2017年07月04日

【カットリク!】内因性精神病――臨床精神病理学の立場から

「【カットリク!】ロマンティックな狂気は存在するか」の記事で、本来ならば新約聖書四番目の福音書「ヨハネによる福音書」の冒頭文である「太初に言あり(文語訳)」が、誤って「旧約聖書の冒頭」と記されている、と書いた。

 しかし、春日武彦先生の同書の該当箇所はあくまで「引用」した箇所であり、もとは吉永五郎先生の著作「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」から引いたものらしい、とも。

 同箇所の間違いの指摘について、わたしは「うろ覚えなどではなく、今でも街中の書店で購入できる文語訳聖書を立ち読みでもすれば間違うはずがない」、「言葉≠扱う者として、その程度の簡単な確認作業さえ行わず言葉≠云々する態度は誠実ではない」という主張をしている。
 こういうわたしが、孫引きの状態で春日先生の「ロマンティックな狂気は存在するか」を「カットリク!」だと評価するのは、いささか片手落ちではないかと居心地の悪い思いがないではなかった。

 今はいい時代である。以前だったら、おそらく大きな図書館を回ってもすぐに手に入らず、それこそ国会図書館にでも行かなければ見つからないような書籍でも、アマゾンで入手できる。



 というわけで、ゲットしましたよ。吉永五郎先生著の「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」。
 暇な上に粘着質だなぁ、俺(笑)。1988年の初版である。

 該当箇所は、32ページの注記の部分にあった。


(クリックで拡大できます)

 注:古代ギリシャのプラトンの時代までは、エイドスとイデアは、同じ意味で日常的に使用されていた。しかし、キリスト教旧約聖書の冒頭の「始め言葉ありき」の文が示すように、言葉のみが人間の種族としての本質を現していることから次第にエイドスの使用は廃れた。しかし、言葉は偽るが、エイドスは偽らず、認識の源泉であることに変わりがない。


 はい。ばっちり間違っていらっしゃいますね。何度も書いてきたが「太初に言あり」は旧約聖書の冒頭の言葉ではなく、新約聖書四番目の福音書「ヨハネによる福音書」の冒頭の文であり、しかもこの言(ことば)≠ニは、Languageという意味ではなく、イエス・キリストそのもの(Logos)を現しているのだ。

 カットリク!ポイント44―
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」が聖書の一番最初の一節だと思っている。

 カットリク!ポイント46――
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」という一節が聖書に載っていると思っている。

 カットリク!ポイント45――
 カットリク!は「はじめにことばありき」の「ことば」が「Language」という意味の「言葉」だと思っている。


 というわけで、「ロマンティックな狂気は存在するか」で引用された吉永五郎先生の著作「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から」、カットリク!を三連発、いただきました。
 なお、「はじめに言葉ありき」の間違いについての詳細は、拙稿「【カットリク!】はじめに言葉ありき」をお読みいただきたい。

 というわけで、聖書からの引用は間違っているが、もともと精神科医と研修医向けに書かれている本書は、一般読者のわたしにもそれなりに面白そうな筆致で書かれているので、ナイトキャップ代わりに読んでいこうと思っている。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年06月15日

【カットリク!】ロマンティックな狂気は存在するか

 春日武彦著「ロマンティックな狂気は存在するか」

 そうそう、【日記】解離性同一性障害(DID)に関する私的メモでも触れた、春日武彦先生の「ロマンティックな狂気は存在するか」にも、初歩的な「カットリク!」があったので指摘しておこう。



「第1章・正常と狂気境い目はあるのか」の「精神科医は狂気をどう見るか」の中にある。


(クリックで拡大できます)

(前略)キリスト教旧約聖書の冒頭の『始め言葉ありき』の文が示すように、言葉のみが人間の種族としての本質を現していることから次第にエイドスの使用は廃れた。(後略)


 本ブログで「カットリク!」シリーズをお読みいただいている読者には、もう、おなじみだと思うが、「はじめにことばありき」は「旧約聖書」冒頭の言葉ではない。これは新約聖書の福音書、しかも四番目の「ヨハネによる福音書」の冒頭である。

 カットリク!ポイント44―
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」が聖書の一番最初の一節だと思っている。


 くわしくは【カットリク!】はじめに言葉ありきの記事をお読みいただくとして、「始め言葉ありき」という訳文も関心できるものではない。きちんと、現在流通していて普通に入手できる文語訳聖書を調べて書けば「太初に言あり」である。「初め」と「始め」では意味がまったく違う。
 また「言葉ありき」という翻訳が非常に少ないことも上記記事で述べた通り。

 カットリク!ポイント46――
 カットリク!は「はじめに言葉ありき」という一節が聖書に載っていると思っている。


 ただこの箇所は、春日先生が吉永五郎氏の「内因性精神病――臨床精神病理学の立場から――」を引用した部分で、上記の一文も「著者の脚注」として記されている。ので、これは春日先生の間違いではなく、吉永氏の間違いなのかもしれない。

 であったとしても、間違いの拡大再生産はよろしくない。
 また、上記記事でも触れている通り、ここで言う「言(ことば)」とはイエス・キリストそのものを現すものであり、言語という意味ではない。吉永氏はそこも誤解していると思われる

 カットリク!ポイント45――
 カットリク!は「はじめにことばありき」の「ことば」が「Language」という意味の「言葉」だと思っている。


 なお、わたしの手持ちの「ロマンティックな狂気は存在するか」は1993年の初版で、今は文庫本で入手できるようだ。そちらの版のほうでは直されているかもしれない。念のため。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年06月01日

【カットリク!】きみはペット

そうそう、「【書評】きみはペット」で触れた同書にも、カットリク!な点が一箇所見受けられたので、ひとつ指摘しておこう。


(小川彌生「きみはペット」12巻より引用)

モモ「へ?」
ヤマさん「あれ、聞いてない? あれ、昔、バランシンが振り付けた「放蕩息子」で使われた曲のコラージュなの。海野くんのアイデアなんだけど」
ヤマさんの吹き出し外に手書きで「大もとは旧約聖書ね」




「放蕩息子のたとえ」は「ルカによる福音書15章11節」から始まるイエスのたとえ話である。つまり旧約聖書ではなく、新約聖書に由来している。

日本人にとっては単純な勘違い≠ナ済むと思われてしまうかもしれないが、「放蕩息子のたとえ」は有名なモチーフで、レンブラントの絵画やヘンリ・ナウエンの名著などもある。
キリスト教文化圏ならば、著者及び編集者のひどい無知あるいは校閲ミスと思われても仕方ないほどの間違いである。

こういう単純ミスで、せっかくの名作がくさされてしまうのはもったいない。「きみはペット」巻末マンガの有名担当者、東大院卒のマツさんも、新旧約聖書を一度は通してお読みいただいていたほうがよかったのでは、と思われる。
宗教オンチの日本人にはピンとこないかもしれないが、好む好まざるに関わらず、「聖書」を読んでおくのは、現代世界の人間にとってコモン・センスのひとつですよ。

というわけで、

カットリク!ポイント68――
「放蕩息子のたとえ」を旧約聖書由来だとカンチガイしても気にしない!

posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年04月18日

【カットリク!】イースターを流行らせないで!

今年の「復活祭」前後は、企業が「イースター」を流行させようと躍起になっていた感がある。
新しくできたスーパーに寄ってみると「イースタースイーツ」。タマゴ関連でもアイスやケーキ。ディズニーランドでもイースターイベントを行っているし、今年からはディズニーシーでも実施。東京ディズニーリゾート全体で「イースター」のお祝い感を展開する、とのこと。

ネットニュースでも「そろそろイースターが流行るかも」「企業ゴリ押しのイースターなんぞ流行らん」と、肝心のキリスト信者をよそに、意見が交わされている。

これは、ガチのカトリックとして、ひとりのキリスト信者として、意見を言わせてもらう権利があると思う。。

「切に、切にお願いします。日本でイースターを流行らせないでください」


「復活祭」は、その前の「過ぎ越しの聖なる三日間」が大事なのである。この「復活祭」前の木、金、土で体験される、イエス・キリストの磔刑死からの葬式ムードがあってこその、「イェーイ!」な「復活祭」なのだ。

暗く、重く、陰鬱とした「過ぎ越しの聖なる三日間」の体験なくして、めでたくハッピーでウサギが飛び跳ねる「復活祭」はありえないのである。

さらに言えば、その前の四旬節、灰の水曜日にまでさかのぼって、節制と祈り、慈善の40日間があるのである。四旬節の期間、キリスト信徒はイエス・キリストの受難を思い、口数も減り、体重が落ち、教会には沈鬱ムードが漂う。
そして、キリストの華々しいエルサレム入城から一転しての十字架上の死を追体験する「過ぎ越しの聖なる三日間」でどん底に落ちて、こ・そ・の「復活祭!」なのである。

キリスト信者の中にも、いろいろな意見はあると思う。わたしと違って、宣教のきっかけとなるなら「イースター」を流行りものとしてでも知られることはいいのではないか、というクリスチャンもいるかもしれない。
それを機会に教会へ来るひともいるかもしれないではないか、と。

それでもわたしは、「過ぎ越しの聖なる三日間」の体験なく「復活祭」だけにやってきて、教会からなにかを感じ取る未信者がいるとは思えない。
イエス降誕を祝う「クリスマス」とはわけが違うのである。

イースターは移動祝日であるし、教派によって日付も違うので、そう簡単に日本で流行するとは思えないが、おそらく流行させようとしている企業は西方教会の教会暦を使うだろうから、ひとりのカトリック信徒として、その気持ちを表明しておく。
もう一度、書く。

「切に、切にお願いします。日本でイースターを流行らせないでください」


こんなことを書くのは、聖木曜日の晩に入ったスーパーで、「イースタースイーツ」が売られていて、少々ショックだったからである。
キリストが磔刑死したことの追体験を教会でしてきた直後に、何も知らない日本人から能天気に「ハッピーイースター」とやられては、キリスト信者は莫迦にされているとしか思えない。

考えてみてほしい。あなたのとても大事な人が、病床に伏せ、余命数日と言われつらい思いをしているそのとき、なにも知らない他人から「ハッピーお盆〜」などとやられたら、殴りたくならないだろうか。

もし、もし、日本でイースターを流行させるのなら、少なくとも、毎年、正確な「復活祭」以後にしていただきたい! 「復活祭」後なら、めでたい雰囲気大歓迎である。

「復活祭」前にそれを祝うのは「フライング」「大チョンボ」だということを知っていただきたい。新興宗教カットリク!ここにきわまれり、である。

カットリク!ポイント67――
カットリク!では、復活祭前にイースターのお祝いをしちゃう。

posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究

2017年04月04日

【カットリク!】頭グリグリ

まつもと千春「頭グリグリ」

「電撃コミック・ガオ!」(メディアワークス)の1995年5月号から1996年6月号に掲載されていた、まつもと千春先生の「頭グリグリ」よりのカットリク!。
ギャグマンガなので、細かいことは突っ込まないが、これだけは譲れない、というところを――



懺悔 懺悔って漢字難しいよね。辞書見ないで書ける人はエライ!

男「……それで悪いと思いつつ、盗んでしまったのです…。僕は死んだら地獄へ落ちるのでしょうか?」
シスター「神様は裁くものではありませんよ。許すものなのです。あなたが心から悔い改めればきっと許してくださいます」
男「ありがとうございました。早速品物を返して謝ってきます!」


というわけで、もうこのブログ、特に「カットリク!」をお読みの方ならおわかりかと思うが――

カットリク!ポイント11――
カットリク!には、カトリックの「ゆるしの秘跡」を模した「懺悔」という謎の儀式がある。


現在のカトリックでは「懺悔」などとは言わない。「ゆるしの秘跡」あるいは「告解」。

カットリク!ポイント40――
カットリク!ではシスターも聴罪しちゃう!


カトリック二千年の歴史の中で、聴罪シスターなどという者は一人もいない。聴罪ができるのは司祭(男)だけ。

カットリク!ポイント41――
カットリク!では「懺悔」したらもう神様OK。償いはしなくていい。


「告解」と「償い」は一連のもの。告解したら告解室から出て晴れ晴れ気分♪ などということはない。その罪に応じた「償い」が必要なのである。
以前にも書いたが、この償いを金で買えるようにしたのが「免罪符」(正確には「免償符」「贖宥符」)。
まあ、現在はほとんどの場合、司祭が指定するのは「主の祈り」とか「アヴェ・マリアの祈り」とか「ロザリオ一環」くらいに落ち着くだろうと思われるわけだが、それでもまったく「償い」なく「ゆるしの秘跡」が完了することはないのである。

以上三点、復習問題だが、「カットリク!」の間違いを正すためには見つけたらその都度指摘しておいたほうが良いと思うので、何度でも何度でも書くことにする。

それにしても、一般人とガチカトの持つシスターのイメージのなんと違うことよ。
いや、どう違うかはここでは書きませんけどねゴニョゴニョ……。
posted by 結城恭介 at 08:00| 新興宗教カットリク!の研究