2024年07月27日

【書評】「まどわせないで矢守くん」

 いのぐちしな「まどわせないで矢守くん」



 どうもわたしのTS系の性癖として「TSした男の娘を友人の純男が好きになってしまう」というものがあるようで、たとえばTSモノでも「おにまい」などは、ただ可愛い女の子がキャピキャピしているだけに感じてしまい、TSアンテナに引っかからなかったりするのである。
 一昨年のベストTSマンガにあげた、竹屋まり子先生の「女心@男子高校生」も、やはりTSした主人公と友人の恋愛模様を描いたものであった。

 この場合、一人称(主人公側)がヒロイン(男の娘)でも相手の男側でも、わたしはどちらでもいける。
 これが内なるゲイ指向が偏向したものによるのかどうかはわからないのだが、とにかくこういうシチュエーションが好き♪ なのだな。

 そして今年のTSモノはこれが一番かも、という作品に出会ったのであった。



 ストーリー――高校一年生の夏休み。それまで、後ろの席の矢守くんとだけしかまともな友人関係もつくることができなかった森くん。心機一転と美容院へ行き、ピアスをしてみて登校してみると、なんと、後ろの席の矢守くんが髪を伸ばし、スカートを履いてきている! しかも、激似合っているのであった。





 そして森くんの、矢守くんにまどわされる毎日が始まるのである。

 特筆すべき点として、フツー、TS化して美少女になったヒロインは、目が大きく、いわゆる少女マンガのヒロイン的な容貌になるのだが、矢守くんは、目が比較的細い。このあたりが他のTSヒロインとは一線を画している感じだ。





 だからといって、美少女キャラとして立っていないかというとそのようなことはまったくなく、むしろ素の顔が「笑い顔」の美少女なのがうれしい。



 こんなTS娘がたまに目を見開いたり、赤面したりすると、もうたまらんですよ!





 対する森くんもジェントリーで、こりゃあ純女にもモテるな、というキャラなのだが、そんな彼が矢守くんにふりまわされ、まどわされるのがまた楽しい。

 しばらくは二人のやきもきする関係が続くのだろうが、いつかは森くんから告白して、イチャイチャがさらにヒートアップするといいなぁ。



 ああっ、彼ピの大き目のセーターを着るカノジョ。たまらん。まどわせないで、矢守くん!

 2巻が発売される2025年初頭が待ち遠しいよ!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2024年07月13日

【書評】「ちょっとだけ抜けちゃう柊さん」

 うらのりつ「ちょっとだけ抜けちゃう柊さん」(全6巻)



 毎度のことながら、マンガ家さんを応援するなら、今出たばかりの新刊をご紹介するのが良いのはわかっているし、うらの先生が上梓されたばかりの新作「彼女たちは穴をうめたい」も抜群におもしろいのだが――



 その新刊でうらの先生のファンになり、こうなったら過去作もオトナ買いを――と思って、本作「ちょっとだけ抜けちゃう柊さん」を読み――



 いやあもう、主人公と同じく一目惚れ、柊さんのとりこになっちゃったのだな。

 あらすじ――高校一年の春。小鳥くんは隣の席の柊さんに一目惚れしてしまった。
 そして八ヶ月が経った冬。二人の中は――なんにもかわっていなかった。しかしその12月、小鳥くんは柊さんがパジャマの上にコートを着て登校していたことに気づいてしまう。そう、柊さんは天然、「ちょっとだけ抜けてる」のであった。
 そんなこんなで柊さんと話ができるようになり、ちょっとずつ、ちょっとずつ彼女との距離を縮めていく小鳥。二人の想いはすれ違ったり、柊さんの天然ぶりが「ちょっとだけ」度を越していたりして、じれったい中にも、二人の恋は進展していく。



 なんといっても、うらの先生の描かれる柊さんがなんとも可愛い! もう何分でも同じコマを眺めていられるくらい超わたしの好みなのである。





 そんな可愛い柊さんに翻弄される小鳥くんもまたジェントリー。鈍い柊さんとつきあっていくうちに、自然、タラシの技まで修得してしまったのには笑ってしまった。



 お話は小鳥くんと柊さんを中心とした群像劇にも少しなって、友人同士のせつない話もあったりするが、基本的には小鳥くんと柊さんのベタ甘なストーリーである。





 久々に浮き世のつらさを忘れて、このマンガ、お話、柊さんと小鳥くんに夢中になってしまった。

 すてきなマンガに出会うと「あぁ、終わってほしくないな」「ずっと読んでいたいな」と思うことがたまにある。
 もちろん、小説家の看板を背負ったひとりのストーリーテラーとしては、きちんと起承転結がついていて一本の太い幹に貫かれた創話となっているのが一番だとは思っているのだが、それを越えた世界観の中に入り込んでしまうと、気持ちがもう、浸ってしまうのだな。

 本作がそれであった。6巻という長さはちょうどよいし、全体を通して起承転結もあるのだが、あぁ、もっともっと二人のイチャイチャを見ていたかった!



 もう胸焼けしちゃうくらいの甘々なラブコメをお求めの方、ぜひ本シリーズをお読みくださいな。
 年間、数え切れないほどのラブコメを読み続けている結城(アラカン)が強くお勧めしますぞ!

 ところで、うらの先生の最新作「彼女たちは穴をうめたい」に少しふれておくと、こちらは三人の美少女にアンブレイカブル≠ネ可愛い少年が翻弄されるラブコメSFである。





 絵的にも超絶美少女だった柊さん(贔屓目あり)に比して、こちらはヒロイン一人一人に特徴があり、うらの先生の引き出しの多さに驚かされる。
 こちらも先が楽しみな作品なので、ぜひともご一緒にワクワクしていこうではありませんか!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2024年04月27日

【書評】「生まれる性別をまちがえた」

 小西真冬「生まれる性別をまちがえた」(全1巻)



 SRS、つまり性別適合手術、ありていに言ってしまえば性転換手術のルポルタージュは、活字、マンガを問わずいろいろ読んできたわたしだが、これほど「痛そう」と感じたルポはなかった。
 いや、それだけSRSの現実は隠されてきたということなのだろう。

 ストーリー、というか実話――著者は幼少時からの性別違和感を抑え、一時は不良≠ノなるほど男たらん≠ニしてきたが、学校のイベントで女装、また結婚後、あるゲームをやったことで、自分が性同一性障害≠ナあることを自覚。妻もそのような著者を以前から理解しており、ついに意を決して、タイでSRSに臨むことになった。
 このマンガは、その手術、そして術後の肉体と精神の痛みを克明に描くものである。

 著者、小西先生が受けた手術は「陰嚢反転法」を極めた「スポーンテクニック」という完成度の高いもので、大変に高度な術式だそうである。



 簡単に男性器と睾丸をチョン切って終わり、というわけではないのだ(そういう簡単な手術もないわけではない。為念)

 この高度な手術の利点は、術後の性器の「見かけ」が本物とほぼ区別がつかないこと。また、性感が維持できるというものだそうだ。
 小西先生の場合は、パートナーが女性なので、それほど性感にこだわらなくても、という感想を持ったが、それだけ「本物の女性に近づきたい」という強い意志があったということなのだろう。

 術後の一日、麻酔がまだ効いている間は、「余裕余裕」だった著者だったが、その後、激烈な痛みに襲われる。



 小西先生の筆致は、基本、コメディタッチではあるのだが、同時に画力がある分、この痛みの描写は、読書に没入している読者にも、まるで脳にジャックインされたかのように伝わってくる。読んでいて「痛い痛い」と感じてしまうほどだ。

 また、この術後の痛みが治まってから、「ダイレーション」という、造膣された箇所か閉じないためのリハビリをするのだが、これがまた痛い!(と、自分が感じたように書けてしまう)。



 2024年10月25日、最高裁判所は「戸籍の性別変更に手術を必要とするのは違憲」という決定を出した。
 この決定について、賛成、反対の様々な意見がネットで議論になったことは記憶に新しい。

 実際、その後、「自分の体は男だけど心は女ァ!」と叫びながら、パスもできない(外見が女性と見られない)男が女子施設に突入するなどの事件もあり、世間からは強い反感、そしてSRS手術を終えたトランスジェンダーからも「頼むからことを荒立てないで静かに暮らさせてほしい」という声もあったりして、事態は混沌としている状態だ。

 また、外国からは、MtFTG(男から女へのトランスジェンダー)が、女性スポーツ界に参入し無双しているというニュースがいくつも伝えられてきており、この問題が一筋縄でいかないことを示唆している。

 とはいえ、こういったことは、わたしとわたしの友人たちの間では20年前に議論しつくされていたことでもあるのだ。
 詳しいことは書かないが、わたしが主催していた私的ネットの中で、メンバーのひとりが、自分はMtFTG(体は男だが心は女)だと言い出したのである。
 申し訳ないが、そのメンバー≠ヘとうていパスできそうな容姿ではなかった。
そのメンバー≠フいないところで、議論は百出した。わたしはリーダーとして「我々も将来的には家庭を持ち(わたしはすでに結婚していた)みなで家族ぐるみで旅行にでることもあるだろう。そのとき君らは、自分の妻とそのメンバー≠ェ一緒の風呂に入ることを容認できるかい?」と訊いた。答えは皆、ノー≠ナあった。そのメンバー≠ノ同情的だった人でさえも。

 酷なようだが、やはり究極的には見た目≠ネのである。どうみてもパスできない(男としかみられない)者が「心は女ァ」と叫んでも理解はされないのだ。



 以前も書いたのだが、男性が世間で普通にパスできる女装ができるようになるまでには、一流のアスリートのように、生まれ持った才覚と、血のにじむような努力が必要なのである。
 そんじょそこらの男が「自分、幼少期、赤いランドセルが背負いたかったですから」で、「じゃ君、心は女だから、今日から女として過ごしていいよ」というような簡単な話ではないのだ。



 と同時に、SRSをせずとも十分パスできているトランスジェンダーに、「戸籍の性別変更したいくらいなら手術すればいいじゃない」などということは、本書を読んだわたしは言いにくい。
 これほどの酷薄な、ときによっては命にも関わる手術を、戸籍の性別変更の条件にするのは、やはり憲法違反なのかもしれない、とも思う。

 極端な話、国家のもと有識者でつくる「パス判定委員会」を作り、患者と対面させ、「ガッテン」「ガッテン」とボタンを押させて文字通り雌雄を決するのが一番なのかもしれない(令和の若者は「ガッテン」を知らないかw)。

 本書は、SRSの実際を知らない者、これから受けたいと思っている方には必読と言える。
 ぜひとも、実際のところどれだけ「痛い」ものなのか、マンガを通して疑似体験していただきたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2024年04月17日

【映画評】「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション・前章」

 当初、この映画の記事は書く気がなかった。なにしろ、観てきたのはもう二週間以上前になる。



 箸にも棒にもかからぬ出来だったからではない。その逆、とても良かったのだ。
 ただ、原作を読み返したり、年度末で忙しかったり、まだ「前章」だから、という気持ちもあったりして、これは「後章」を観たときに書けばいいな、という気分になっていたのである。

 ところが! 声優をつとめたあのさん、幾田りらさんの二人が歌う主題歌(エンディング曲)の「絶絶絶絶絶対聖域」が、耳について離れないのだ。もう二週間になるというのに、ずっとイヤーワーム(ずっと頭の中で演奏されている状態)になっている。
 今も同曲を聞きながらこれを書いている。あのさんの声には中毒性がある! さらに幾多りらさんの声が入れば、もう!

 週一の習慣になっている細君のカラオケ同伴でも、音痴にも関わらず、同曲を熱唱しまくってしまった。

 夜、寝る前は「♪永久不滅も脆弱するの」。朝、起きると「♪つーか戦力外ワラ」。と、すぐに頭の中でレコードが回りだす……。

 まいった。誰かなんとかしてくれ。
 というわけで、一度、頭をリセットしたく、この記事を書いている次第。

 ストーリー――3年前の8月31日、突如東京都に巨大な空飛ぶ円盤、通称「母艦」が襲来。そこから出撃した「侵略者」の攻撃によって多くの死者が出るが、アメリカ軍の攻撃によって母艦は渋谷区の上空で停止。母艦から出撃する侵略者の宇宙船も逐次迎撃された。
 上空には母艦が浮き、時折自衛隊と侵略者との戦闘が行われることが日常となった東京で、小山門出は中川凰蘭ら親友たちと共に青春を謳歌していた。人類が終了する日が間近に迫っているとは夢にも思わずに――
(WikiPedia「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」より引用)

 最初は、原作、浅野いにお先生の描くあのキャラがうまく動くのか、「竜とそばかすの姫」で声優経験のある幾田りらさんはともかく、初挑戦のあのさんの声はうまく合っているのかなどの不安もあったが、心配はすぐに払拭された。
 銀幕の中の二人、門出とおんたん(凰蘭)は生き生きと動き、声もなにも違和感がない。
 正直、「竜とそばかすの姫」でとてもお上手だった幾多りらさんはともかく、おんたん演じるあのさんがこれほどばっちりハマるとは予想していなかった。
 もう、この二人以外、門出とおんたんを演じる声優は考えられないほどだ。

 また、作中劇「イソベやん」の登場人物「デベ子」を演じていたのは、急逝が報じられたばかりのたらこさん。エンドテロップの最後には追悼文が映し出される。急いで挿入したのだろうが、こういう細かい心遣いが良い。

 この話は、地球滅亡を目の前に日常生活を送る、門出とおんたんの物語。ジャンル的には「セカイ系」になるだろうか。


(浅野いにお「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」より引用、以下同じ)



 この巨大な宇宙船が空に被った東京と、その下で、異常環境下にも関わらず慣れてしまい普通に暮らす人々。そして二人と友達たちを中心に、話はゆるゆると、そして丁寧に動き出す。

 観る前は「前章」、「後章」と分けられるのは面倒だな、一本にまとめてくれたほうが見通しがよくていいな、と思っていたのだが、観終わり、さらに原作を1〜12巻まで通して読み通して、これはやはり、前後編に分ける必要があったな、と思いなおした。

 今回の「前章」は、原作1〜4巻の途中、そして、4巻以降にあるエピソードをうまく組み込んで展開していく。謎は謎として残り、伏線も伏線として残っていくのだが、先を(原作で)知っていると、これもうまいシナリオだと感じた。



 ネタバレはしないので、細かいことは書かないが、映画エンディング近くのこのシーン(原作では見開き)が、大きな銀幕で動きながら自分も落下していく錯覚とともに観られたのは、もう鳥肌ものである。

 興業的にはあまり成果はかばかしくないと聞くが、それもあって、筆を執ったところもある。このままの勢いで「後章」が完成していたら、おそらく、わたしの今年のベストバイ映画になるだろう。

 体調が悪かったので、今年はあまり劇場で映画を観られていないのだが、それでも「カラオケ行こ」、「ゴールデンカムイ」、「DUNE Part2」とアタリ映画ばかりを観ている。その中でも本作は秀逸の出来だ。

 そして最初に書いたED曲「絶絶絶絶絶対聖域」がまたいい。このストーリーにぴったりなのだ。
 ああこの記事を書いていても、イヤーワームが消えていかない(聞きながら書いているのだから当たり前だ!)。

 今は「後編」が公開される5月24日が楽しみでならない。法人確定申告で超忙しい時期だと思うが、公開日に細君と見に行きたいと思っている。

 ちなみに、細君は「前編」を観ていない。
 できれば「後編」公開前に、「前編」を、テコ入れとしてアマプラでやってくれないかな、と願っているところだ。

 いまちょっと、近くの劇場のスケジュールを眺めてみると、もう一日一本、小さな箱での上映になってしまっている。
 この記事を読んで、少しでも興味を持たれた方は、ぜひとも劇場に足を運んでいただければ。

 ちょっとだけ「後編」になる原作のストーリー、それもエンディングに触れておくと、わたしは富沢ひとし先生の「ミルククローゼット」の最後のような感覚を覚えた。「ミルクロ」をご存じの方にはわかっていただけると思う。

 まだ原作全巻をお読みでない方は、どうかな――読まないで映画を観て、それから原作をお読みになられるのが良いかもしれない。
 キイハナだが、映画のエンディングは原作とは違うということだし。


(この「絶対」がキーワードなのだな)

 さて、これを書いたからと言って、「絶絶絶絶絶対聖域」イヤーワームからの自由を得たわけではないのである。

「♪あげる僕の絶対聖域を、もう怖くないよ〜」

 ああ、なんとかしてくれ!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2024年04月13日

【書評】「それはただの先輩のチンコ」

 阿部洋一「それはただの先輩のチンコ」(全1巻)



 漫画家さんとしての阿部先生を応援するのなら、現在連載中の「羊角のマジョロミ」をご紹介するのが良いと思うし、また、そしてそちらも抜群に面白いのだが――



 やはりここは、男として*{作を紹介したい。

 ストーリー――この世界では、男のチンコは切断しても生きている。本体もチンコも。切断された男の本体の方はしばらくするとまたチンコが生えてくるので安心だ(そうか?)。
 東堂サトシ先輩を好きになった「わたし」こと坂下は、ギロチン小便器でサトシ先輩のチンコを切断して入手。



 それ以来、大事に一緒に過ごしていたが、ある日、そのチンコに異変が起こる。帰巣本能だ!
 坂下はそれを封じるため手段を講じるが……


 と、文章で書くと、ちょっとグロく感じるかもしれないが、引用したコマをごらんいただければおわかりのとおり、とてもユーモラスな雰囲気で、すぐに作品世界に取り込まれること請け合いだ。

 本作はこの世界≠舞台にした短編集で、いずれも、切断されたチンコと、それを所有せんとする女の子にまつわる逸話で構成されている。

 切り離されたチンコが、肉感的ではあるが可愛らしいのが良い。みな包茎なのも好感が持てる。そうそう、本物のチンコを見たことがない女性のみなさん、チンコは通常時、こんな感じなのですよ。



 チンコを扱っているとはいえ、前述したとおり、全編、ユーモラスでかつ、女の子は可愛らしいし、お話は面白い。


(タートルネックの二枚重ねなのでは……)

 また、自分だったらどうだろう、と、両性の立場で考えさせられるストーリーもあり、飽きることがない。



 もちろん、女性にも安心しておすすめできる作品だ。

 いくつかのエピソード集なので、読む方それぞれによってお気に入りの話は違ってくると思うが、わたしはやはり、冒頭に出てくる「それはただの先輩のチンコ」、そしてその結末となるラストの「火花」が好きだ。

 ツンドクはたくさんあれ、わたしもみなさんと同じように、好きな作品は何度も読み返すタチだが、その「読み返し」にも二種類ある。ひとつは、一度読んで、すぐ読み返すタイプ。そしてもうひとつは、長期にわたって、数年に一度、「ああ、あれがもう一度読みたいな」とふと思いだし読むタイプ。

 阿部洋一先生の描く世界は、この後者の方。最初にファンになったのは「血潜り林檎と金魚鉢男」からだが、これも数年おきに読み返している。

 本作「それはただの先輩のチンコ」も、長く読み続ける作品になることだろう。

 阿部先生の作品には、どれも不思議と「暖かい内臓感覚」があると思う。精神世界へのダイブではなく(経験したことはないが)手術中、開腹した内臓の間に手を入れて、その暖かさを感じるような。大事に、そっと、愛おしく、それでいて生々しい肉感的な質量を掌に抱くような印象だ。

 どちらかと言えば寡作な漫画家さんでいらっしゃるかもしれないが、同時に、描く作品すべてが傑作といえるのもまたすごい。
 絶対に代わりがいない漫画家であることも確かだ。
 本作、タイトルは手に取りにくいかもしれないが、電書などでぜひ女性にも読んでいただきたい。

 さて、わたしの細君はわたしのチンコを切断して持ち歩いてくれるだろうか。などと考えてしまったりw
 なんかその辺にポイと捨てて、ネコに齧られそうだなぁ。


(野良チンコw)

 拾った方は大事にしてね?
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評