2018年06月07日

【回想録】「べっかん」の思い出

 わたしの行っていた小学校には、子どもたちの間で「べっかん」とよばれる、特殊学級――Just Right!6からは「特別支援学級」と訂正せよ、とアカが入るが、わたしはこの呼び方で育ったので特に訂正はしない――があった。「別館」にあったから、通称「べっかん」。
 要するに、ダウン症などの障害児が通う学級であった。

「べっかん」の子たちと、わたしたち普通学級の子たちは、通常、まったく交流はなかった。唯一、接触があったのは、運動会のときぐらい。
 子どもの感想だから許してほしいが、正直、奇声を発して人を振り回してダンスする「べっかん」の子たちは苦手であった。

 あとは、学校の行き来で一緒になることもあった。
「べっかん」の子たちは妙に人懐こく、というよりは、他人のパーソナルエリアを侵すことを躊躇せず、人のカバンを勝手に開けて中身を持っていこうとしたりするのに閉口したものだった。

 不思議だったのは、こちらがどんどん大きくなって、卒業していくのに、「べっかん」の子たちは、いつまでもずっと同じ子がいるのである。
 のちに、ダウン症の子は(これも子どもの感想だから許してほしい)、表情がみな似通っているので区別がつかず、卒業した子も新入生もみな同じ顔に見えていたのだということを知る。

「べっかん」の子について、友人たちと「なんか自分たちと違うよね」と話していたら、それを聞いていた先生がカンカンになって怒り、「本物のべっかんってのはそんなもんじゃない」とビンタをくらったことがあった。
 小学二年生に「本物のべっかんってのはそんなもんじゃない」とビンタをくらわす教師というのも、脳に障害がある教師だと思うが、当時はそういう教師がいい教師≠ニ言われたのも確かな時代だった。
 今のわたしは、おそらく、そのときの教師より十何歳も上の年齢になったが、今でもその教師が言いたかった「本物のべっかん」がなんなのか、よくわからない。

 話はコロッと変わるが、出生前診断で胎児がダウン症であることがわかるようになりつつある現在、人工妊娠中絶で堕胎する、ということが「わりと当然」のように言われているが、これはおかしな文言である。
 というのも、人工妊娠中絶が許される条項の中に「胎児がダウン症であること」というのは含まれていないからである。
 胎児がダウン症で人工妊娠中絶が行えるのは、あくまで「経済的に問題がある場合」であり、「ダウン症イコール堕胎の許可」ではない。

 わたしはカトリックなので、基本は人工妊娠中絶に反対の立場である。それを置いても、「出生前診断で胎児がダウン症だったから人工妊娠中絶する」のは「ウチは貧乏だから」とイコールなのだと肝に銘じるべきだ。

 逆に言えば、ダウン症の子がいる家庭、ダウン症の本人に、手厚い金銭的補助をしない政府のせいとも言える。
 簡単にまとめられる問題ではないが、少なくとも、胎児がダウン症で人工妊娠中絶した夫婦は、自分たちは貧乏人を見下せるほど裕福ではないのだと自戒するべし。「ナマポ」なんて絶対言うんじゃないよ。あなたたちも似たようなものなのだから。

 そんなわけで、わたしは子どもの頃、ダウン症の子と深い交流をしたことは一度もない。
 あの頃「べっかん」の子と、運動会で、通学の行き帰りで、もっと交流を深めることができたらよかったのかもしれない。

 今も、わたしの卒業校に「べっかん」があるのかどうかは知らない。もしかしたら、普通学級に統合されているのかもしれない。ちょっとググってみれば、検索欄に「障害児 お世話係 迷惑」などというサジェストが出てくる時代である。

 小学校二年生の?をビンタして「本物のべっかんってのはそんなもんじゃない」と叫んだO先生。本物のべっかんて、なんですか?
 今でもそう問いたい気分である。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年06月03日

【回想録】ポストペットの思い出

「ポストペット」と聞いて「懐かしいなぁ」と思われたあなたは、実は自分が思っているほどネット歴が長くない。
「ポストペット」が発売されたのは1997年である。たかが21年前だ。30歳のあなたが、当時「ポストペット」を使っていたら「懐かしいなぁ」だろうが、人生半分を過ぎたわたしにとってみると「ポストペット」は、Becky!よりあとに登場してきた新興MUAという印象だったのである。

 と書いてから、Becky!の歴史を調べてみると、最初のリリースが1996年となっているので、Becky!も十分、新興MUAではあったか。上記の印象論は訂正しなければならないかも。
 わたしの愛用MUAは、2018年の今でもBecky!だが、Becky!の前は、インターネットカメレオン付属の、名も覚えていないMUAであった。

 とはいえ、新興MUAという印象が強かったのは、やはりメールに「遊び要素」が入っていたからである。正直「莫迦なことをやりやがって。妙なことを流行らさないでほしい」という気持ちが強かった。メールは平文で流し、添付ファイルはuuencodeしたものをくっつけて送る、というのが、当時の男らしいインターネットユーザーの常識であった。

 しかし、まあ機会があって使い始めてみると、これがけっこう使いやすいのである。ペットがメールを運ぶ、という遊び要素を除外しても、簡単なMUAとして優れていた。
 Becky!のようにいろいろな設定をする必要もない。文章を書くエディタも、アドレス帳も必要最小限である。一度、設定してしまえば、直感で使えてしまう。
 これは、初心者にはいいな、と、最初の印象を改めた。遊び要素もメールを恐る恐るやっている初心者には向いている。

 というわけで、まず姉が始め、わたしが遊び相手として始め、そして、パソコンを始めた父のPCにもインストールした。
 老齢の父が、PCでメールを送受できるようになったのは、ポストペットのおかげだと今でも思う。

 やがてポストペットはブームになり、わたしはコミケで「ポスペ」関係のゲームやグッズを作って、島の内側の人になったのであった(それまでも、細君のサークルの売り子で島の内側にいたことはあったが)。

 ポストペットは、BolandのDelphiかC++Builderで作られていた。これは確かである。なにより挙動がデルくさ≠ゥったし(こういうのは、プログラマは匂いでわかる)、リソースエディタでデータをブッコ抜くことができた。

 ペットのキャラクターを使って、インベーダーゲームやパックマンを模したゲームを作ったり、スクリーンセーバを作ったりして、当時のコミケではよく売れた。かなり良いお小遣いになり、売りあげはもちろん確定申告にも雑所得として算入して、それなりに税金も納めたと記憶している。


(ポスペキャラのインベーダーゲーム「ぽすぺーだー」)


(これは「ペット全員集合セーバ」)


(ペットがデスクトップを歩くマスコットソフト)

 もちろん、ポストペットを発売しているso-netの著作権を侵害するようなことは一切していなかった。念のため。キャラを使ったこういう二次創作は許可されていたはずである。

 他にも売りはしなかったが、メールを送りにいったペットをすぐに呼び戻せる「ペット召喚」――



 同時に何匹もペットを飼える(ポストペットは同時起動ができなかった)「Windows版PostPet2001を同時起動可能に」――



 などのソフトを作って、自分のサイトに置いたものだった。

 ポストペットはその後、ユーザーニーズを外した重い3D化などをして、人気は下がっていった。一人、また一人とポストペット相手は減っていき、わたしもまた、Becky!に戻った(というか、ポスペ相手の人にしかポスペを使わなかったわけだが)。

 ただ、とても簡単なMUAとしては、やはり依然として「お勧め」のソフトだよな、とは思っていた。

 そのポスペに転機が訪れる。ある日、父から「メールが送られないんだけど……」と相談があり、調べてみると、その日から、プロバイダがメール送信時に、PoP Before SMTPの他に、SMTP認証を入れていやがったのだ。父が使っているポスペは古すぎて、SMTP認証に対応していない。最新Verのポスペは、回りに使っている人もいないのでお勧めできなかった。

 仕方なく、本当に仕方なく、父のPCにもBecky!をインストールしてシェアフィを支払い、Becky!の使い方を覚えてもらった。設定はもちろんわたしがやったが、最初からBecky!の使い方を覚えてもらうのは、けっこう大変だった。
 こんなことなら、PCを始めた頃から、Becky!一本で行ってもらえば良かった、と嘆いても、あとの祭りである。

 そんなこんなで、わたしとポストペットをつないでいた最後の縁は切れ、わたしの脳内でも「回想録」カテゴリに入れられてしまったのである。

 24時間、LINEで即座に反応が帰ってくる時代の子には理解できないかもしれないが、まだテレホーダイが精いっぱいの時代、ペットがメールを運んで行き帰ってくる、相手のペットが尋ねてくる、というのはわくわく感があったなぁ、と、今なら思う。

 しかしやっぱり、メールはあくまで平文で、htmlメールなんぞもってのほか、添付ファイルはuuencodeで――という男らしさを、今でも貫いている自分なのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年05月29日

【回想録】論戦の思い出

 この「いまさら日記」では、毎日、言いたい放題好き放題を書いているが、ほぼ二年間やってきて「それは違う!」「あんたは間違ってる!」「お前の主張はおかしい」とメールを送ってきた人は皆無である。
 コメント欄とSNSへの連携を切っているのは、カジュアルにできる反論を最初から排除するため。きちんと長文メールを送るだけの知能がある人の反論のみ、まともに相手しよう、と決めているから。

 でも同時にわたしはビビリでもあるから、そういうメールがきたら、おそらく「そんなに素晴らしいご意見を、わたし個人へのメールにしてしまうのはもったいなく存じます。ぜひとも、ご自分のブログやSNSで展開すればよろしいのではないでしょうか」と返信して、あとはスルーするのではないかしら。

 卑劣ですな(笑)。

 そう、わたし、論戦、苦手なんですよ。嫌いなの。誰だっていろいろ経験を積めば、どんなことでも白黒キッチリつけがたいことがあるということがわかるでしょう? それを「俺が黒と言えば黒なんだ」と主張し続けるのは幼すぎる。「人それぞれ」でいいんじゃないでしょうか。

 そんなわたしが若い頃、ある方と論戦になったことがある。メディアはちょうどパソコン通信の黎明期で、X68000のディスクマガジン「電脳倶楽部」が発端だったと思う。
「電脳倶楽部」の編集長、故・祝一平氏については、以前、ちょっと別の記事で触れた。実際会ってみるとシャイな方だが、同誌の上では雄弁で、多少、偏ったご意見をお持ちの方だった。

 この記事自体、もし祝氏がご存命なら、Twitterでよく炎上していただろうな、という連想から書き始めたものだったり。

 その祝氏が、ある雑誌の「コンパクトカメラのある俗称≠ヘ差別用語なので使わない」と書いてある記事にかみついたのだ。「あれは差別用語ではない」と。
 それに乗ってきたのが読者のA君(名前失念。失礼)であった。A君は熱心な祝氏フォロワーで「ある俗称≠ヘ差別用語ではない」という論を、さらに展開して「電脳倶楽部」に投稿し、掲載された、のではなかったかな。

 このあたり、もう、ものすごく記憶が曖昧なので、前後関係とかは全然違っているかもしれない。もう半分、フィクションとして読んでくだされば幸い。

 さて、わたしはその雑誌に書き手として縁があり、また、わたし自身、コンパクトカメラのある俗称≠ヘ差別用語だと思っていたので、祝氏とA君に反論を送った。今だったらそんなことはしない。二人とも莫迦だなぁと心中思って済ませてしまう。わたしも若かったのだ。
 祝氏からは言語明瞭意味不明なFAXが届き、これはまともな相手にならん、と思った。

 A君はパソコン通信をやっていなかったので、お手紙をお送りして反論したと思う。確か、数通やりとりしたのではなかったかな。こちらも議論が成り立たなかったと思う。覚えているのは「結城恭介って誰って感じ」、「飛び道具を使用しますが」などというような挑発的で攻撃的な言葉ばかり。
 そんな彼の主張は「どんな言葉でも差別用語になりうる(だから差別用語は存在しない、というトンデモ理論)」だったと思う。

 おそらく、わたしは一言、こう言えばよかったのだ「どんな言葉でも差別用語になるのなら、コンパクトカメラのある俗称≠煌m実に差別用語になるのではないですか?」と。

 A君とは結局、手紙のやりとりのみで、お互い納得もせずに終わったと思う。まだ、パソコン通信すら黎明期だった時代の、論戦の思い出である。

 今でもときどき、A君のことを思う。彼は絵が抜群にうまく、よく電脳倶楽部に掲載されていた。
 今でも元気にしていらっしゃるだろうか。立場は違えど、あのときうやむやになってしまった論戦≠――それを始めてしまったことを含め――とても残念に思っていることを伝えたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年05月25日

【回想録】タクシーの思い出

 思えば、タクシーをここ十数年以上、使ったことがない。
 最後に使ったのはいつだろう。バブルの頃、出版社にもらったタクシー券で秋葉原から帰ったのが記憶に残っているラストの映像である。

 タクシーの思い出は苦いものから始まっている。
 あれはまだ十代の頃だったと思う。出版社との打ち合わせで遅くなってしまい、家に帰るバスがなくなってしまっていた。
 駅前のロータリーのタクシーターミナルはふたつあり、ひとつはすいていて、ひとつは混んでいる。どうしてそんな差がついているのだろう? 行き先によるのかな? と思いながら、なんの疑問も持たずに、すいている方のタクシーに乗ってしまった。
 そのタクシーの運転手さんは、決して粗野ではなく、むしろ紳士的であった。ちなみに、駅から家までの距離は5キロ。長距離とは言いがたい。
 家まで近づいてきた頃、運転手さんがこう話しかけてきた。
「お客さんはお客さんだから、堂々としていていいんですが、お若いので知らなかったんでしょう。このタクシーは大型タクシーで、長距離を使う方が使われるものなんですよ」
「えっ」
「このくらいの距離だったら、次からは小型タクシーの方を使われるのが良いでしょうね」
 あぁ、駅で混んでいた列の方は、小型タクシーの方だったのか。それで合点がいった。若いわたしは恐縮してしまった。
 そのときのタクシー運転手さんは、普通に安い料金を受け取り、また駅へ引き返していった。なんとも、もうしわけないことをしてしまったなぁ、と、反省したものだ。

 あいや、苦い思い出ばかりではない。
 あれは高校の頃、駅から高校までのバスがストライキで止まっていたことがあった。そのとき、高校から駅まで、みなで割り勘でタクシーに乗ることにしたのである。
 そのときの運転手さんが(昭和的に)良い方で「もうみんな、乗れるだけ乗っちゃっていいよ」と言ったのであった。助手席に二人、後部座席に五人くらい乗っただろうか。さすがにトランク乗車はなかった。
「パトカーきたら、みんな頭隠してよ」とタクシー運転手さん。
 駅について、割り勘で支払い。バス代と変わらないくらいで済んだ。ああいうタクシー運転手さんは、現代ではいないだろう(し、そういう運転手さんが平成的に良い運転手かどうかは疑問だろう)。

 わたしが駅から帰る道の途中にタクシー会社があり、そこにこんな看板がある。
「無事故 30日目」
 数字のところだけ、張り替えられるようになっていて、毎日少しずつ新しくしているのである。
 これが数年前は――
「無事故217日目」
「無事故257日目」
 とかであった。営業車を何台も抱えていて、百日代も無事故ですごいな、と思っていたら――
「無事故238日目」
 ありゃ? 逆行している。と思ったら、なんのことはない、200日目の札を外していなかったのである。
 200日目の札を外したら、100ケタ代になることはまずなくなった。たいてい「無事故 20日」とか、その前後である。営業車が無事故でやっていくのは大変なんだろうなあ、と思う。

 今回、老父が病院から病院へ急いで移動するのに、久しぶりに病院にタクシーを呼ばれて使った、という話を聞いたので、つらつらとタクシー話を思い出して書いてみた。
 すべてのタクシー運転手さんの安全運転とご無事を祈って――。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年05月10日

【回想録】加湿器の思い出

 去年から今年の冬にかけて、加湿器を一度も使わなかったことに気づいた。比較的暖かい日が続き、ヒートポンプ式のエアコン暖房をあまり使わず、ガスファンヒータを多用したのが良かったようだ。

 正直、加湿器はあまり好きではない。いや、最初は、こんなにすごい発明はそうそうないぞ、と気に入っていたことを思い出す。

 まだ予備校生だった頃、秋葉原で出始めた「超音波式」の加湿器を買って帰宅し、水を入れて、ミストが出始めたときは感動した。
 当時の秋葉原の店頭では、どこの店でも、あの超音波式のミストをパヒューと出してディスプレイしていたことを思い出す。
 狭い部屋で、興味本位で加湿器を使っていたものだから、むしろ空気が湿ってしまった。実際には、当時のわたしにの部屋には必要のないものであった。

 賞をいただいて部屋を改築し、書斎にしてからは、今は珍しいFF式のガスファンヒータを入れたせいで、部屋の乾燥が激しくなってしまった。余談だが、このFF式の暖房機、換気の必要がなく便利だったのだが、最近はめっきり(完全に?)なくなってしまったのが残念だ。
 さて、乾燥が激しくなってきたので、押し入れにしまい込んで、秋葉で買った超音波式加湿器の再登場である。
 置き場所も決めて、フシューとやる。部屋の乾燥もいくばくか楽になり、これは良い。

 と、思っていたら――思わぬ伏兵があった。これも当時出始めていたCDの再生面に、べったりと白い皮膜がつくようになってしまったのである。
 当時はネットなどという便利なものはなく、説明書に頼るしかなかった。加湿器の説明書を引っ張り出して、細かいところまで読んでみると、水道水のカルシウムなどが家具につく場合がある、となっている。「場合がある」どころか、CDにべったり、である。これではこれから先、使いたいとは思わない。
 一応、解決法も記されていた。別売りのフィルターセットを買って、それで濾した水道水を使ってくれ、とのことである。

 そこで再び秋葉へ。ところが、売っていないんだな、このフィルターセットが。同じことに悩んでいる人はそう多くないのか、わたしが神経質なのかはわからないが。
 店頭ではプシューとやる超音波式加湿器のデモをどこでもやっているのに、フィルターセットはどこもない。取り寄せもしない、という店も多かった。

 やっとみつけたのは、数十店も回った頃だったろうか。フィルターセットといっても、別に加湿器にセットするものではなく、漏斗のついた四角い箱、というようなものだったような気がする(もうよく覚えていない)。
 これを買って意気揚々。帰宅して、水道水を濾して、超音波式加湿器に入れた。その結果は――



あのひとのチャクラは鋸屑がびっしり
あのひとのクンダリーニは黐がべっとりついてとぐろ巻き
(R・D・レイン「好き? 好き? 大好き?」より引用)


 やっぱり、CDにべったりとカルシウムの膜がついてしまうのである。前よりマシ、といったレベル。もうこれは、どうにもならんものなのだな、と、結局どうしたかというと、加湿器の使用をあきらめた。

 結局、この加湿器は不燃ゴミとして廃棄。部屋の乾燥は我慢することに。

 ところがそのうち、マスコミが「超音波式の加湿器は雑菌の温床」などと言い出すようになった。なんとも、いまさら!? な感じである。
 超音波式ではなく、沸騰式の加湿器ならば雑菌の問題も解決できる、とのこと。
 わたしの頭にひらめくものがあった。ひょっとしたら、その沸騰式の加湿器ならば、例のカルシウム問題も起きないのではないか、と。

 当時はこの「超音波式は雑菌の温床」問題は注目され始めたばかりだったので、沸騰式のものを探す方が大変だった。これもいくつか店舗を回って、やっとひとつ、購入することに成功。
 これは確か東芝製で、ほのかにルームランプにもなるという、デザイン性にも優れたものだった。
 水道水を入れて、スイッチオン。しばらく使ってみたが、おぅ、CDへのカルシウム付着問題も起きないようだ。
 当時のわたしの書斎は、広く、ミニマリストの独身男の部屋だったので、雰囲気も良かった。

 しかしこの東芝製は、一年で壊れてしまったのではないかな。しかも中を見ると、部品の方にカルシウムが固着してしまっているのであった。うーむ。部屋に飛ばなかったカルシウムは、機械の方に残ってしまうのか。考えてみれば当たり前のことだが、なかなかうまくはいかないものである。

 それから、沸騰式の加湿器を、数台、使ってきただろうか。これはもう、ある意味、消耗品なのだとあきらめた。沸騰部にカルシウムが付着したら、内部パーツが割れて使えなくなる、そういうものだ、と。

 今年使わなかった加湿器も、もう内部にカルシウムがベットリである。硬く固まって、重曹を使っても取れそうにない。
 それでも、この加湿器は、買い換える気が起きない。心臓病だった息子が部屋にいたとき、使っていたもの、だから。

 何シーズンを経過しても、心のウェットさは、なかなかカラリと晴れたりはしないようだ。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録