
このマンガをナイトキャップにしてから眠ったら、ヒロイン始め作中の人物たちが大活躍するロボットプロレスの夢を見た(いやもともとそういう話なんですけどね)。これも量子論で説明できるのかもしれない。
というわけで、科学的見地から見ても本作はご紹介せねばなるまい、と筆を執った次第。
あらすじ――日本のどこか「桔梗市」に30年ぶりに現れた「嵬獣」。「嵬獣」を倒せるのは「祈り子」が搭乗した巨大ロボット「御神体」だけだ。
その一週間前、謎の生物「お狐様」を拾っていたヒロイン実乃莉は祈り子として選ばれていた。そして御神体に乗り嵬獣と闘うことになる。
その一週間前、謎の生物「お狐様」を拾っていたヒロイン実乃莉は祈り子として選ばれていた。そして御神体に乗り嵬獣と闘うことになる。
と、書くと非常にシリアスな、まるで「ぼくらの」を連想しそうなお話に思われるかもしれないが、実は本書、コメディなのである。
実乃莉ちゃんは――

と、下心を持ちつつ御神体に乗っているし、闘いをサポートする桔梗市防災課所属の父親はそんな娘を溺愛している。
そして現れる、30年前の祈り子、紫藤直哉。ともすればこのキャラがストーリーを食ってしまうくらい癖が強い。一言で行ってしまうと「インターネット老人会」。

それにしても、既視感が強いマンガである。これは作者の坂木原先生のイタズラにまんまと引っかかってしまっているのだろう。
たとえば、実乃莉ちゃんと、祈り子のパートナー(?)であるお狐様が出会うシーンは――

これで「まどマギ」を連想するなと言われても無理なものだ。
また、実乃莉ちゃんと彼女を溺愛する父親は「エヴァ」のゲンドウとシンジという歪んだ親子と対関係にあるのかもしれない。
そう、本作は日本製ロボットプロレスストーリーのパロディ、その集大成でもあるのである。
かといって、刹那的にパロディギャグをつなげていく軽い作品でもない。バックグラウンドには骨太の設定とストーリーがある。「まどマギ」が最初は普通の魔法少女ものと思わせ、実は……だったように。
謎はちりばめられ、この第1巻は驚愕の「つづく」で終わる。
キールにあるのはマクロ化された「量子論」である。
たとえばもう有名になった「シュレディンガーの猫」であるが、あれは「開けたときに猫の生死が決まる」という話ではなく、ミクロの世界の量子のふるまいをマクロ化して「じゃあ箱の中の猫は生と死の重ね合わせ状態にあるのか? そんなことはあるまいよ」という反論に使われた思考実験なのである。
本作にはこの量子のふるまいをマクロ化した状況がポンポンと出てくる。なんと物理学監修に慶應大学の松浦壮先生がついていらっしゃるくらいだ。
量子論の世界はわたしごときがいろいろ書けるほど簡単な話ではないので、ボロが出ないうちにこのあたりで引き上げることにする。
ただひとつ、量子論には「観測者効果」というものがあって、観測によって(つまり、誰かがその実験を見ているか見ていないかによって)、状況が変化する、という不思議な現象がある。

この「かゆうま」もそうなのかもしれない。この記事で本作の存在を知った読者様がいらっしゃったとしたら、それによって「かゆうま」は実在するものになったのである!
さあ、書店へ走るか電書で即、購入だ。
実乃莉ちゃんのかわいさやインターネット老人や、その他、数々のギャグに笑っていると、いつか坂木原先生に足をすくわれるような気もしないでもない。
本作、この先、本当にどう転ぶかわからない。この出だしから、鬱展開、そして悲劇的な結末へと向かってもおかしくないのである。
ちなみに「かゆうま」のタイトルだが「かわいいJCとゆかいな仲間がうまいこと街を守る」の略だそうだ。
これで「ぼくらの」や「まどマギ」のような展開になっていったとしたら――いやそれはそれで名作の予感!
なんにしろ期待age、続刊wktkなのである。






























