2024年03月09日

【書評】「かゆうま」

 坂木原レム「かゆうま」(1巻:以下続刊)



 このマンガをナイトキャップにしてから眠ったら、ヒロイン始め作中の人物たちが大活躍するロボットプロレスの夢を見た(いやもともとそういう話なんですけどね)。これも量子論で説明できるのかもしれない。
 というわけで、科学的見地から見ても本作はご紹介せねばなるまい、と筆を執った次第。

 あらすじ――日本のどこか「桔梗市」に30年ぶりに現れた「嵬獣」。「嵬獣」を倒せるのは「祈り子」が搭乗した巨大ロボット「御神体」だけだ。
 その一週間前、謎の生物「お狐様」を拾っていたヒロイン実乃莉は祈り子として選ばれていた。そして御神体に乗り嵬獣と闘うことになる。

 と、書くと非常にシリアスな、まるで「ぼくらの」を連想しそうなお話に思われるかもしれないが、実は本書、コメディなのである。
 実乃莉ちゃんは――



 と、下心を持ちつつ御神体に乗っているし、闘いをサポートする桔梗市防災課所属の父親はそんな娘を溺愛している。
 そして現れる、30年前の祈り子、紫藤直哉。ともすればこのキャラがストーリーを食ってしまうくらい癖が強い。一言で行ってしまうと「インターネット老人会」。



 それにしても、既視感が強いマンガである。これは作者の坂木原先生のイタズラにまんまと引っかかってしまっているのだろう。
 たとえば、実乃莉ちゃんと、祈り子のパートナー(?)であるお狐様が出会うシーンは――



 これで「まどマギ」を連想するなと言われても無理なものだ。
 また、実乃莉ちゃんと彼女を溺愛する父親は「エヴァ」のゲンドウとシンジという歪んだ親子と対関係にあるのかもしれない。

 そう、本作は日本製ロボットプロレスストーリーのパロディ、その集大成でもあるのである。

 かといって、刹那的にパロディギャグをつなげていく軽い作品でもない。バックグラウンドには骨太の設定とストーリーがある。「まどマギ」が最初は普通の魔法少女ものと思わせ、実は……だったように。
 謎はちりばめられ、この第1巻は驚愕の「つづく」で終わる。

 キールにあるのはマクロ化された「量子論」である。
 たとえばもう有名になった「シュレディンガーの猫」であるが、あれは「開けたときに猫の生死が決まる」という話ではなく、ミクロの世界の量子のふるまいをマクロ化して「じゃあ箱の中の猫は生と死の重ね合わせ状態にあるのか? そんなことはあるまいよ」という反論に使われた思考実験なのである。

 本作にはこの量子のふるまいをマクロ化した状況がポンポンと出てくる。なんと物理学監修に慶應大学の松浦壮先生がついていらっしゃるくらいだ。

 量子論の世界はわたしごときがいろいろ書けるほど簡単な話ではないので、ボロが出ないうちにこのあたりで引き上げることにする。

 ただひとつ、量子論には「観測者効果」というものがあって、観測によって(つまり、誰かがその実験を見ているか見ていないかによって)、状況が変化する、という不思議な現象がある。



 この「かゆうま」もそうなのかもしれない。この記事で本作の存在を知った読者様がいらっしゃったとしたら、それによって「かゆうま」は実在するものになったのである!
 さあ、書店へ走るか電書で即、購入だ。

 実乃莉ちゃんのかわいさやインターネット老人や、その他、数々のギャグに笑っていると、いつか坂木原先生に足をすくわれるような気もしないでもない。
 本作、この先、本当にどう転ぶかわからない。この出だしから、鬱展開、そして悲劇的な結末へと向かってもおかしくないのである。

 ちなみに「かゆうま」のタイトルだが「わいいJCとかいな仲間がうまいこと街を守る」の略だそうだ。
 これで「ぼくらの」や「まどマギ」のような展開になっていったとしたら――いやそれはそれで名作の予感!

 なんにしろ期待age、続刊wktkなのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2024年01月27日

【書評】「楠木さんは高校デビューに失敗している」

 みいみつき「楠木さんは高校デビューに失敗している」(1〜3巻:以下続刊)



「蛇蝎のごとく嫌う」という言葉がある。エヴァが蛇にだまされて以来、人間の蛇やサソリに向かう嫌悪感は根源的なものになったのかもしれない。
 本作、3巻発売(2023/01/25)のタイミングでのご紹介だが、あまーい「萌えラブコメ」だと思って読み始めると、ちょっとサソリの毒にやられるかも。

 あらすじ――暗かった中学時代を送ってきて、一念発起、高校デビューを果たした主人公、志月恵助には、美人を見ると気持ちが悪くなるという症状がある。
 それは、彼を変えるきっかけとなった中学時代の美人、高垣梨里沙が原因のトラウマからであった。
 容姿を整え自分を変え、高校生活ヒエラルキーの中程あたりに紛れ込むことに成功した恵助。しかしその隣の席には、同じ中学の楠木静がいたのである。
 実は楠木さんも中学時代はネクラ(って今は言わん?)でボッチの生活を送っていたのだが、彼女も恵助と同じように高校デビュー組。しかも今では学校いちの美人とも評されるくらいチヤホヤされていた。



 楠木さんとは関わらないようにしたいと思っていた恵助。しかしある日、楠木さんから面倒なお願いをされてしまう。「わたし、容姿は変えることができたけれど、内面は前と同じで、人に囲まれるとコミュ症でどうしたらいいかわからないんです。友人も一人もできなくて……。志月くん、わたしを助けて。友だちになってください!(大意)」
 果たして、波風立たず高校生活を送りたい恵助の生活はどうなってしまうのか。楠木さんはコミュ症を治すことができるのか。

 楠木さんはコミュ症だけあって、異性である恵助との距離感がちょっと普通と違い近すぎたりする。そんな楠木さんへの感情を、「これは友人」と抑える恵助。



 二人の間隔は、3巻の時点でこれくらいである。バカップルラブコメを期待して読み始めると、ちょっと拍子抜けだが、いや、それ以上にストーリーの中身は濃い、キャラのバックグラウンドが深いのである。

 恵助は「トラウマ」を解決できず、それに目をつぶって高校生活をやりすごそうとするが、なんと同じ高校に、トラウマの原因高垣梨里沙が(名字が変わり「蛇川さん」となって)現れてくる。



 恵助にとっては「蛇蝎のごとく」嫌っている相手だ。

 楠木さんもこの3巻で明かされるのだが、子ども時代はもっと活発で人の輪の中心にいるようなキャラだったと、新キャラによって明かされる。

 そして名字の変わった蛇川さん。このキャラが一番ミステリアスだ。なぜか恵助に近づこうとする彼女のバックグラウンドは謎である。

 こういった背景があるので、新しい女性キャラが登場してきても「またハーレム化かよ」という、ありがちなつまらなさがない。

 ラブコメの皮をかぶった青春群像サスペンス色もありますよ、本作。

 もちろん、ラブコメとしても面白さは折り紙つきだ。楠木さんのファッションセンスの独特さに恵助が困り果てるところなど笑ってしまうし、ラッキースケベもあったりする。



 それでもやはり、この「楠木さんは高校デビューに失敗している」は、キャラの成長物語なのだと思う。
 恵助は自分のトラウマを克服して美人アレルギーを治すことができるのか。楠木さんはコミュ障を乗り越え、恵助の援助なしでも人づきあいができるようになるのか。蛇川さんは過去の恵助との因縁をどうしていくのか。
 三者三様の問題を抱え、その中でもがいているキャラたちを、自然、応援したくなる。

 ストーリーのキールを支えるみいみつき先生の描線はしっかりとしていて、楠木さんはなきぼくろがキュートな実に美少女だ。



 恵助もありがちなハーレム・ラブコメマンガの男性キャラと違って、悩みながらも自己を持ち、行動に好感が持てる。



 みいみつき先生の前著「三ヶ月前に別れた先輩後輩の話」も拝読させていただいたが――



 こちらもストーリーが八方広がりにならずきちんとまとまっていて、安心して読むことができた。

 本作はまだ3巻目。話は起承転結の「承」に入ったばかりである。
 願わくばいいペースでこのストーリーが完結し、皆がよき高校生活を送るハッピーエンドとなりますように。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2023年12月02日

【書評】「それは突然、運命の相手が」

 ヒロモトヒロキ「それは突然、運命の相手が」(1〜4巻:完結)



 日々、新刊から旧作、たくさんのラブコメを読んでているが、このところで一番「刺さった」のが本作。10年前の作品だが、良いものは良い。

 あらすじ――遺伝子的に最良の子どもがつくれる男女は、実際につきあってみれば相性も最高のカップルになれることがわかった世界。この国では、強制力はないが、遺伝子的に最良のカップリングの男女をコンピュータが選択し、両者がともに14歳になったときに通知がきて、カップリングセンターで出会うこととなる。
 そんな世界で繰り広げられる、4組の思春期男女のラブコメディ。

 まず、タイトル「それは突然、運命の相手が」が良い。実は他のラブコメを読んだあと、リーディングシステムに紹介された本書に「お、このタイトルは面白そうだ」と、本書を試読したのがこの4巻との出会い。
 最近はもう、長いタイトルが普通になってしまっているきらいがあるが、こういうふうに、短くてもパッと読者の心をとらえるタイトルは作品をきらめかせる。

 4つのカップルは、それぞれ「兄×妹」、「学校いちの才女×普通だが芯の強い男子」、「ゲーマーのカップル」、「互いの家の仲が悪いイトコ同士」となっている。

 どれも珠玉のストーリーだが、わたしが気に入ったのは「ゲーマーのカップル」。
 遺伝子カップリングでつきあうようになった修之≠ニ、ネットゲーム仲間で心惹かれてしまうウェイク≠ニの間で揺れるヒロインみゆきがなんとも可愛らしい。



 読者は舞台裏を承知しているので、オチへの流れはハッピーエンドだとだいたいわかるので、安心して読んでいられる。

 第一話の「兄×妹」などは、いくらカップリングセンターの推薦でも「近親相姦勧めちゃっていいの!?」というところもあったりするのだが(いいの!)、それはそれでご馳走。



 最後の「互いの家の中が悪いイトコ同士」は、やや親同士の確執が解決していないあたり、駆け足かな、という感じもするが、まぁそれはそれで、カップル同士はベタベタのハッピーエンドなのでよし、なのだ。

 ヒロモトヒロキ先生の描くキャラはとても表情豊かで、読んでいてテンポよく飽きがこない。



 一気に4巻読んでしまったので、あともうちょっとデザートが欲しかったかな、というところもないではないが、甘さに胸焼けしないちょうど良い巻数ではあるかもしれない。

 ところで最近、この設定に似たマンガ、高野ひと深先生の「ジーンブライド」という作品もあって――



 こちらはラブコメではなくけっこうシリアスな内容。
 同じような設定を扱っても、こうやってジャンルに違いがでてくるのはおもしろい。

 話を元に戻して、遺伝子の良否――そんなものは本来ないのだが――でカップリングを決める、というのは、一歩間違えば優性思想でよろしくはないのだが、本作はそれを感じさせないコメディで、読んでいてとても楽しかった。



 好きあう男女が互いの「におい」を好ましく思うのも、遺伝子レベルで惹かれあっている証拠だという話もある(逆に、娘が父親のにおいを嫌うのもそれ)。

 バーナード・ショウの有名な逸話に、ある女優が「わたしの美貌とあなたの知性が合わさった子どもができたらどんなにすばらしいでしょう」と口説いてきたとき「わたしの容姿とあなたの知性を持つ子供ができたら最低だ」と応えたというものがあるが、なんというか、こんな時代だから、カップルの遺伝子を調べて相性度を出す、といかいう商売もありそうな気がする(ひょっとしたらもうあるかも)。

 少子高齢化に、男女の交際率がどんどん下がっていることがとても問題になっているこの日本、本作のように、思春期の頃から科学的に許嫁を決めてしまうのは、けっこういいのかもしれないね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2023年11月11日

【書評】「勇者はひとり、ニッポンで」

 原作:山崎響/漫画:雪狸「勇者はひとり、ニッポンで」(1〜2巻)



 今週の日月火と横浜に行っていたのだが、考えてみると旅行というのは「異世界」を楽しむようなものだ。
 というわけで、紀行記事はひとつ後にして、今回は10月27日に出版されたばかりの、少し変わった「異世界モノ」を紹介したい。

 ストーリー――異世界の勇者アルフレッドは、今、現代日本の居酒屋でビールと焼き鳥を堪能していた。


(本編を読むと「いやお前、言うほど前線で戦ってないやん」とツッコミを入れたくなりますがw)

 というのも、アルフレッドは「姫」、「姫の従者(♀)」、「幼なじみの魔術師(♀)」という女ばかりのパーティの中の黒一点。
 魔王打倒という共通目標はあるが、もともと文官志望の彼は「勇者」のように剣を振り回しリーダーシップをとるのには向いていない。そのようなわけで、パーティ内はとても――



 ギスギスしていたのである。もっともその原因のひとつは、女性陣のほのかな恋心に気づかないアルフレッドの朴念仁さにもあるのだが。

 とにかく、そんなアルフレッドを哀れに思った神様のはからいで、一週間に一日ある安息日、アルフレッドに「お小遣い一万円とともにニッポンへ飛べるチート能力」が与えられたのだ。


(その神様に魔王討伐という面倒な役目を押しつけらたことを忘れているあたり、アルフレッドはお人好しである)

 この物語は、勇者アルフレッドが魔王を倒すためにパーティをまとめて奮闘する物語――ではなく、平和の国ニッポンを満喫する「勇者ニッポン紀行」である。

 と、こういう設定。
 いわば「1日外出録ハンチョウ(漫画:上原求・新井和也/原作:萩原天晴/協力:福本伸行」と「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議(著:オーサ・イェークストロム)」を足して割り、異世界モノをかけた感じではあるのだが、我々日本人にとってみると、アルフレッドの新鮮な喜びや笑顔が「ニッポンの良さ再発見」につながる楽しみもあって、読んでいて飽きることがない(各先生敬称略)。

 一日のお小遣いが一万円なので、ホテル代とちょっとした食事を楽しめる計算である。
 アルフレッドのニッポンの楽しみ方も、主に「食」方面にベクトルが向いていて、居酒屋、牛丼屋、学食、大盛り挑戦カレー、呪文コーヒー店などに勇者らしくチャレンジしていく。その驚いたり楽しんだりしている雰囲気が実に良い。


(完食無料の超大盛カレーに挑戦。昔CoCo壱でやってましたなぁ)

 もちろん「食」以外にも、映画やスーパー銭湯などにも果敢に挑戦していく。
 基本、お一人様なので、「お一人様遊びのお楽しみマニュアル」としても応用できそうだ。

 こういった話の中に、幕間のように挟み込まれる異世界での魔王討伐パーティのストーリーがあり、それもまた楽しい。



 それにしても、安息日を楽しむ先としてニッポンを選んだ神様はさすがかもしれない。ニッポンは食の禁忌が少なく、世界中の味を楽しめる場所であるし、また、夜歩きができるくらい平和な地でもある。娯楽も多く、アルフレッドが挑戦するネタには困らないだろう。

 こうしてアルフレッドは「異世界ニッポン」での経験を生かしたり、生かさなかったりしながら、魔王討伐パーティは現状維持、いや、ギスギス度を高めながらw 闘いのページはめくられていくのであった。

 2巻の最後で、読者を驚かすどんでん返しがあり、これは――というところで終わっている。うーん、先が読みたい!

 雪狸先生のあとがきによると、どうもこの2巻でコミカライズ版はいったん幕引きのようで、とてもとても残念だ(続きは原作で、らしい)。
 わたしは基本、単行本派なので、連載中に応援できないのが心苦しい。

 カラオケ、遊園地、ボウリングなどなど、ニッポンには「お一人様」にはハードルが高いという娯楽も多い。こういったものにアルフレッドがチャレンジしていくのも楽しかったろう。
 大型電気店へ行って「これは魔法か!?」というような体験をしたり、書店へ行って「異世界モノ」を読んだりするような展開もあったかもしれない。想像するだけでわくわくしてくる。

 姫を始めとするパーティの女性陣との仲も気になるところである。


(笑。ハーレム展開にはほどとおい、かな?)

 コミカライズを担当なさった雪狸先生は「少女花図鑑」でもとりあげさせていただいたが、「異世界パート」でないと、先生の描くかわいらしい女性陣が楽しめないのも残念のひとつではあったか。

 機会を見つけて、山崎先生の原作も拝読してみるつもりである。

 今、日本の創作界は「異世界モノ」ばかりだが、冒頭に戻ってみると「異世界モノ」の面白さは「旅行・紀行」の楽しみなのかもしれない。
 我々ニッポン人は作り物の「異世界」に心を馳せる前に、自らが住むこのニッポンを十全に楽しんでいるのだろうか?
 そのようなことをふと考えてしまった読後であった。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2023年10月28日

【書評】「はじめての諏訪さん」

 真沼靖佳「はじめての諏訪さん」(1〜3巻:完結)



  このところ「目黒さんは初めてじゃない」(9℃)、「経験済みなキミと経験ゼロなオレがお付き合いする話。」(長岡マキ子/カルパッチョ野山)、「南條さんは僕に抱かれたい」(You2)、「だれでも抱けるキミが好き」(武田スーパー)と、たて続けに微NTR風味の「ヒロインが初めてじゃない」マンガが出版されている(各作者敬称略失礼)。

 エロゲのヒロインが「初めてじゃなかった」ため、怒りのあまり、メーカーにゲームディスクを割って送りつけたファンがいた「ヒロインは処女が当然」の時代を知っていると、隔世の感を覚えずにはいられない。

 その頃はまだ「処女厨」、「非処女は中古」などという言葉が普通に使われていたものだが、2023年の今では、そういった言い回しも見かけなくなった気がする。
 それだけ、氷河期世代、Z世代の間では、処女性に価値を見いださなくなった――わけではなく、私見だがむしろ諦観の域に達したのだと思っている。

 前にも書いたことがあるが、処女性にそれほど価値を見いださないと(日本では)思われているアメリカであっても、実は「自由恋愛での結婚だから、お互いいろいろあっても仕方ないよね」という意識であって、夫は内心、妻の過去の「初めて」にけっこう拘泥していたりするそうなのだ。
 さらに田舎の州ではまだカトリックも強いので、婚前交渉などはもってのほか、という地域も確かにあるのである。

 むしろ、日本の方が処女性を保つことへの意識は「緩い」というのが、実際に各国の統計を調べたことがある者の一致した意見である。
 もともと、日本の「処女性尊重」意識は明治以後に輸入されたキリスト教文化でもあって、江戸時代までは、やんごとなき階級の方々はともかく、民衆レベルでは村人皆が「穴兄弟」、「竿姉妹」だったなどということもあったのだ。

 え、お前はどうなんだって? わたしはガチガチの処女厨ですよ。カトリックですからね。

 ずいぶん枕話が長くなった。こういう世情の中で「初めて」をタイトルにした、それも上質のラブコメを読めた嬉しさから、筆が走ってしまった。

 ストーリー――山中卓君は中学生になったばかり。まだ制服もぶかぶかだ。
 その入学初日、桜の舞う帰り道で、自分より頭ひとつ背の高い美少女、諏訪紅羽さんにいきなり告白される。



 まだ、恋も女の子のこともよくわからない山中君は、「初めてのこと」に立ち向かう対抗意識から、彼女の告白を受け入れるのだった。



 そして、初めて尽くしの諏訪さんとの交際が始まる。

 物語は、この二人の中学一年を通したイベントを丁寧に追っていく。
 とにかく、この諏訪さんが可愛いのだ。山中君より余裕があるていだが、山中君のリアクションによっては、顔を真っ赤にしてしまったりする。
 そして、「初めて」に翻弄される山中君もまた可愛い。
 二人とも初々しく、読んでいてニマニマ、ほっこり、ハラハラ、ホッとしている自分に気づく。





 少々ネタバレになるが、諏訪さんが山中君に告白したのは、実は過去に会ったことがあるという経緯があるのである。が、山中君はさすが中一だけあって、まったく覚えていないのだった。



 最初は「女子ってよくわからない。怖い……」と思っていた山中君が、話が進むにつれ、諏訪さんに本気で恋をしていく課程がまた良い。

 そんな二人を取り巻く友人たちもまたいい味を出している。



 真沼先生のペンタッチは繊細でキャラの心理描写が表情によく表れており、この世界にずっと浸っていたい快適さがある。

 一番好きなシークエンスはラスト近く。自分の背が伸びていることに気づいた山中君と、諏訪さんの表情がいい。





 たった中学一年間のお話で終わってしまうのが残念ではあるが、同時に、とてもよく計算された構成でもあると思う。
 これ以上長くなると、テコ入れの新キャラ、よけいなイベントや事件などを入れざるをえなくなり、二人のピュアな関係性が薄れてしまうと感じる。三巻はちょうどよい長さだ。

 エピローグ後のおまけ、数ページの高校生編が、読者の想像をたくましくさせてくれて嬉しい。
 最後まで諏訪さんに翻弄される山中君も実に微笑ましい。

 読後感もとてもよく、日を開けて、二回、三回と読みたくなるラブコメだ。

 いいよね。お互いがお互いの初めてって。
 そんな、実は当たり前の、ピュアな心を取り戻させてくれる、素敵なマンガである。

 微NTR風味の「初めてじゃない」ブームに疲れたら、そして本作を未読なら、ぜひこの「はじめての諏訪さん」を、あなたも初めて%ヌんでみていただきたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評