反対しなかった。わたしの教育のためにいいと思ってくれたのだろう。姉は気持ち悪がっていた。
翌日から、箱に入れて、成長を見守った。
ご存じのとおり、カイコは桑の葉以外は食べない。ウチの庭には桑の木はなく、父が近所の家(といっても、少し離れていた。そこしか桑がなかったのだ)に頼んで、毎朝、わたしと桑の葉をもらいに行くことにした。
特に飼育書のようなものは読んだ記憶がない。今、調べてみて、4回脱皮をするということを、改めて知ったくらいだ。
毎日飼育箱を清潔に保ち、新鮮な桑の葉を与え、あまりいじくりまわさなかったのが良かったのかもしれない。50匹のカイコはすくすくと育ち、どんどん大きくなり、箱も徐々に大きい物に変えていって、姉はさらに気持ち悪がるのであった。
5令になるまでに死んだカイコは、二匹だけであった。一匹は病死で、黒くなって死んでいた。もう一匹は、わたしが不注意で物を落とし、それでつぶして死んでしまった。この不注意は本当に残念だった。庭に死んだカイコのお墓をつくってあげた。
5令をすぎて一週間くらいたち、夜、父母が呼ぶので行ってみると、カイコが箱の隅にマユをつくろうとしていた。
器用な父が早速紙で格子状のマユ棚をつくり、そこに次々とカイコを乗せていくと、皆きれいにマユをつくっていくのである。
「本当にマユをつくるんだねぇ」と、父母とわたしは感動していた。その場に姉がいたかどうかは記憶にない。部屋でキモがっていたのかもしれない。
翌日、学校から帰ってみると、どの格子にも、りっぱなマユができているのであった。
さてそれからが困りどころであった。養蚕業者ではないウチでは、マユから絹糸を取る設備もない。
試しにひとつ、マユをカッターで切ってみると、中からはサナギが出てきた。
「ぎゃー」とわたし。「気持ち悪い!」
あれほどカイコのときはかわいいと思っていたのに、マユの中に入っているサナギは気持ち悪く感じたのだ。不思議なものである。
結局、ほとんどを記念に残して、あとの十個ばかりを観察に回そうということになり、マユたくさんをグラグラと鍋で煮て(ごめんねサナギさん)、箱に取っておくことにした。
姉にもひとつあげた。振ると中でサナギの音がするのが不気味だが、まあ死んでるしということで、姉もマユ自体はキモくないらしくもらってくれた。
煮なかった数十個からは、無事にカイコの成虫が出てきた。茶色い液をマユに吹きかけ、穴をあけて出てくるのである。
出てきたおカイコさんは、サナギ時代とは違い、とても可憐でかわいかった。
しかも雄雌同士は勝手にお尻をくっつけあい、交尾をするのであった。
このお尻同士をくっつけている様子がほほえまし、わたしは二匹を離してやるのである(ひでぇ)。すると、雄のほうからピューッとなにか液体が出て、また雌とお尻をくっつけようとする。で、また離してピューッ。
今思うと、とんでもなくかわいそうなことをやっていたのだが、ま、子どものすることだからね……この頃から「リア充爆発しろ」だったわけだな。
雌のほうは、産卵までしてくれたような記憶がおぼろにあるが、これ以上は育てられない、と家族会議で一致を見て、卵とおカイコさんはそのツテにもらわれていった。
それと前後して――
姉「ぎゃー!」
なんと、姉にあげた、湯がいたマユのサナギが死んでおらず、中から成虫が出てきたのであった。
というわけで、結城家の養蚕記録は、わりとうまくいったという楽しい記憶で結ばれている。唯一、自分のミスでつぶして死なせてしまった一匹だけが心残りだ。
それと、その期間、散々な目ばかり遭わせてしまった姉には、この場を借りて謝っておきたい。ゴメンナサイ。
2019年06月08日
【回想録】カイコの思い出
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録
2019年06月01日
【回想録】レコードの思い出
友人の家で初めてコンパクトディスクを聴いたとき「これで、趣味のオーディオは終わった」と思った話は以前も書いた。こんなに簡単に上質の音が出るのならば、もう、いろいろ工夫する余地はない。そう一瞬で悟ったのだ。
そしていまでも、もう、趣味のオーディオは「ない」と思っている。
もちろん、数千万円の資金をかけて、オーディオ専用の部屋をつくったり、電柱から取り出す電気にまで気を遣うのなら別だが、それはもう、趣味と言うより、なんだろう、「人生をかけた信念」とでも呼んだ方がいいような気がする(ほめ言葉である)。
オーディオが趣味であった時代、一般人が手に届く一番のオーディオソースはレコードであった。このレコードの音をいかによく響かせるか、が、趣味の範疇だったのである。
そして、このレコードには苦労させられた。そんな四方山話をひとくさり。記憶を頼りに気楽に書いていくので、間違っている部分もあるかもしれない。詳しいことが知りたかったら検索だ。
レコードには、まず、スクラッチノイズがつきものであった。溝をダイヤモンドの針が走るのである。本当の無音というものは再生できなかった。
さらに、レコードは傷つきやすい。傷がつくと、すぐ音に反映する。回転する円盤に傷がつくわけだから、定期的にプチ、プチとノイズが乗ってしまう。
針にはMC(ムービングコイル)型とMM型(ムービングマグネット)型というのがあって、一般的にMC型の方が繊細でいい音が出ると言われた。
レコードは回転する円盤だが、回転数は内側も外側も変わらない。角速度一定、ということである。つまり、外側より内側の方が情報量(ダイミックレンジ)が少ないのだ。
ポップスなどではあまり問題にならないが、クラシックなどでは、曲の後半に盛り上がりがあることがあり、それがために、内側から針を落として、外側に向けて再生していくという珍品レコードも存在していた。
音が大きい部分は溝が大きく波形を描いているので、すぐにわかる。しかし実際には、小さい音と大きな音の波形をリニアに記録していくわけにはいかない。波形の差が大きすぎるからである。
そこでレコードプレイヤーには、RIAAカーブというイコライザをかましてあった。小さい音は大きく、大きな音は小さく、波形を変形させていたのである。
だからレコードで「原音再生」などというのは、実は最初っから「絵に描いたモチ」なのであった。
高校生当時、レコードの貸し借りは大変であった。CDと違って、カバンに放り込んで持っていける代物ではない。なにしろ、物理的にでかい。満員電車の中では割れないよう気を遣わなければいけない。
わたし自身は、レコードの貸し借りはほとんどしなかった。借り手が大ざっぱな人だと、レコードにヒゲがつけられてしまうからである。
ヒゲというのは、真ん中の穴の部分あたりに傷がつけられてしまうことを言う。ちゃんとスピンドルに穴をゆっくり挿してくれる人ならよいが、中にはスピンドルの上にレコードのレーベル部分を乗せて、ダロカンで動かしてレコード穴を挿す人がいるのだ。すると、スピンドルの突起で穴のあたりに傷がついてしまう。これが「ヒゲ」。こういう人は、レコードそのものの扱いも悪い。ので、貸したくないのであった。
レコードはほこりにも弱かった。なのに静電気を呼ぶ材質でできているものだから、再生中、針がほこりをひっかけて、音がなまることもないではなかった。
レコード用の細長いほこり取りアイテムなどや、静電気よけのスプレーも販売されていた。スプレーは愛用したこともあったが、ムラなく塗るのがわりと難しく、音も濁る気がして、後期にはあまり使わなかった。
アナログな回転機構に頼る機器であるから、回転数にもムラがあり、これを一定に保つために、ターンテーブル(レコードを回す台)には一定の刻みがつけられており、これをストロボライトで照らして静止して見えるよう調整する。つまり、回転数を一定に保つよう、人間が微調整するのであった。
回転方法も、DD(ダイレクトドライブ)か、プーリーで回す方法のどちらがいいかで、けっこう論争があった気がする。
なんにしろ、回転を完全に一定に保てるわけはなく、ワウフラッターと呼ばれる、回転に起因したノイズとレコードは切っても切れない関係であった。
さらに、ヘッドホンリスニングならば問題にならないが、スピーカーで再生すると起こる問題があった。音とは空気の振動であるから、振動がレコードプレイヤーに伝わり、ハウリング状態になるのである。これを避けるのに、レコードプレイヤーやスピーカーにインシュレーターを履かすのは常識であった。
レコード自体の振動を押さえるために、スピンドルに乗せる重しもあった。
中にはレコード針のついているカートリッジの上にコインを張り付けて重くして再生している人もいた。アイデアはいいが、レコードの溝が傷むのではないかなぁ、と思ったものだ。
そうやって気を遣って再生環境をつくっても、レコードのカッティングが甘いと、なんと、隣のトラックの音を拾ってしまうこともないではなかった。
そして、レコードも針も消耗品であった。保存状態が悪いとレコードはすぐに変形したりカビたりするし、針はなまっていくので定期的に交換しなければならなかった。
こうやって、工夫に工夫を重ねて、「いい音」を出していた時代の経験者からすると、それらを一瞬で必要ないものにしてしまったコンパクトディスクの登場は、「いままでの努力はなんだったんだ!?」と思わされる機器だったのである。
最近は懐古趣味で、レコードがいい、あの暖かさがいい、という奇特な人が出てきているようだが、レコードで散々苦労してきた者からすると、とんでもない話である。
いまこの記事は、スマホに入れたmp3のモーツァルト・コンプリート・ワークスを、Bluetoothで完全ワイヤレスイヤホンに飛ばして聴きながら書いている。ワウフラッターも皆無。ノイズに悩まされることもない。実に快適だ。しかも、指先大のマイクロSDに、モーツァルトだけでなく、バッハ全曲集、ショパン全曲集を入れてもまだ余裕がある。
ほかの回想録記事だと「懐かしい、また使ってみたい」と締めるところだが、レコードだけは、もう二度とあの苦労はしたくないなぁ、と思う機器である。
こうやって記憶を掘り起こしながら書いてみても、やっぱり、もうレコードはこりごりだ、と思う。
でも、あの大きなジャケットはよかったかな。ジャケットからLPを取り出すときのわくわく感は、CDよりはちょっとだけあったような気もするのだ。
そしていまでも、もう、趣味のオーディオは「ない」と思っている。
もちろん、数千万円の資金をかけて、オーディオ専用の部屋をつくったり、電柱から取り出す電気にまで気を遣うのなら別だが、それはもう、趣味と言うより、なんだろう、「人生をかけた信念」とでも呼んだ方がいいような気がする(ほめ言葉である)。
オーディオが趣味であった時代、一般人が手に届く一番のオーディオソースはレコードであった。このレコードの音をいかによく響かせるか、が、趣味の範疇だったのである。
そして、このレコードには苦労させられた。そんな四方山話をひとくさり。記憶を頼りに気楽に書いていくので、間違っている部分もあるかもしれない。詳しいことが知りたかったら検索だ。
レコードには、まず、スクラッチノイズがつきものであった。溝をダイヤモンドの針が走るのである。本当の無音というものは再生できなかった。
さらに、レコードは傷つきやすい。傷がつくと、すぐ音に反映する。回転する円盤に傷がつくわけだから、定期的にプチ、プチとノイズが乗ってしまう。
針にはMC(ムービングコイル)型とMM型(ムービングマグネット)型というのがあって、一般的にMC型の方が繊細でいい音が出ると言われた。
レコードは回転する円盤だが、回転数は内側も外側も変わらない。角速度一定、ということである。つまり、外側より内側の方が情報量(ダイミックレンジ)が少ないのだ。
ポップスなどではあまり問題にならないが、クラシックなどでは、曲の後半に盛り上がりがあることがあり、それがために、内側から針を落として、外側に向けて再生していくという珍品レコードも存在していた。
音が大きい部分は溝が大きく波形を描いているので、すぐにわかる。しかし実際には、小さい音と大きな音の波形をリニアに記録していくわけにはいかない。波形の差が大きすぎるからである。
そこでレコードプレイヤーには、RIAAカーブというイコライザをかましてあった。小さい音は大きく、大きな音は小さく、波形を変形させていたのである。
だからレコードで「原音再生」などというのは、実は最初っから「絵に描いたモチ」なのであった。
高校生当時、レコードの貸し借りは大変であった。CDと違って、カバンに放り込んで持っていける代物ではない。なにしろ、物理的にでかい。満員電車の中では割れないよう気を遣わなければいけない。
わたし自身は、レコードの貸し借りはほとんどしなかった。借り手が大ざっぱな人だと、レコードにヒゲがつけられてしまうからである。
ヒゲというのは、真ん中の穴の部分あたりに傷がつけられてしまうことを言う。ちゃんとスピンドルに穴をゆっくり挿してくれる人ならよいが、中にはスピンドルの上にレコードのレーベル部分を乗せて、ダロカンで動かしてレコード穴を挿す人がいるのだ。すると、スピンドルの突起で穴のあたりに傷がついてしまう。これが「ヒゲ」。こういう人は、レコードそのものの扱いも悪い。ので、貸したくないのであった。
レコードはほこりにも弱かった。なのに静電気を呼ぶ材質でできているものだから、再生中、針がほこりをひっかけて、音がなまることもないではなかった。
レコード用の細長いほこり取りアイテムなどや、静電気よけのスプレーも販売されていた。スプレーは愛用したこともあったが、ムラなく塗るのがわりと難しく、音も濁る気がして、後期にはあまり使わなかった。
アナログな回転機構に頼る機器であるから、回転数にもムラがあり、これを一定に保つために、ターンテーブル(レコードを回す台)には一定の刻みがつけられており、これをストロボライトで照らして静止して見えるよう調整する。つまり、回転数を一定に保つよう、人間が微調整するのであった。
回転方法も、DD(ダイレクトドライブ)か、プーリーで回す方法のどちらがいいかで、けっこう論争があった気がする。
なんにしろ、回転を完全に一定に保てるわけはなく、ワウフラッターと呼ばれる、回転に起因したノイズとレコードは切っても切れない関係であった。
さらに、ヘッドホンリスニングならば問題にならないが、スピーカーで再生すると起こる問題があった。音とは空気の振動であるから、振動がレコードプレイヤーに伝わり、ハウリング状態になるのである。これを避けるのに、レコードプレイヤーやスピーカーにインシュレーターを履かすのは常識であった。
レコード自体の振動を押さえるために、スピンドルに乗せる重しもあった。
中にはレコード針のついているカートリッジの上にコインを張り付けて重くして再生している人もいた。アイデアはいいが、レコードの溝が傷むのではないかなぁ、と思ったものだ。
そうやって気を遣って再生環境をつくっても、レコードのカッティングが甘いと、なんと、隣のトラックの音を拾ってしまうこともないではなかった。
そして、レコードも針も消耗品であった。保存状態が悪いとレコードはすぐに変形したりカビたりするし、針はなまっていくので定期的に交換しなければならなかった。
こうやって、工夫に工夫を重ねて、「いい音」を出していた時代の経験者からすると、それらを一瞬で必要ないものにしてしまったコンパクトディスクの登場は、「いままでの努力はなんだったんだ!?」と思わされる機器だったのである。
最近は懐古趣味で、レコードがいい、あの暖かさがいい、という奇特な人が出てきているようだが、レコードで散々苦労してきた者からすると、とんでもない話である。
いまこの記事は、スマホに入れたmp3のモーツァルト・コンプリート・ワークスを、Bluetoothで完全ワイヤレスイヤホンに飛ばして聴きながら書いている。ワウフラッターも皆無。ノイズに悩まされることもない。実に快適だ。しかも、指先大のマイクロSDに、モーツァルトだけでなく、バッハ全曲集、ショパン全曲集を入れてもまだ余裕がある。
ほかの回想録記事だと「懐かしい、また使ってみたい」と締めるところだが、レコードだけは、もう二度とあの苦労はしたくないなぁ、と思う機器である。
こうやって記憶を掘り起こしながら書いてみても、やっぱり、もうレコードはこりごりだ、と思う。
でも、あの大きなジャケットはよかったかな。ジャケットからLPを取り出すときのわくわく感は、CDよりはちょっとだけあったような気もするのだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録
2019年05月18日
【回想録】セガサターンの思い出
先日、ハードオフへ行ったら、セガサターンがたくさんラッピングして売られていたので、懐かしく思い、筆を執った次第。
当時はプレイステーションとセガサターンのシェア争いが激化していたが、わたしが最初に買ったのはセガサターンの方だった。
激化といっても、ゲームフリークの多くは両機種を買っていたわけで、それほどハード間対立があったという感じはなかったように思う。
セガサターンを買った日のことはよく覚えている。その日は細君と一緒に街へ出かけ、サターンと一緒にソフトを二本買い、映画を観て帰ったからだ。当時はまだ映画館も二本立てで映画を観られ、一本はハリソン・フォードが出ていたリメイク版の「サブリナ」であった(もう一本は忘れてしまった)。
サターンと一緒に買ったソフトは「結婚」と「闘神伝」だったと思う。
実はこの「結婚」というゲームが遊びたくてサターンを買ったようなものだった。
当世は、結婚しない人生という選択も許される時代になりつつあるが、それだけ、実は結婚≠ニいう事象は大変だ、ということが世に知れ渡ってきたという証左なのだろうか。
誰でも結婚することが当然だった時代であっても、結婚≠ヘ大変なことだった。日本においては結婚はやはり家と家とのつながりという面もあり、百組の男女がいれば、プロポーズしてから結婚式を迎えるまで、百組のドラマがあるのが結婚である。仲人はどうするか? 主賓は? 招待客は? 食事はどうする? 引き出物は? 衣装は? お色直しは? 二次会は? その司会は? ざっと表面的なものを振り返るだけで、これだけ多くの問題が挙げられるくらいだ。これに人間関係の機微がからみ、結婚というのは、表面的な祝い事というメッキをそげば、確かに人間としての通過儀礼という面もあったのである。
だからこそ(当時は)、人間、結婚して一人前という風潮があったのである。あの苦労を越えて結婚したのね、という了解が社会の中にあったわけで。
で、ゲーム「結婚」もそういうシミュレーションゲームだと思って買ったわけだ。とても期待大だったのである。
確か四組(記憶薄)の男女の結婚にいたるまでのストーリーを追えたのではなかったかな。
ところが――このストーリーが一本道で、シミュレーションどころではない、ただのキャラ萌えゲームだったのである。
どんな選択肢を選んでも、破局もない、本当につまらない一本道ゲームだったように思う。あまりのつまらなさに、もうほとんど「つまらなかった」という感想しか残っていないくらいだ。
その後、FF5と一緒にプレイステーションも買い、両機でゲームを楽しんだが、ゲームとして一歩踏み込んだところで、けっこうハマッたものが多かったのはセガサターンの方だったなぁ、と振り返って思う。
オモチャの銃を買った「バーチャコップ」に、ハンドルを買った「セガラリー」。それと「スーチーパイ」に「ゲーム天国」と、今でも思い出に残る、かなりやりこんだゲームが少なくない。
プレイステーションの方は、いまいちローディングエラーが多く、そのあたりでも、サターンの重厚な作りはハードなゲーマー好みだったような気がする。ただ、すぐ消えるメモリカートリッジだけは不評だったが。
ゲームハードのシェア争いでは負け組ハードになってしまったが、わたしの気持ちは、プレイステーションよりもサターンの方が好きだった。
同じタイトルが出ていたら、サターンの方を買っていたことも多いように思う。
サターンでは、別売りカートリッジをつけると、今は知る人も少ないVideo-CDを再生できるのも特徴であった。Video-CDは良い規格だと思っていたが、消えてしまったのが残念である。
サターンもプレイステーションも、ハードはとっくに捨ててしまったが、ソフトだけはなぜか手放す気にならず、書斎の本棚の隅でほこりをかぶっている。
今でも、機会があったら「スーチーパイ」や「ゲーム天国」を遊びたい。
いや、本当にその気なら、最初に触れたハードオフでサターンを買ってくればいいのだけれどね。
それができないのは、きっと、サターンの面白さを、懐かしさフィルタにかけたままにしておきたい気分なのだろう。
ところで、プレイステーションはプレイステーションで(今は違法の)チートができたので楽しかった。その思い出は、またそのうちに。
当時はプレイステーションとセガサターンのシェア争いが激化していたが、わたしが最初に買ったのはセガサターンの方だった。
激化といっても、ゲームフリークの多くは両機種を買っていたわけで、それほどハード間対立があったという感じはなかったように思う。
セガサターンを買った日のことはよく覚えている。その日は細君と一緒に街へ出かけ、サターンと一緒にソフトを二本買い、映画を観て帰ったからだ。当時はまだ映画館も二本立てで映画を観られ、一本はハリソン・フォードが出ていたリメイク版の「サブリナ」であった(もう一本は忘れてしまった)。
サターンと一緒に買ったソフトは「結婚」と「闘神伝」だったと思う。
実はこの「結婚」というゲームが遊びたくてサターンを買ったようなものだった。
当世は、結婚しない人生という選択も許される時代になりつつあるが、それだけ、実は結婚≠ニいう事象は大変だ、ということが世に知れ渡ってきたという証左なのだろうか。
誰でも結婚することが当然だった時代であっても、結婚≠ヘ大変なことだった。日本においては結婚はやはり家と家とのつながりという面もあり、百組の男女がいれば、プロポーズしてから結婚式を迎えるまで、百組のドラマがあるのが結婚である。仲人はどうするか? 主賓は? 招待客は? 食事はどうする? 引き出物は? 衣装は? お色直しは? 二次会は? その司会は? ざっと表面的なものを振り返るだけで、これだけ多くの問題が挙げられるくらいだ。これに人間関係の機微がからみ、結婚というのは、表面的な祝い事というメッキをそげば、確かに人間としての通過儀礼という面もあったのである。
だからこそ(当時は)、人間、結婚して一人前という風潮があったのである。あの苦労を越えて結婚したのね、という了解が社会の中にあったわけで。
で、ゲーム「結婚」もそういうシミュレーションゲームだと思って買ったわけだ。とても期待大だったのである。
確か四組(記憶薄)の男女の結婚にいたるまでのストーリーを追えたのではなかったかな。
ところが――このストーリーが一本道で、シミュレーションどころではない、ただのキャラ萌えゲームだったのである。
どんな選択肢を選んでも、破局もない、本当につまらない一本道ゲームだったように思う。あまりのつまらなさに、もうほとんど「つまらなかった」という感想しか残っていないくらいだ。
その後、FF5と一緒にプレイステーションも買い、両機でゲームを楽しんだが、ゲームとして一歩踏み込んだところで、けっこうハマッたものが多かったのはセガサターンの方だったなぁ、と振り返って思う。
オモチャの銃を買った「バーチャコップ」に、ハンドルを買った「セガラリー」。それと「スーチーパイ」に「ゲーム天国」と、今でも思い出に残る、かなりやりこんだゲームが少なくない。
プレイステーションの方は、いまいちローディングエラーが多く、そのあたりでも、サターンの重厚な作りはハードなゲーマー好みだったような気がする。ただ、すぐ消えるメモリカートリッジだけは不評だったが。
ゲームハードのシェア争いでは負け組ハードになってしまったが、わたしの気持ちは、プレイステーションよりもサターンの方が好きだった。
同じタイトルが出ていたら、サターンの方を買っていたことも多いように思う。
サターンでは、別売りカートリッジをつけると、今は知る人も少ないVideo-CDを再生できるのも特徴であった。Video-CDは良い規格だと思っていたが、消えてしまったのが残念である。
サターンもプレイステーションも、ハードはとっくに捨ててしまったが、ソフトだけはなぜか手放す気にならず、書斎の本棚の隅でほこりをかぶっている。
今でも、機会があったら「スーチーパイ」や「ゲーム天国」を遊びたい。
いや、本当にその気なら、最初に触れたハードオフでサターンを買ってくればいいのだけれどね。
それができないのは、きっと、サターンの面白さを、懐かしさフィルタにかけたままにしておきたい気分なのだろう。
ところで、プレイステーションはプレイステーションで(今は違法の)チートができたので楽しかった。その思い出は、またそのうちに。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録
2019年05月11日
【回想録】プラモデルを完成させたことがない
10日間の連休は平成最後の日に、10年来の仲間と畏友R氏の家に集まってオフをしたのだった。
畏友R氏はこのブログにもたびたび登場願っているが、とにかくいろいろなもののコレクターである。そのときそのときでコレクションのベクトルが変わっているのだが、今は部屋の一面にうずたかく積み重ねられたプラモデルの箱がものすごい。
以前、「【日記】老後の楽しみ」の記事で、若い方に「コレクションしないで今を楽しみなさい」とアドバイスしたが、考えてみると、プラモデルは箱のままつくらず残しておいて、年を取ってから作るという楽しみができる趣味かもしれない。わたしにはプラモづくりの経験がろくになかったから、プラモ収集は息の長い趣味になるという視点に気づかなかったのだ。
そう、わたしはプラモづくりの経験がほとんどない。ほとんど、ということは、二、三個くらいは作ったことがあるのである。それで、自分の才能の限界を理解して、手を出さなくなったのだ。
最初の記憶は、小学校一年生のとき。スポーツカーのプラモデルだったと思う。これはプラモとは言え、中にモーターを入れて走らせることができるという、プラモとしてはちょっと邪道なしろものだった。この頃から「動くものでないと興味がわかない」という自分の性格が出ていたのである。
とにかく、説明書を見い見い、セメダインを使って組み立てたが、これの出来が、自分でも見ても不格好なしろものだった。セメダインははみ出し、ぴったりはまるはずのパーツはずれ、ところどころ塗装は溶けていた。自分の不器用さが具現化したようなもので、子ども心にも「下手だなぁ」と思ったものである。
次に作った覚えがあるのは、小学校高学年の頃、JALに搭乗したとき、記念にもらった飛行機のプラモデルであった。
もらったからには作るのだが、数年年を取ったからといって不器用さが治っているわけはなく、できた飛行機は滑走路から飛び立つのは無理そうな出来栄えであった。
怒りのあまり、虫メガネで日光を集め機体を焼いてみたら(さすが小並感)、プラスチックが溶けて存外におもしろく、JALが好意で少年にプレゼントしたプラモデルは、まるでテロリストの攻撃にあったかのようにボロボロにされたのであった。
最後の大物は宇宙戦艦ヤマトのプラモデル。これは迫力を出すために、艦主が太く、艦尾が小さくデフォルメされており、正直、もとからあまり格好の良いものとは思えなかった。確か中学の頃だったから、それまでよりはまともに作った――というか、もとから簡単なつくりになっていたのだと思う――覚えがあるが、やはりセメダインが接合部からニロニロはみ出しているという仕上がりで、しばらく部屋に飾っていたが、見るたびに自分の不器用さをつきつけられる気がして、そのうち捨ててしまったと思う。
こんなわたしだが、人の作った美しいプラモデルは「すばらしいなぁ」と感じる感性はある。プラモ屋の店頭ディスプレイに飾ってある完成品は息をのむような美しさをたたえており、「凝る人は凝るのだなぁ」といつも嘆息している。
振り返ってみると、どうにもわたしは、細かい手作業を根気よくやるのが苦手らしい。気が急きすぎるのである。
そんなわけで、趣味としてのプラモ、コレクターとしてのプラモからも縁遠い人生を送ってきている。
ところでR氏は、なんにつけても「買ったはいいが箱を開けるのを忘れている」ことが得意な人で、オフのとき、仲間が箱を開けるのがひとつの様式美にもなっているのである。
どうだろう、R氏、このままプラモは積み重ねておいて、お互い還暦を過ぎたらいよいよ箱を開け、わたしに作らせていただけませんか?
「不器用とはこういうものだ!」という真骨頂(というか絶望感)をお見せしますぜ。
畏友R氏はこのブログにもたびたび登場願っているが、とにかくいろいろなもののコレクターである。そのときそのときでコレクションのベクトルが変わっているのだが、今は部屋の一面にうずたかく積み重ねられたプラモデルの箱がものすごい。
以前、「【日記】老後の楽しみ」の記事で、若い方に「コレクションしないで今を楽しみなさい」とアドバイスしたが、考えてみると、プラモデルは箱のままつくらず残しておいて、年を取ってから作るという楽しみができる趣味かもしれない。わたしにはプラモづくりの経験がろくになかったから、プラモ収集は息の長い趣味になるという視点に気づかなかったのだ。
そう、わたしはプラモづくりの経験がほとんどない。ほとんど、ということは、二、三個くらいは作ったことがあるのである。それで、自分の才能の限界を理解して、手を出さなくなったのだ。
最初の記憶は、小学校一年生のとき。スポーツカーのプラモデルだったと思う。これはプラモとは言え、中にモーターを入れて走らせることができるという、プラモとしてはちょっと邪道なしろものだった。この頃から「動くものでないと興味がわかない」という自分の性格が出ていたのである。
とにかく、説明書を見い見い、セメダインを使って組み立てたが、これの出来が、自分でも見ても不格好なしろものだった。セメダインははみ出し、ぴったりはまるはずのパーツはずれ、ところどころ塗装は溶けていた。自分の不器用さが具現化したようなもので、子ども心にも「下手だなぁ」と思ったものである。
次に作った覚えがあるのは、小学校高学年の頃、JALに搭乗したとき、記念にもらった飛行機のプラモデルであった。
もらったからには作るのだが、数年年を取ったからといって不器用さが治っているわけはなく、できた飛行機は滑走路から飛び立つのは無理そうな出来栄えであった。
怒りのあまり、虫メガネで日光を集め機体を焼いてみたら(さすが小並感)、プラスチックが溶けて存外におもしろく、JALが好意で少年にプレゼントしたプラモデルは、まるでテロリストの攻撃にあったかのようにボロボロにされたのであった。
最後の大物は宇宙戦艦ヤマトのプラモデル。これは迫力を出すために、艦主が太く、艦尾が小さくデフォルメされており、正直、もとからあまり格好の良いものとは思えなかった。確か中学の頃だったから、それまでよりはまともに作った――というか、もとから簡単なつくりになっていたのだと思う――覚えがあるが、やはりセメダインが接合部からニロニロはみ出しているという仕上がりで、しばらく部屋に飾っていたが、見るたびに自分の不器用さをつきつけられる気がして、そのうち捨ててしまったと思う。
こんなわたしだが、人の作った美しいプラモデルは「すばらしいなぁ」と感じる感性はある。プラモ屋の店頭ディスプレイに飾ってある完成品は息をのむような美しさをたたえており、「凝る人は凝るのだなぁ」といつも嘆息している。
振り返ってみると、どうにもわたしは、細かい手作業を根気よくやるのが苦手らしい。気が急きすぎるのである。
そんなわけで、趣味としてのプラモ、コレクターとしてのプラモからも縁遠い人生を送ってきている。
ところでR氏は、なんにつけても「買ったはいいが箱を開けるのを忘れている」ことが得意な人で、オフのとき、仲間が箱を開けるのがひとつの様式美にもなっているのである。
どうだろう、R氏、このままプラモは積み重ねておいて、お互い還暦を過ぎたらいよいよ箱を開け、わたしに作らせていただけませんか?
「不器用とはこういうものだ!」という真骨頂(というか絶望感)をお見せしますぜ。
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2019年04月27日
【回想録】「メイドインヘブン」の思い出
あぁいかん。最近、どうも妙な曲が頭に常駐しているのである。気づけば脳内でその曲がリフレインしている。この常駐ソングについてはそのうちにまた。
で、「常駐ソング」で連想して思い出したのが、アダルトゲーム「メイドインヘブン」なのであった。
このゲームは、確かPILLというブランドが出していたソフトで、とても能天気な内容だった。
特にネタバレするストーリーがあるようなゲームでもないので、遠慮なく書いてしまう。もう記憶も曖昧だが、ここは検索などせず自分のそれを頼りにいこう。
一人暮らしの主人公のところに転がり込んできた(幼なじみの?)美少女なぎさちゃん。彼女、なぜか最初から主人公のメイドとして過ごすことになるのである。主人公は別に良家の坊ちゃんというわけではないフツーの男。ただ違うのはちょっと(かなり?)エッチで鬼畜で、なぎさちゃんに毎晩アレコレしまくるのである。
大人のおもちゃ屋に行って怪しげな道具を買ってはそれを試したり、夜、屋外に連れ出して露出プレイをしたりとやりたい放題。なぎさちゃんには好感度レベルなどというものはなく、ひたすらされるがままである。そんな感じで、毎日毎日毎日毎日、ただ愛欲にただれた生活を送る二人なのであった。ちゃんちゃん。
ひとつだけ、ゲームオーバーになる条件がある。なぎさちゃんの誕生日に結婚届にサインしてしまうこと。これだけを避ければ、ゲーム時間で何年でもなぎさちゃんをいじめることができるのだ。
このゲーム、オープニングが(今だと珍しくもないが)なぎさちゃんのライブアニメ動画で、そこにつけられていた曲が、なんとも常駐しやすいそれだったのであった。

その歌詞がまた、とてもお上品とはいえないので、ここには転記できないのである(笑)。
ゲームには一緒にCDも入っていて、そちらは全曲版が含まれていたような。オープニングアニメの方は、ヤバゲな歌詞のあたりが観客の「ワーッ」という声援でかき消してあるあたりもおかしかった。
そして、そして――この「メイドインヘブン」にはさらに伝説がある。インストールすると、なんと、有無を言わさず起動ドライブのルートに――
というディレクトリを掘ってくれるのである!
これはもう決めうちで、Program Filesの下にしてくれたりはしない。
もうこれだけで、私的ネットの仲間うちでは大爆笑のアダルトゲーだったのであった。
「メイドインヘブン」は好評だったのか、後にAV女優を使ったリアル写真版のリメイク版が発売されたと思う。しかしこちらには食指が動かなかった。
ゲームとしては上記の通りなので、それほど面白いわけではなかったが、なぎさちゃんのかわいらしさと、常駐する曲、さらに「C:\巨乳メイド」のインパクトで、今でも心に残る一作となっている。

HDDから掘り出してきた、当時、「メイドインヘブン」公式サイトよりいただいた壁紙を貼ってみる。
スタッフのみなさま、良作をありがとうございました。
* *
さて、気づけばこれが、平成最後の記事となる。
えっ、いいの? 平成最後の記事が「メイドインヘブン」でいいの!? 他にもっと、叙情的で感動的な記事を書くべきではないの? えっ、えっ、本当に平成最後の記事が「メイドインヘブン」でいいの?
まぁいいか(笑) 前述の通り、このゲーム、その気になればゲームオーバーのないストーリー。なぎさちゃんよ、平成の世で永遠なれ、なのだ。
で、「常駐ソング」で連想して思い出したのが、アダルトゲーム「メイドインヘブン」なのであった。
このゲームは、確かPILLというブランドが出していたソフトで、とても能天気な内容だった。
特にネタバレするストーリーがあるようなゲームでもないので、遠慮なく書いてしまう。もう記憶も曖昧だが、ここは検索などせず自分のそれを頼りにいこう。
一人暮らしの主人公のところに転がり込んできた(幼なじみの?)美少女なぎさちゃん。彼女、なぜか最初から主人公のメイドとして過ごすことになるのである。主人公は別に良家の坊ちゃんというわけではないフツーの男。ただ違うのはちょっと(かなり?)エッチで鬼畜で、なぎさちゃんに毎晩アレコレしまくるのである。
大人のおもちゃ屋に行って怪しげな道具を買ってはそれを試したり、夜、屋外に連れ出して露出プレイをしたりとやりたい放題。なぎさちゃんには好感度レベルなどというものはなく、ひたすらされるがままである。そんな感じで、毎日毎日毎日毎日、ただ愛欲にただれた生活を送る二人なのであった。ちゃんちゃん。
ひとつだけ、ゲームオーバーになる条件がある。なぎさちゃんの誕生日に結婚届にサインしてしまうこと。これだけを避ければ、ゲーム時間で何年でもなぎさちゃんをいじめることができるのだ。
このゲーム、オープニングが(今だと珍しくもないが)なぎさちゃんのライブアニメ動画で、そこにつけられていた曲が、なんとも常駐しやすいそれだったのであった。

その歌詞がまた、とてもお上品とはいえないので、ここには転記できないのである(笑)。
ゲームには一緒にCDも入っていて、そちらは全曲版が含まれていたような。オープニングアニメの方は、ヤバゲな歌詞のあたりが観客の「ワーッ」という声援でかき消してあるあたりもおかしかった。
そして、そして――この「メイドインヘブン」にはさらに伝説がある。インストールすると、なんと、有無を言わさず起動ドライブのルートに――
C:\巨乳メイド
というディレクトリを掘ってくれるのである!
これはもう決めうちで、Program Filesの下にしてくれたりはしない。
もうこれだけで、私的ネットの仲間うちでは大爆笑のアダルトゲーだったのであった。
「メイドインヘブン」は好評だったのか、後にAV女優を使ったリアル写真版のリメイク版が発売されたと思う。しかしこちらには食指が動かなかった。
ゲームとしては上記の通りなので、それほど面白いわけではなかったが、なぎさちゃんのかわいらしさと、常駐する曲、さらに「C:\巨乳メイド」のインパクトで、今でも心に残る一作となっている。

HDDから掘り出してきた、当時、「メイドインヘブン」公式サイトよりいただいた壁紙を貼ってみる。
スタッフのみなさま、良作をありがとうございました。
* *
さて、気づけばこれが、平成最後の記事となる。
えっ、いいの? 平成最後の記事が「メイドインヘブン」でいいの!? 他にもっと、叙情的で感動的な記事を書くべきではないの? えっ、えっ、本当に平成最後の記事が「メイドインヘブン」でいいの?
まぁいいか(笑) 前述の通り、このゲーム、その気になればゲームオーバーのないストーリー。なぎさちゃんよ、平成の世で永遠なれ、なのだ。
タグ:ゲーム
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録
